−マニラの大晦日(おおみそか)−
マニラの中学3年生は受験準備と受験のため、三学期の勉強は自宅学習ということになり、インターナショナルスクールやマニラの高校に入る人以外は一時帰国します。2学期までに3年生の勉強を全部終わらせなくてはならないので教師としてはたいへんでした。もう一つおまけに教師の苦労話をしておきます。私は中学校の理科と小学校の理科を全部担当していたので、たとえ一学年の人数が20名でもテストは全学年分作らなくてはならないのです。定期テスト前になるとパニック状態です。テスト作成をするのに小鳥の鳴き声が聞こえるまでかかるというのがざらでした。小学部の先生にプールの前でバーベキューをやらないかとさそわれても娘と家内だけが行き、私はただひとり家に残りパソコンとにらめっこという訳です。クーラーをかけると冷えすぎるし、かといってかけないと部屋は摂氏40度になってしまいます。湿度は高く蚊にも攻撃されます。日本だったら高校生ぐらいの年のメイドさんたちは隣の家のメイドさんたちと楽しそうに塀ごしで話しています。「サー(私のこと)は休みなのに何をやっているんだろう。」と話しているに違いありません。
 大晦日になるとカトリック教徒の国なのに、フィリピンの経済をにぎっている華僑の習慣をミックスします。爆竹を鳴らすのです。爆竹の最たる物はダイナマイトです。自分の家の魔物を追い出すために鳴らすらしいのですが、隣が鳴らすと隣以上鳴らさなくてはならず、だんだんエスカレートしていきます。午後11時ごろから鳴り始め、花火や爆竹はとぎれることなく鳴り始めるのです。機関銃よりも連続的です。雨だれのようです。硝煙のにおいがビレッジにたちこめます。町にはポスターがはられていました。「ピストルを上に向けて打たないように」というポスターです。物理の授業を思い出しました。”初速度vで真上に上がった物体は同じ速度vで落ちてくる。”考えてみるとピストルの銃口から出た銃弾は同じ早さで落ちてくるのです。屋根に何かがすごい音でぶつかりました。ピストルの銃弾に違いない。そのとき「あっ」と思いついたのは日本から連れてきた柴犬のことです。犬小屋は外にあります。今すぐ助けないと真上から落ちてくる銃弾でやられてしまう。 階段を走って降りていきます。犬小屋まで屋根から5メートル、この5メートルが今度は私の命取りになったらどうしよう。でも娘と誕生日が一ヶ月しか違わず、日本から飛行機で家族と同然の愛犬の命を守らなくてはなりません。自分の頭蓋骨に銃弾がふってこないことを祈り、ダッシュして犬を家の中に引きずり込みました。銃弾は体に入り込まなかったようです。爆竹の音で犬はぶるぶるふるえていました。
テレビをつけるとタガログ語でニュースをやっていました。マカティメディカルという大病院に続々と爆竹でけがをした人たちが運ばれている様子です。信じられない映像が写っています。左手首を失った小学生が、重傷にも関わらず治療の順番待ちをさせられているのです。出血を止めるためハンカチで縛ってあります。痛みを通り越してしまったのか、ボーっとしています。目を失った人が優先のようです。ホラー映画を見ているようなのですが、現実です。マニラの報道規制は日本とは全然違うので、焼け死んだ人とか、家族が嘆き悲しむ場面を平気で写すのです。燃え残ってこげた免許証を身元確認のためテレビに写したりします。日本人との感覚のずれをこれほど感じたことはありません。
 あくる日の新聞には今年のマカティメディカル情報が載っていました。去年より爆竹の患者は少なくなり、52人から16人になり、爆竹による死者は3名とのことでした。貧しさのためやけくそになっているとしか思えません。


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