兵庫県宝塚市教育委員会

19934月「宝塚市在日外国人教育指針」

1. 目本人の外国人に対する屈折した意識の背景

(1) 多様性の乏しい社会

日本では、一般的に言って、人々の価値観、思考、生活様式等の文化的な差異が小さい。これは、島国という自然条件から外国人及び異文化との日常的接触の機会が少なかったという事情の上に、労働集約型の米作農業に生産基盤をおいた産業構造の歴史が長かったからでもある。日本型米作農業では、水利や気候の関係で、田植え、刈入れ等の同時期における共同作業が必要になるので、考え方や生活様式等においても「同じであること」に価値がおかれ、「違っていること」は忌み嫌われた。

さらに、このことに拍車をかけたのは、徳川幕府による二百数十年にわたる鎖国政策と封建制度の徹底である。この間、オランダ、朝鮮との部分的交流を除けば外国人、異文化との接触が禁じられた。また、人々の職業、身分、住居、価値観等が幕藩体制の下で全国的に統制された。こうしたことから、文化的多様性はますますせばめられ、均質化していった。

こうした背景のもとで、近代国家が成立し、国民の多数が米作農業を離れるようになっても、自他ともに「同じであること」を願い、そのことによって安心するといった精神性が根強く残り、それが今日なお日本人の思考や行動様式に影響を与えている。

(2) 欧米人に対する劣等感

19世紀半ばになって、欧米列強の圧力に負けて開国してみると、すでに産業革命を終えた欧米諸国と比較し、日本の技術水準、生産力の立ち遅れが明らかであった。また、アジア、アフリカの大部分はすでに欧米列強によって植民地ないし半植民地とされ、日本を含めた東アジアにもその危険が及ぼうとしていた。

こうした情勢の下で、新しく成立した明治政府は、「殖産興業」、「富国強兵」をめざし、欧米諸国から、産業技術や行政・軍事制度等を積極的に導入した。

これは、「和魂洋才」という言葉に象徴されるように、欧米諾国の文化を支える自由主義や個人主義を抜いた上での導入ではあったが、産業技術面等ではるかに進んだ欧米諸国との出会いは、日本人に舶来崇拝の心や、その進んだ文化を担う欧米人、つまり自人に対する劣等感をも形成していった。このような欧米ブランド製品崇拝や欧米人に対する劣等感は、今日に至るまで少なからず日本人の意識に残存している。

(3) アジア、アフリカ人に対する優越感

先に述べたように、明治政府は、欧米諸国の産業技術等の導入を通じて近代化を成し遂げたのであるが、この過程で自らも欧米諸国に見習って近隣アジア諸国に進出して行き、朝鮮や台湾等を植民地とした。欧米列強に遅れて植民地獲得に乗り出したこともあり、その支配は苛酷かつ徹底したものであった。例えば、朝鮮においては、朝鮮民族固有の文化を無視して、創氏改名(注1)、日本語による教育の強制等の同化政策を断行した。さらに、働き手を家族から引き離し、強制連行、強制徴用をも行った。

明治政府の非人間的植民地政策は、太平洋戦争終結に至るまで歴代の日本政府によって一貫して引き継がれ、それを合理化するために、民族に等級をつけて優劣を論じ、植民地の人々が文化的、人問的に劣るかのような欺瞞に満ちた宣伝を繰り返し行った。こうした日本政府による植民地支配を合理化するための虚偽の宣伝の影響はこれを払拭する積極的な諸政策が取られなかったこともあって、現在でも日本人の間に強く残っている。すなわち、旧植民地の人々の文化や生活様式等を「違い」と見ずに、優劣で見てしまい、その文化を担う人々を軽視しがちである。このような誤った外国文化や外国人に対する見方は、欧州列強の植民地支配を被ったアフリカの人々に対しても何ら変わるところがない。

(注1) 皇民化政策という場合もある。

2. 差別解消のための在日外国人教育の基本

先に述べたような事情から、日本人の外国人に対する意識には、きわめて屈折したものがある。欧米諸国の人々に対しては、劣等感や緊張感を抱き、その裏返しとして、発展途上国の人々に対しては、優越感や蔑視をあからさまにする者が少なくない。また、どこの国の人々に対しても違和感なく交際することをきわめて苦手とし、一定の心理的距離を保ち、心の中には容易なことでは入れない。海外在留の日本人が「日本人コミュニティ」を形成し、日本人以外とは交際したがらない傾向も、言葉の壁があるとしても、こうした日本人の心理のあらわれであろう。

