女の白すぎる手首を、月明かりに翳して見つめる。蠢く細胞には、緑色の悪魔が指紋を残したまま。夜の繰り出す湿気の強い吐息が、世界の底をまさぐるように流れている。 手首には、赤みを帯びた紫色の静脈が細やかに描く記号達。太く真っ直ぐな、しかしぼやけた輪郭を持つ青い動脈までもが、透けて見て取れる。男が握りしめる掌の圧力で、押し殺された悲鳴のようにひくひくと脈打っているのが、肌の上からも見て取れる。 窓の外には、青白い星が数百年前に誕生した光を無邪気に送り届けているのが映る。まばたきをするたび、角膜の上に悪戯にこすりつけられた。光の残像と涙が同時に滲んだ。 僕の指の間の銀色の光も、ともに滲んでいく。慌ててまばたく。 彼女の瞳はこれ以上ない漆黒を宿す。もう語る言葉は尽くされた。得体の知れない物体を放り出すように彼女は、自分の躰を闇の空白に委ねきっている。黒光りする濡れた髪の表面を、沈黙の粒子が滑り落ちていく。針金の束のように硬く凍りついたその髪だけに、彼女の名残がしたたかに香っている。 剃刀の刃をあてがう。彼女の背筋に奔ったであろう冷たい戦慄と全く同じ名前を持つものが、僕のそれにも奔っている。そのことだけは、どうしても伝えたかった。しかし為す術を知らない。言葉は時の狭間にこぼれ落ちていく。 それは彼女の意思だった。残酷な緑色の病魔が彼女に巣くったのも、多分。そして僕の震える指を走らせているのも。 深紅のガーネットが溢れて、こぼれていく。床の上にさらさらと音を刻んで、砂片がこぼれていく。 割れた砂時計。 愛しさの潮流も、僕を引き裂いてほとばしり溢れる。時を凌駕したにちがいない。そう信じたい。僕は貴女を所有はできないから。そんなことはできるはずが無い。砂時計はこわれるのに。 嗚咽は呑み込まれる。穴の開いた胸郭は、時空を歪める程のどす黒い引力で、何もかもを呑み込んでいく。 貴女は、砂に還る。抱きしめたとき、貴女の頬に光の粒が伝ったように見えたのは、錯覚だろうか。それは乾いた砂丘に瞬時に姿を消したから。 そして貴女の唇に浮かんだであろう微笑さえ、僕は取り逃がしてしまうのだ。 |