大学入学資格認定についての申入書
2004年1月23日
共同代表 弁護士 新美 隆(東京弁護士会)
共同代表 弁護士 丹羽 雅雄(大阪弁護士会)
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1、認定方法についての総評 私たちは、外国人学校・民族学校の出身者に対する大学入学資格差別問題について取り組んでいる弁護士団体です。各地の朝鮮学校卒業見込の生徒及び卒業生たちから委任を受け、入学資格認定申請をして参りましたが、昨年9月19日公布の文部科学省の方針転換に基づく学校教育法施行規則改定以降、全83校の国立大学のうち80校から入学資格認定を頂いております。 この度、上記の入学資格認定に関する各国立大学における取り扱いを分析した結果、以下のような看過できない問題点が多々存在することが判明しましたので、大学当局に対し速やかなる善処を申し入れるものです。 まず、学校教育法56条1項は、大学入学資格につき高等学校卒業程度の学力を要件とし、これを受けて同法施行規則69条が定められております。同条6号においては、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者に対し、個別に入学資格を認める権限を各大学に与えており、上記の認定はいずれも同号に基づいていることになります。 今回認定申請した朝鮮学校は、日本の学校教育制度に準じた6・3・3制を前提とした最後の3年間の教育を施すものであり、基本的には学校教育法にいう高等学校と同じ課程を有していることになり、したがって、学校教育法施行規則69条6号に基づいて入学資格を認定する場合でも、高等学校卒業者と同等の認定方法を採用することが可能であり、実際に同条1号では、各国の文化・教育を尊重する課程年数主義に基づいて外国の教育制度下における12年教育を受けた者に対して大学入学資格を一律に認めており、現に上記の省令改定にあたり、文科省はこれまで認めていなかった外国の教育制度に準じた外国人学校・民族学校の高等学校相当課程卒業者に対しても入学資格を認めるに至りました。 今回の省令改正にあっては、事実上朝鮮学校のみが同条1号の該当性を公的に確認できないという理由で排除されていますが、今回の認定申請において各大学は、課程年数主義に基づいて認定することが可能であり、民族教育を尊重する観点からすれば、そのような対応を採るべきでした。しかし明示的にこの基準を採用している国立大学はなく、遺憾であると言わざるを得ません。 次に、同条3号は、文部科学大臣が個別に指定した者についても大学入学資格を認めることとしており、同号に基づいて指定されたものの中に、一定の要件を満たした専修学校高等課程卒業者があります。具体的には、卒業に必要な総授業時数が2590単位時間以上等の外形的・形式的な基準であり、朝鮮学校の高等学校相当課程はいずれもこれらを満たしております。したがって、今回の認定にあたり、朝鮮学校卒業見込者については、課程年数主義を採用できない場合でも、民族教育を保障する観点から、学習指導要領に準拠する高等学校ではなく、その義務がない専修学校の大学入学資格認定の要件が参考とされるべきこと、日本の学校と外国人学校・民族学校とを同等に扱うべきことから、専修学校に適用される形式的・外形的基準を採用し、その対象も実質的に生徒個人ではなく、学校単位で認定することが最も実態に適合した審査基準となるといえます(以下、これを「専修学校方式」といいます)。なお、専修学校の規定では、「我が国に居住する外国人を専ら対象とするものを除く」(学校教育法第82条の2)とされているため、外国人学校・民族学校は専修学校になることはできません。 この審査基準からすると、審査に必要な書類はカリキュラムや卒業に必要な単位数などがわかる学則と、卒業(見込)証明書で必要十分なはずです。 しかし、今回の各大学の審査基準や添付書類には不要・不当なものが散見され、また、申請書式や認定書の有効期限などにもいくつかの問題点がありました。以下、各項目ごとに問題点を指摘します。 2、各項目ごとの問題点 <審査基準> (1)原則 前述のように、専修学校方式を採り、下記の形式的・外形的基準をとるべきです。 @
修業年限は3年以上 A
卒業に必要な総授業時数は、2590単位時間以上 B
