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学校の教室のように自分の席を決められ、私たちはその無愛想な秩序の中にいた。私の左隣の席には、見覚えがあるようなないような男性。その人に関心は持てない。男性は私の方をじっと見ている。やがて、それは私を見ているのじゃなく、私の右隣の女性を見ているのだと気づく。視線の先は曖昧だし、男性の存在自体もじつに曖昧だと感じる。両隣の男性と女性は、多分離婚したかつての夫婦だ。何となくそんな気がした。
数え切れない縦の軸と横の軸が交錯している。格子状のその空間に、私たちは分布していた。3つほど後ろの席に、よく知っているはずの男性がいた。こんなところにいたのか、と思った。私は彼に腹を立てているようだった。理由は分からない。でもなぜかとても口惜しい。
私たちは分布地点を動けない。誰もがそれを悲しんでいるように思えた。しかし皆が受け入れている。左隣の男性も、寂しげな目をして私の肩を抱き寄せた。慰め合うように。私はなぜ慰め合うのか分からない。何も分からないけれど拒絶する理由もない。白昼夢の中のようで、ただぼんやりと受動的。無意識に、誰もがしているように左の男性の肩により掛かった。
3つ後ろの男性は、私の行為を責めるようにじっと見つめた。彼は声に出さなかったけれど、その叫びが聞こえるようだった。嫉妬されるということは、なんだかとても気分が良かった。なぜこんなに気分がいいのか不思議なくらいに。この碁盤の目の上で、感情を持っているのは3つ後ろの彼だけのように思えた。隣の男性は私とかつての妻を取り違えているかもしれない。絶対にそうだと思った。皆、何も見えていない。前方だけを見て、整列を乱してはいけないと必死に思いこんでいる。
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彼は隕石のような瞳をしていた。決して派手な輝きはなく、マットだけれど、鋭さがあった。既存の尺度で測れるような鋭さでなく、他のどこにもない新たな尺度をもそのなかに宿しているような、自己完結した鋭さだった。
彼は学生の時、自分の興味を我が儘に追求して、ある研究をした。車体に働く空力を意図のままに自在にコントロールすること。それがモータースポーツの革命になると彼は信じていた。
彼の方法論は不思議なものだったので、誰にも受け入れられなかった。運転席の背もたれに、直径五センチほどの穴を開けた。ドライバーの背中の丁度真ん中ほど、胃の辺りにその穴が当たるように。そこから、人のオーラの中に走る何らかの波動を後ろに逃がす。たったそれだけだった。想念を孕むインパルスが神経叢から勢いよく発せられ、車体そのものを包み込む。あとは人の想いが車体にはたらく全ての力学となる。
彼は穴の位置や大きさを微調整する以外に、新たな研究を止めてしまった。彼のなかで、既にその理論は確立していたから。その後彼は、来る年も来る年もシートに穴を開けた車を乗り回すだけで、何もしなかった。運転技術を磨くようなことなど、何一つしなかった。それが全く必要ないことを知っていたのだった。
十年ほどが経過して、彼は機が熟したことを知った。レースに参戦したのだった。瞬きをするほどの間に、世界最高峰のレースに出走することが決定した。スターティンググリッドについた彼は、とても穏やかな顔をしていた。フロントローには程遠かったが、全体の中程にはつけていた。
私はレース観戦に行き、その場ではじめて彼のことを知ったのだった。彼の経歴に直観的に、荒々しい力で、引きつけられた。その人生を全て見てきたような気分がして、とても誇らしく感じた。
信号が青に変わって、レースが開始された。そこで夢は途絶えた。
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過去を記録したビデオテープみたいな黒い物体が、たくさん本棚に並んでいた。黒い物体は正方形で、中心部には穴があいている。厚みはどれも全く同じだったけれど、穴の大きさはテープによってまちまちだった。
私はそれを何とかして処分したいと思った。なぜだか捨てるということは不可能だとわかっていて、それならどこかへ送ればいいと夢の中の私は思った。架空の住所ではいけない。宛先不明で戻ってきてしまう。確かに実在するはずの住所に宛てて、私は4つにまとめた荷物を送ろうとした。1つ目の箱にたくさん詰めすぎて、最後の4つめの袋はほとんど空だった。
テープを再生できる機械が、鏡台の上に置いてあった。小さなラジカセのようなそれは、常時電源が入っていて、あちこちに緑色やオレンジ色の光が点灯していた。いつでもテープを再生できることが不安で、私は周囲の人々の目に触れないようにラジカセを隠そうとした。そこへ家族や親戚がどやどやと入ってきて、私はしどろもどろに彼らと話した。4つめの袋がほとんど空であることが妙に気にかかっていた。
いつしか、私自身も荷物と一緒に知らない住所へ送り込まれることに決まっていた。なぜだかそんな気がしたからだった。
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はじめて、ほんとうに夢に出てきて欲しい人が出てきてくれたと思った。そう思ったことしか覚えていない。
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知人夫妻から旅行に誘われる。アメリカ北部を横断する予定だという。私はまだ学校に行かないといけないからと断ろうとするけれど、願い出れば学校は早く終わりにすることも出来るし、既に払った授業料も返ってくるよ、と言われた。
私はその通りに願い出てみた。その時には緊張した。間違いがないよう、申し出るための言葉を前もって何度も唱えて練習した。ところが当然のようにあっさりと許可され、夫妻の言う通り国に帰れることになった。授業料も返却され、目の前に札束を積まれた。こんなに簡単にショートカットが許されていいのかと不思議に思った。するべきことも終えていないはずなのに。
東海岸から国境周辺を辿り、シアトルへと。なぜか最終地点はシアトルでなくてはいけないと私は主張していた。そこから太平洋を渡る。太平洋を渡るのははじめてだと言って私は無邪気にはしゃいでいた。
海外から日本に帰るという夢が多すぎる。何か意味があるんだろう。
::::: 10/19 :::::

