-娘の友だちの誕生日-
フィリピンは治安悪いことで有名です。渡比前にフィリピンの観光ガイドのパンフレットを探したのですが余り出回っていませんでした。危険地域なので気軽に海外旅行する人が少ないからだと思います。私が住んでいたところはビレッジといって、高級住宅街でした。高い城壁で囲まれたビレッジの中だけは別世界となっており家内や娘と散歩も気軽にできるのです。各住宅は住み込みのメイドさんが2人以上おり、ドライバーさんや庭師もやとっていました。私の家のリビングルームは教室ぐらいの大きさで、床は大理石です。とても暑いので床は大理石が一番良く、ビレッジのほとんどの住宅の床に採用されています。娘は家の中で自転車を乗り回したり、私はというとバスケットボールでドリブルを練習したりしていました。休みには娘とミニテニスを家の中でやったこともあります。ビレッジの住人はほとんどが外国人か、フィリピンの金持ちです。ペニンシュラホテル(アメリカのクリントン大統領が来比したときに泊まったホテル)のオーナーの息子が娘とブリティッシュスクール(英国人学校)で同じクラスだったので、娘がその子の誕生日に招待されました。その日は日曜日でドライバーさんが休みでしたので、私が運転して送っていきました。住所を見ると間違いはないのですが、どこまでいっても入り口が見つかりません、それほど広大な敷地なのです。まるで一つの学校のような感じです。 やっとその屋敷のガードマンの小屋と正門を見つけ、招待状をみせると中に入れてくれました。門にはハッピィバースデイ デイビッドと刷られた色とりどりの風船が浮いています。ガードマンに聞いてみると、子供たちは今、ピエロのショーを見ているとのことでした。私の家のメイドさんと一緒に娘は屋敷の奥に消えていきました。ほとんどの子供たちがメイドさん同伴できています。ガレージにはベンツ2台とランボルギーニ・カウンタックが止まっており、ヘリポートもあります。プールサイドでは楽団が楽しげな音楽を奏でていました。娘が水着とゴーグルを持っていった訳がようやく分かりました。誕生パーティの終了時刻になりました。ケーブルテレビを大理石の床にねっころがって見ていた私はむっくり起きあがり、車を運転して娘を迎えにいきます。門のガードマンにIDを預け中に入れてもらいました。娘は水着を着ていてウベアイスクリーム(フィリピン独特のアイスクリームでウベイモからつくられている。ウベイモはどぎつい紫色です。)を食べているので口のまわりが紫色になっています。すると、そのとき何とぺニンシュラのオーナーが現れてきたのです。私に握手を求めています。私と同じ年ぐらいの中国系の人でした。奥さんは生粋のイギリス人だったので、イギリス紳士を想像していたのですが、違っていました。握手を求められ、とてもきさくに話しかけてきます。彼は「つい先日、日本の文部省の役人が私のホテルに泊まりましたね。」と言っています。私はとても緊張し、だれのことか思い出せずにいたのですが、大使館だよりにそのことが載っていたことを思いだしました。そういえば校長先生が歓迎パーティに参加してたっけ。私は「そのことなら知っています。」といってそのことについて二三の話題を話しました。「香港にもチェーン店があるから是非泊まりに来てください」と言われ、「喜んで」と答えました。



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「フィリピンの事件」