直線上に配置
バタンガスへの旅 パート2 
 本道に出たら、半島なので周りは海だらけで方向感覚がなくなりました。日本の太陽は斜めに射してくるので、12時には斜めの位置に太陽が南中し、14時には太陽が右に30度動くことが予想できますが、フィリピンの太陽は天頂を通るので、影がなくなり、南がどちらかわかりません。標識もなく、完全に迷ってしまいました。妻が面白い方法を見つけました。ジプニーという乗り合いバスが走っているのですが、そのバスの横には行き先が書いてあります。それを読めばどこに向っているか分かるというのです。少し止まって、窓ガラスのないジプニーのわき腹を眺めました。しかし、文字が装飾してあり全然読めません。あきらめて、しばらく走ると古い教会が見えてきました。
 教会なら何とか英語を理解できる人がいるだろうと思い、思い切って入ってみました。中に入るとみんな真剣に礼拝をしています。トイレに行きたくなり、教会の脇にあるトイレにいきました。便器らしきものは見当たらず、ただの板の間に穴があいています。入り口にはタガログ語で何かが書いてあります。「ババエ」と読めました。どっちが男だったっけ、忘れてしまいました。「まあ、いいや」誰もいないのでかまわず入り、用を足しました。あとでわかったのですが、「ララキ」とは男で「ババエ」とは女のことだったのです。そのとき、女性が入ってきたら大騒ぎになっていたことは確かです。
 妻が英語が通じる人を見つけてきました。リグポ島のことを尋ねると、「あのダイビングの島ですね。」と言っています。ほっと胸をなでおろしました。その子供連れの若い夫婦はとても親切に、しかも詳しく道を教えてくれました。お礼を言って教会を後にしました。それはちょっと高台にある海の見える教会で、100年ほどタイムスリップしたようなぼろぼろの建物でした。
 港のスラム街のようなところを走りぬけると、木でできた橋があり、崩落をおそれながら渡るとジャングルみたいなところに入り込みました。また迷ったのかと心配になりましたが。親切な夫婦が教えてくれた目当ての建物が見つかり、間違っていないと確信しました。しばらく行くとやっとボートの発着場らしきものが見え、そこには20メートル四方の小さい駐車場がありました。ボートの船頭さんは私たちを待っててくれました。
 ここでまた不安なことが浮かんできました。車を一晩ドライバーさんがつかないで陸に置いていかなくてはならないということは、車ごと盗まれる可能性もなきにしもあらずだということです。エンジンに掘り込まれた番号も改めて、中古車市場で売り出されるという話を聞いたことがあります。ODAで日本が何億円ものお金をかけてバタンガス州まで電線を布設したら、あくる日には市場で電線が切り売りされていたという話もあります。ここで引き返すという方法もあったのですが、せっかくここまで来たのだから島に渡ってみたいという誘惑には勝てず、結局、バンカーボート(※)にたくさんの荷物を積み、我が家族3人と船頭さんと共に乗りこみました。ボートのエンジンがかかりました。何とこのエンジンは自動車のものではないですか。形は船なのに音は自動車なのです。空を見上げると、1万メートルにも達しそうな積乱雲が出ています。風が吹き、波が出てきました。南シナ海にどぎついオレンジ色の太陽が沈もうとしています。一路リグポ島に向けて出発しました。波が荒く、しばしばスクリューが空転するボートからライフジャケットをつけた娘が飛び出さないように気を使わなくてはなりませんでした。海はとても青く、三陸の海を思い出しました。

※カヌーのような形をしたエンジン付の船、両脇に浮きがついており、左右のゆれには強い。写真参照
消えた犬へ バタンガスの旅パート3

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