このような日本人社会は、在日外国人にとっては、耐え難いものであろう。例えば、人々が同一の価値観を持ち、一斉の同じ方向へ走りやすいこと、異なる発想とか生活スタイルは排除する社会的力学が働くこと、身体的差異のある外国人には好奇の目をあからさまに向けること、外国人には日本人のことは理解されないだろうという意識等に、日常生活のいたるところで出くわすのである。このため、外国人が日本人社会の中で生活し、教育を受け、就労しようとする場合、日本人社会から強いられるさまざまな差別、阻害感等に苦しみ、ときには日本人に同化して生きるのか、それとも母国の文化の担い手として生き続けるのかという、2つの文化の狭間で自らのアイデンティティー、すなわち自己実現の道筋について悩まなければならないことにもなりがちである。とりわけ、在日外国人の大半を占める在日韓国・朝鮮人にとっては、本名を名のることさえ、きわめて困難な状況におかれており、まして就職や結婚における差別は一層厳しい。外国人に対する偏狭で差別性に冨む意識をなくし、外国人が安心して暮らせるような明るい街をつくっていくことは、今日のような国際化時代に生きる日本人に課せられた責務であり、まして国際観光都市宝塚の市民にとってなおさら必要なことである。とりわけ、学校関係者は、外国人の子どもがそれぞれ独自の文化を発現しつつ、楽しく、生き生きと伸びていけるような学校づくりをめざさなければならない。

このため、在日外国人教育を以下のように捉え、その推進に努める。

(1) 在日外国人教育は、人権尊重の精神が、国籍、人種、民族を超越した普遍の原理であることを認識させ、人種的、民族的差別や偏見を払拭し、共に生きる社会をめざす教育である。

(2) 在日外国人教育は、それぞれの民族の文化や歴史についての科学的な認識を深め、民族的自覚や誇りを高めるとともに、相互の尊重・敬愛の精神を育てる教育である。

3. 学校教育における在日外国人教育

(1) 日本人の子どもに対して

おとな社会を反映して、日本人の子どもの中は、外国人に対して、行き過ぎた好奇心や偏見・差別意識を抱く者が少なからずいる。とりわけ、外国籍をもつ人々の大部分を占める韓国・朝鮮籍の人々への偏見・差別意識は、なお、根強く残っている。しかし、歴史を振り返ってみると、日本人のあやまった朝鮮人観が形成されるようになったのは、日本の近代国家の成立以後のことであって、それ以前においては見られなかったことである。日本の古代国家や古代文化の形成は、アジア大陸、とりわけ、朝鮮半島との関係を抜きにしては考えられない。今日でも脈々と日本人の生活の根幹をなしているものの多くが大陸からの渡来人の手により、日本へもたらされたものである。

これらの渡来人及びその子孫は、日本文化の形成に代々にわたって貢献し、高い文化的素養や技能を有する人として大いに尊敬された。それ以後においても、日本とアジア大陸との交流は、一時的に衰退することはあったにせよ、連綿として続けられた。鎖国政策をとった江戸時代においてすら、朝鮮との間では李王朝の新国王の即位や徳川将軍の代替りごとに彼我の通信使が往来を繰り返し、「朝鮮通信使」来日に際しては、幕府は将軍一代の盛儀としてこれを重んじ、厚く接遇した。古来、朝鮮は中国とともに、日本にとっては文

化的先進地であり、その進んだ文化の担い手である中国人・朝鮮人は、師として尊敬されることはあっても、決して蔑視されることはなかったのである。

こうした近代以前における歴史的事実の認識と近代国家以降における近隣アジア諸国に対するあやまちの反省に立って、学校教育においては、人権尊重に立った適切な国際理解教育を推進し、子どもの国籍がどこであれ、お互いに安心して学び合い、共に成長できる教育の場を構築しなければならない。