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羊飼いが羊を追っている。彼はいつも冷たく苦虫を噛み潰したような表情。鞭を振り回され、羊たちは逃げまどうけれど逃げ切れず、断続的に続く鈍い痛みの中で生きている。
柵の一カ所が倒れ、羊が一匹逃げ出した。何匹かが続いた。私は見て見ぬふりをした。私は神のようにその情景を俯瞰する眼だった。そして、そのシステムの崩壊を防ぐために監視する役目でもあった。私は、柵を立て直し羊を元に戻さなかったことに対し、さらに上の階層にいる存在に強く叱責された。その存在は、私の母だった。
私は涙を流しながら上層の存在に訴えた。こんな苦しみのなかに生き続けるなら、外部に逃げ出しそこで闇に溶けるように爆発してしまうとしても、その方がずっとましじゃない。外部には、見た限りでは何ら変わらぬ芝生が続いていたが、そこは大気のない宇宙空間、真空の空間のようであり、柵の内部で当然のように稼働している命を守るシステムが作用しないことは分かっていた。
私は掟を守らなかった罪と羊を助けなかったという罪とで、やがて裁かれる。上層の存在は哀れむような目で私を見つめ、自らも同じ罪を償うつもりであることが分かった。
::::: 10/04 :::::

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60歳の少年のようだね、と夢の中で誰かに言われた。
::::: 9/25 :::::

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フランスのアーティスト、バンジャマン・ビオレーが同じクラスに机を並べていた。びっくりして目を疑ったけれど本物だった。
「バン様!!」と目がハートになった私は何とか話しかけたいと思うけれど、英語は苦手だしフランス語はもっと分からない。買ったままほとんど使っていないフランス語教材が部屋に眠っているのを思い出したりして、もっとちゃんと勉強しとけばよかった!と泣きそうになる。この際フランス留学でもして本気でやるか、などと考えるけれど、留学先で惨めな思いをしている自分がイメージされてくる。パソコンを持っていったら、ずっと部屋に籠もって日本語のサイトばかり見ている。
バン様はレニングラードカウボーイズみたいな変な頭髪をしている。(日本でいったら一番近いのは、氣志団?)今考えると非常に笑えるのだけれど、夢の中の私は「意外と似合うじゃない♪」
バン様は、風貌からも奏でる音からもあまり社交的なタイプには思えないし、話しかけても相手にしてくれないかも知れない。そのままずっともじもじと横顔を盗み見ているだけで時間が過ぎた。
::::: 9/12 :::::

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留学先と思われる外国で、私は必死に窓の掃除をしている。ステイ先の部屋にはとても大きな窓があって、格子状の木製の枠に分厚い眼鏡のようなガラス。一面に黒ずんだ灰のようなものがこびりついている。雑巾で水拭きしたくらいでは剥がれない。爪でひとつひとつ剥がしていくのには気が遠くなる。
部屋にお婆さんが入ってくる。見覚えがあるけれど誰なのかはっきりしない。そんなに几帳面にやっていく人なんていないよ、というようなことをぶつぶつと呟いた。私は聞くともなしに耳に入った言葉を受け止めようとも受け止めまいとも思わなかった。私は自分が客観的だと思っていた。確かに隣の部屋の窓も汚いような気がした。この窓もはじめから汚かった気がした。
突然私は明日帰国するのだということに気がついた。明日の今頃は機上の人だろう。懐かしく心穏やかにいられる祖国に帰る。未来に心は完全に奪われた。窓の掃除をつづけたのかどうか、夢の中の記憶がない。
::::: 9/07 :::::

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