卒業に必要な普通科目についての総授業時数は420単位時間以上 (2) 各大学の対応 上記専修学校方式をとる大学もかなりありましたが、そのほか、専修学校の要件に加え、高等学校の学習指導要領に準じているかを基準とする専修学校・学習指導要領併用方式、高等学校の学習指導要領に準じているかのみを基準とする方式、審査基準を明確にせず、単に「高等学校卒業者と同等以上であるか」など一般的に書かれていたりHP上で審査基準を明記していない方式などがあり、バラバラな対応に分かれました。 (3) 問題点 イ、学習指導要領について 高等学校学習指導要領に準じているかを審査基準とすることは、それが 「国民教育」を目的としたものであることから、外国人学校・民族学校に「国 民教育」を押し付けることになり、その存在意義自体を否定するものにつながりかねないので、不適切です。民族学校は日本の高等学校に相当する普通教育を行いつつも、民族教育を認めない学習指導要領に従うことを避けるべく、一条校となっておらず、そのため大学入学資格を認められないという不当な扱いを受けてきました。今回の省令改定はその不当な取扱いを改めようとの趣旨なのに、大学入学資格の判断の際に一条校と同じ要件を要求することは背理です。 ロ、審査基準の不明確性 いかなる要件で「高等学校卒業者と同等以上」と判断するか明示していない場合、受験生からすれば認定の可否の予測が不可能であり、極めて不安定な状態に置くことになり、不当です。行政手続における適正手続の要請から、速やかに改めるべきです。 <添付書類> (1) 原則 審査基準として専修学校方式を採るべきであることから、その要件の充足の有無の分かる@学則等修業年限・卒業に必要な総授業時数・卒業に必要な普通科目の総授業時数を定めた書類とA卒業(見込)証明書で必要十分と考えます。 (2) 各大学の対応 @とAに加え、調査書若しくは成績証明書を要求する学校が約半数、次に多いのが、@とAのみを要求する学校でした。 これら以外に、出身者の進路概要、使用教科書の目次、申請理由書等の書類を要求している大学が散見されました。 (3)問題点 イ、調査書(成績証明書)の要否 専修学校方式からすれば、当該学校卒業に必要な科目・授業時数などが学則等でわかれば、卒業(見込)証明書で必要十分であり、各科目における成績は不要です。各自の成績の優劣は個別の大学入学試験の結果で判断すべきであり、各学校のレベルが異なるので高等学校相当課程の成績によっては実際判断することはできないはずです。なお、約半数の大学が調査書の提出を求めているのは、高等学校卒業生に対し、個別大学に対する2次試験の申込みの際に調査書の提出が要求されていることから、今回民族学校卒業生に対しても安易に調査書の提出を要求したものと推測されます。しかし、今回の審査はセンター入試の受験の前提としての大学入学資格審査であり、個別大学への申込みではないのですから、調査書の提出を要求すべきではありません。センター入試の結果次第では、当該大学の入学資格を得ても実際には当該大学を受験しないこともありえ、その場合、民族学校の卒業生のみが不必要なプライバシーの開示を余儀なくされることになりますし、また、センター入試後の2次試験の際にも実際に受験する大学へも調査書をまた提出することになり、民族学校の卒業生のみが2度の提出という煩雑な手続の負担を負わされることになり、不当です。日本の高等学校の卒業生は個々人の高校での成績に何ら関係なく大学入学資格が認められており、また、専修学校高等課程が文部科学省により大学入学資格の指定を得る際にも卒業生の個々人の成績とは無関係であることからも、民族学校卒業生の個々人の成績は不要であり、また、要求することは、不平等な取扱いとなります。 ロ、 教育「内容」との表現について 添付書類につき、教育内容のわかるもの、との表現が数校ありましたが、そこで実際に求められているのは、教科・科目のカリキュラムや授業時間 数などの形式的・外形的な教育課程の資料ですから、実質的な教育内容にまで踏み込んだ資料提出要求との誤解が生じかねない「内容」との表現を避け、教育「課程」との表現を使うことが適切です。 ハ、出身者の進路概要 東京大学は、学則等のほかに、出身校の進路概要の提出を要求していますが、進路概要は各民族学校生徒のプライバシーに関わる情報を含み、民族的偏見を生じかねず、要求することは不適切です。特に中南米系の学校など、新進の学校については進路の実績がないのが当然ともいえますので、学力水準とは関連性がありません。 