. 在日外国人の大部分を占める韓国・朝鮮籍の人々が目本に住むに至った経緯を正しく認識させるとともに、日本と朝鮮半島との永い交流の歴史についても学習させる。

. 外国人への偏見・差別の実態を知り、外国人の心情を理解させるとともに、差別を許さない心を育てる。

. 在日外国人が日本・郷土の発展に果たした役割を理解し、地域社会を構成する大切な仲間であることを認識させる。

. 異文化を理解し、尊重する態度を育成するとともに、協調・寛容・友愛・平等の精神を涵養する。

(2) 在日外国人の子どもに対して

宝塚市の公立学校に在籍する外国人園児・児童生徒数は約300人、全在籍数の約1.35%(平成451日現在)で、その大多数を占めるのは韓国・朝鮮籍の子どもである。韓国・朝鮮籍の子どものほとんどは、明治43(1910)年から昭和20(1945)年の35年間にわたる日本による朝鮮植民地政策により、強制的に日本へ連れて来られたり、心ならずも移って来ざるを得なかった人々の子孫である。これらの子どもたちは現在は三世、四世の世代になっているが、祖先が日本に住むに至った歴史的経緯や今なお残る差別のため、日本

及び日本人に複雑な心情をもっている。また、その他アジアやアフリカ等からの子どもは、母国が発展途上にあるので、その文化が低いというあやまった日本人の子どもの意識に悩まされる。

さらに、来日してから年月の浅い子どもは、言語、食物、宗教、生活習慣、教育内容等の差異に戸惑い、悩むことになる。日本に住むに至った事情はどうであれ、すべての外国人の子どもが安心して生活していけるように、教育に携わる者は心を砕かなければならない。

また、外国人の子どもたちが、自らの民族や文化に誇りと愛着を抱けるよう配慮しなくてはならない。異文化社会で育った人々が、自国の文化を安心して発現できるならば、それは日本社会を活性化し、国際化することにもなるであろう。

. 民族としての、自国の歴史、文化、生活様式、ことば等に誇りと愛情を持ち、自已を確立していけるよう配慮する。

. 誇りをもって本名を名乗って生きていくよう励ます。

. 日本で生きて行く上で必要な知識や技能を修得できるよう援助する。

(3)  教職員に対して

日本全体においても、宝塚市においても、人口に占める外国人の割合はきわめて小さい。少数派におかれた外国人は、多数派である日本人が心を研ぎ澄まし、目をしっかり開いていなければ気がつかない不条理感や苦痛を味わわされがちである。外国人の子どもに接する教職員は、このことをしっかり自覚し、自らの人権感覚を鋭敏にするとともに、外国人の子どもの生活背景にある異文化に対する正しい理解にも努めなければならない。このことを通して、外国人の子どもが日本人の子どもとともに、生き生き学べる学校を創造することは、国際化時代の今日の教職員に課せられた責務である。

. 外国人の子どもの抱いている間題を正しく把握し、その解決のために尽力する。

. 外国人の子どもの生活背景にある異文化を正しく理解し、これを文化的「違い」として尊重する。

. 的確な学習・生活・進路指導を行うために研修を重ね、指導力の向上に努める。

. 近隣の在日外国人学校との教育交流を積極的に進め、相互理解を深める。

4. 市民・保護者への働きかけ

学校において、どのように正しく在日外国人教育・国際理解教育を推進したとしても、子どもの生活の場の大半を占める家庭や地域社会にあるあやまった外国人観を放置していては、砂上の楼郭になりかねない。

異文化、異人種に対する強い違和感、文化や民族の相違を「違い」と見ずに優劣で見がちな傾向、外国人に対する閉鎖性・排他性等々は、日本人の克服すべき弱点である。とりわけ、在日韓国・朝鮮人に対する偏見や差別意識をおとな社全から無くしていくことは、国際化時代の今日、市民にとって最も重要な課題である。

教育行政や学校は、市民・保護者が広い視野と豊かな人間性を身につけ、すべての外国人と、共に生きるイコール・パートナーとして、交際できるよう正しい認識の確立に努めなければならない。

. 近隣諸国との交流の歴史について、科学的な認識を深める。特に、在日韓国・朝鮮籍の人々が目本に住むにいたった経緯や郷土の発展に果たした役割を正しく理解するとともに、目本人としての反省に立って、これからの地域社会を共に生きていこうとする態度の育成に努める。

. 就職や結婚等にまつわる人種的、民族的差別の解消のために努める。

. 諸外国の生活習慣、言語等の文化の紹介に努めることによって、市民の異文化理解を深め、民族の平等の理念の高揚と目本人の「排外拝外意識」の払拭を図る。

*198841日「在日外国人教育について」〈昭和63年度「宝塚の教育―指導助言の方針―」〉

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