ICA(インターナショナルクリスチャンアカデミー)との交流会
私は日本人学校の国際交流委員会の委員長に任命され、現地校との交流を任されました。ICAは小中一貫の教育で規模も日本人学校と同じということで、交流をお願いしました。六ヶ月ぐらい前から文化・スポーツの交流について話を進めなくてはなりませんでした。職員研修では、この学校の授業を見せてもらったりもしました。ICAの先生は全部女性です。校長先生も女性です。考えてみると、フィリピンは女性の社会進出が進んでいて、大きな会社や銀行の重役はほとんど女性です。アキノ大統領(ニノイアキノの奥さん)が出た背景はなんとなく理解できます。あるとき交流会のことで打ち合わせのため学校を訪問しました。M16機関銃を持っているガードマンが早速私を尋問します。ID(アイデンティフィケーションカード)を預けて、立ち入りを許されました。ちょうど生徒が帰宅するときで、ドライバーさんとメイドさんでごったがえしています。私立学校なので結構金持ちの子供たちが通っているんだなと気付きました。生徒の一人に職員室はどこなのかと聞くと、職員室というものはなく、各先生の個室があるといっています。大学のようなシステムになっているということが初めて分かりました。担当の先生の部屋が見つかると会議室に案内されました。会議室の扉を開けると、なんと女性の先生が20人以上待っているではありませんか。一斉に視線が私に集まり、校長先生には握手を求められます。コーディネータの担当の先生は私にスピーチをしろといいます。英語で・・・・。まさかこんなことになるとは・・・と絶句しました。 そのときふと思い出したのが、日本語でする外国人のスピーチです。発音や文法が変でも、聴衆は結構寛容だったこと、むしろこんなに日本語を覚えてくれてなんとなくうれしいという感情しか残らなかったことです。日本人が千名以上自決したコレヒドール島訪問のときの、流ちょうに日本語を話すフィリピン人ガイドのことも思い出しました。ちょっとイントネーションはおかしくても、全然気になりませんでした。「えーい、友好の気持ちが伝わればいいんだ。」と、自分で納得し、まずはタガログ語であいさつ「マガンダン ハポン イキナ ガガラック コン マキララ カヨ。」(こんにちは、はじめまして、お会いできてとてもうれしいです。)そして次に英語で今日訪れた訳を話ました。合同体育祭に似たスポーツ交流会やバスケット、バレーの試合日程、比日の文化交流会の日程についてのことです。冷や汗が出ましたが、みんな拍手をしてくれました。
 スピーチが終わると、ケーキや冷たい飲み物が用意されています。(いつの間にか近くの店から買ってきてありました。)この対応は、もしかすると日本より素早いなあと感心します。フィリピンがホスピタリティ(歓待)の国と言われるゆえんはこういうところにあるのかもしれません。従軍慰安婦問題やジャパユキさんについてもこういうところに悪い人が逆につけこんだのかもしれません。お金ぬきのことになると、フィリピン人はとても明るく純朴で親切です。いつだったか繁華街で地図を片手に一人で歩いていると、たくさん人が寄ってきて道を教えてくれようとします。こういうことに慣れていない日本人の私は「サラマ」(ありがとう)「サラマ」といってにこにこするだけでした。まさかこんなに人だかりになるとは思えないぐらい人が集まってきました。私が道に迷ってしまったのだと思ったのでしょう。今まで悪い面だけを書いてきましたが、日本人として(道徳的に)負けたなあ、と感じることはよくあるのです。

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彼らのイメージの中の日本