また、文部科学省が専修学校高等課程の大学入学資格を指定する際にも、カリキュラムや単位時間数とは別に、卒業生の進路概要など提出を要求せずに、高等学校卒業と同等以上の学力の有無を形式的・外形的に判断していることと比較すれば、民族学校の大学入学資格を認定する際にも不要であることは明らかです。 ニ、使用教科書の目次 東京工業大学等は、民族学校で使用している教科書の目次の提出を要求しています。しかし、学校教育法第56条及び同施行規則第69条は、大学入学資格を「高等学校卒業と同等以上の学力があると認められた者」に付与するとしていますが、同施行規則第69条第1号では外国の高校や日本における外国人学校・民族学校につき課程年数主義をとり、各個人の実質的な学力の認定に踏み込まず、それぞれの文化・教育の多様性を尊重する趣旨から、外形的・形式的に教育課程の修業年限のみで大学入学資格を認めています。この教育内容に踏み込まないという趣旨は、民族学校である朝鮮学校にも当然にあてはまるはずで、同様に取り扱うべきです。 また、専修学校高等課程においては、民族学校と同様に、高等学校学習指導要領に沿った検定教科書を使用する義務はありませんが、施行規則第69条3号による専修学校高等課程の文部科学省による指定において、同省は外形的・形式的な年限や総授業時数などの教育課程の資料のみで大学入学資格を認めていており、その使用教科書の目次の提出を要求していません。 よって、教科書の目次の提出を求めることは不要であり、かつ、民族学校間及び民族学校と日本の学校との同等取扱いの要請から不当です。 ホ、申請理由書・自己推薦書 東京工業大学は申請理由書(A4判800字程度で、自筆で志望動機等を書くことを要求)、鳴門教育大学は自己推薦書の提出を要求していますが、不要、不当です。 そもそも、800字程度の作文では、高等学校卒業と同等以上の学力があるか否か判断することは不可能であることは明らかです。 志望動機を書かせる作文は、推薦入試など、そのまま入学の可否を審査する場合に要求されるのであればまだしも、センター入試を受験する前に単に大学入学資格を審査するためには全く不必要で無意味な要求です。セ ンター入試の結果によっては、当該大学を受験しなくなる場合もありえます。 100歩譲って、今回同時に各大学による個別審査の対象となった社会人などについては、民族学校出身者と異なり、高等学校相当の教育課程のカリキュラムや学則もなく、個々人の学力レベルの想定が全くできないことから、作文を提出書類の1つとすることも不合理とまでは言えない場合もあるかもしれません。しかし、社会人などと外国人学校の卒業生たちに対し同一の提出書類を要求することは何ら合理的理由がありません。直接的に高等学校卒業と同等以上の学力の有無を判断できる卒業(見込)校の履修カリキュラムという資料があるのですから、それで十分であり、それと別に、作文を提出させなければ高等学校卒業程度の学力の有無が判断できないとは考えられません。 今回の省令改定は、外国人学校・民族学校については、教育の国際化の観点から、それぞれの国家・民族の教育をそのまま尊重することが大前提となっており、これを一般的に教育機会の拡大という趣旨から今回個別審査の対象となった社会人とまったく同じに扱うことは、今回の省令・告示改定の趣旨にも反しています。 ちなみに、他大学でも数校、大学入学資格審査のための提出書類として 作文を要求しているところはありますが、いずれも外国人学校・民族学校卒業生以外に対象を限定しています。 日本の高等学校相当課程を有する外国人学校・民族学校を修了した者と、社会人などとは、その学力を判断するために必要な提出書類は論理的に当然異なります。例えば、学則は、民族学校の生徒が提出すべき書類となりえますが、社会人の場合、学則など提出しようがない、という一事をとっても、両者を提出させる添付書類において区別せずに扱うことがいかに不合理かおわかりいただけると思います。 なお、作文を提出しないと認定書を出さないとの対応をとっているのは全国で東京工業大学のみであり、また、同大は、私たちの是正の申し入れを拒否しています。 いかなる観点から検討しても、同大の要求は不合理であり、全く不必要かつ無意味な負担を朝鮮学校の生徒たちに強いる意味しかなく、生徒たちへの嫌がらせとも言っても過言ではありません。同大の対応は、子どもの権利条約などの国際人権諸条約並びに憲法の保障する教育を受ける権利及び平等権を侵害しており違憲違法の疑いが強く、直ちにその是正を要求します。 <申請書> (1)原則 申請書の記載事項についても、申請者が上記審査基準を満たすか否かを確認するに足りる事項のみとするべきです。申請者に対して不必要な事項の記載を求めることは、申請者に無用の負担を課すばかりか、上記の趣旨を逸脱し、また申請者のプライバシーを侵すおそれがあり、妥当ではありません。 具体的には、申請書の記載事項として認められるのは次の事項です。本人を特定するに足りる事項及び連絡先に係る事項、すなわち氏名、生年月日、住所、電話番号等上記専修学校方式を満たすことを示す事項、すなわち卒業(見込)した学校の名称、所在地等 (2)各大学の対応及び問題点 各大学が示す申請書の書式をみると、これ以外の事項の記載を要求するも のが散見されますが、速やかに削除するよう申し入れます。 例えば、@の他に、申請者の国籍、母国語、在留資格、顔写真の添付を要求する大学がありましたが、本人特定のためにも、高等学校卒業と同等以上の学力を判断するためにも不要であり、プライバシーの侵害といえます。 これらを要求している大学は、個別大学に実際に受験・入学する際の手続と混同しているとも推測されますが、個別大学が審査の主体とはいえ、あくまでも、大学入学資格の審査が目的なのですから、その判断に必要なものにとどめるべきです。 また、志望する学部等を記入する大学もありますが、センター試験の結果を見て志望学部等を変更する可能性もあり、受験生の側としては、受ける可能性ある学部全ての認定書を取っておかなければならないという過大な負担を要求されることになるので、不当です。 <認定書の有効期間> 大学入学資格の認定は、形式的・外形的に民族学校の教育課程を審査してなされるべきことから考えれば、当然に、1度認定されれば毎年認定手続をとる必要性はありません。 しかし、認定書の有効期間について、発行年度に限定しているものが散見されました。 高等学校卒業生が1度卒業すればその後ずっと大学入学資格を認められることを考えれば、その不当性は明らかですので、速やかに改めるよう申し入れます。 3、来年度以降の取扱い 2003年度に資格認定を受けた受験生がいた朝鮮学校の場合、2004年度以降は、当該朝鮮学校出身の受験生については無条件に受験資格を認定すべきです。 専修学校方式など、実質的に学校単位で審査した場合、同じ学校を卒業した2人の受験生は、少なくとも、高校卒業程度の学力の有無という点については、基本的に差がありません。 そこで、大学入学資格について定める要項に「いったん、一定の履修カリキュラムを備えている学校であると認定した場合は、次年度以降は、その学校の卒業(見込み)生については受験資格を認定する」と明示し、認定した生徒の出身学校名を次年度以降の募集要項などに記載して受験生に公表するよう、申し入れます。 それにより、受験生としては、受験資格についての予測可能性を確保でき、受験する可能性のあるすべての大学への大学入学資格認定手続を行わなければならないという、朝鮮学校の生徒たちのみに負わされた不合理で過大な負担も軽減できます。 逆に、認定申請しても認定が得られるかどうか不明な場合には、受験生は、認定されなかった場合の保険のために、大検の受験を結局余儀なくされてしまいますが、これでは、今回の省令改正の趣旨が没却されることになります。 4、最後に これまで国立大学には何十人もの朝鮮学校の卒業生たちが入学して来ましたが、彼らは日本で生れ育ち、日本の高等学校相当課程で学んで来たにもかかわらず、その出身学校の卒業資格を大学入学資格と認められず、わざわざ大検を受けて入学資格を取得した上で受験してきたことは御存知の通りです。公私立大学の過半数は昨年9月の省令改定前から学校教育法施行規則第69条6号に基づき個別審査により朝鮮学校生徒の大学入学資格を認めてきましたが、国立大学においては、ついに省令改定まで、ただの1校も個別に大学入学資格を認めるところはありませんでした。国立大学は、外国人学校・民族学校の生徒たちが政府によって受けてきた差別に加担してきたと言っても過言ではありません。 省令改定がされた今、これまでの朝鮮学校の生徒たちへの差別的取扱いを省みて、少なくとも他の外国人学校・民族学校の生徒たちと同等に取扱い、生徒たちの背負わされている理不尽な負担を軽減する合理的な措置を速やかにとられることを切望し、以上諸点をここに申し入れます。 |