家内の安全
家具
我が家は全壊で家具類、電気器具類は全部だめでしたので、購入致しました。家具では、水屋(食器入れ)等は後ろの壁に取り付ける金具のようなものをもらったので、水屋の背と壁が取り付けてあります。 (長田区、70歳、女性) 最近は突っ張りポール等、さまざまな用具が市販されていますが、突っ張りポールでの転倒防止対策は、ポール面が直接天井面の下地材に当り、反対面も家具の上面の強度が十分耐えられる面に当てないと、折角の補強も効果が半減します、また、一つの家具の四隅付近に四ヶ所程度は理想です。要は、がたつかず建物と一体化させることです。できれば、建て替え時か、改築時に家具類も作り込むことが望ましいですが、既製の家具類も、床面と壁面に直接ビス等でぬいつけて、家屋と一体化すると効果的です。 (東灘区、62歳、男性) 和タンス、洋服タンス、水屋、本棚のような大きな重い家具の前面の両端の下に、厚さ2センチぐらいのかまぼこ板のような約5センチ×16センチくらいの板を新聞紙等で包んで置き、家具を少し傾斜させておきます。おかげ様であの地震でもたおれずにすみましたが、前面に10センチ、場所によって20〜30センチも移動しているのがあったらしいです。しかし、お佛壇と冷蔵庫は何もしなかったので残念ながらたおれました。お佛壇にはお茶を、冷蔵庫には水製品を入れておくので・・・。ご近所のお話を伺ったのですが、すべての道具を壁から10センチ離していたので、何一つたおれたものはないとおっしゃっていました。 (東灘区、77歳、女性) 設計に関しては、間取りの注意点としてタンス等一室にまとめて配置することにして、なるべく部屋には家具を置かないよう工夫した。また、タンスのかわりにクローゼット、押入れを増やして転倒が予想される家具を減らした。 (東灘区、63歳、女性) 寝起きしない室内に大きな道具、あまり使わない物をまとめて置いている(金具でとめている)。 (垂水区、69歳、女性) 震災で近所の家のほとんどでタンスが倒れたりテレビが落ちたと聞いていますが、我が家では入り口の靴箱と、タオル入れが倒れただけで、後になって思えば、部屋のすみからすみまですき間のなかったことが良かったと周りの人から言われます。いくらタンスなど重いと言っても、この度のゆれでは、倒れてしまいます。自分の好きなように家具を置くのではなくて、すき間を作らないことを頭に入れて家具類を置いてはと思います。 (長田区、42歳、女性) 整理ダンスを低タイプ(高さ80センチ位)に替えた。 (須磨区、53歳、男性) 家具は模様替えの際、ガラスの食器棚を上下別々に配置したのでガラスや食器の破損・散乱が軽微に抑えられた。子どもはほとんど物のない部屋で寝ることにしていたので怪我は免れた。 (灘区、45歳、女性) 始めに、A.地震時の左右のゆれはいつも南北方向である。B.地震の水平力は建物の重量と高さ(正式には、重心高さ)に比例する。 以上のことから、費用を要せず、被害を少しでも軽減にするため、下記の項目を実施した。1)家具、家財は正面を東西方向に向けて移設(但し、壁、窓の配置関係も有り、制限も多い)。 2)納戸、あるいは小部屋で、人が常時いない場所に背丈のある家具を移設。3)重量物(本棚、書籍、冷蔵庫、 大型ミシン、ステレオ、仕事用ドラクター/トラッカー)などを2階から1階に移設。4)2階洋室で、フローリングとジュータンの間にフェルトを入れているが、 このフェルトとフローリングを一体化固定する(フローリングの上に直接ジュータンでは、ジュータンと家具が共に左右に移動する。摩擦抵抗が小さいため)。 (須磨区、29歳、女性) |
その他
震災で多くの人が被害を受けた。被害の状況により異なるとは思うが、震災後の家の中を見回して、不要となったもの、不足しているものが、改めて目についた。例えば、我が家では子供達がすでに巣立ち、今や不要となっていたスタンドピアノが振動で横転し、地震後、夫婦だけでこれを整頓するのに苦労した。その後、ピアノは保育園などを対象として寄贈先を探したが、見つからず、結局知人に引きとってもらった。こうしたことを考えると、周辺の被害を受けなかった自治体等と協力し、住民相互で不要となったものを不足しているものと交換、もしくは、安価に売買できるリサイクルマーケットが開かれたらよかったのではないか。この際、是非リサイクルマーケットを創設してみてはいかがでしょうか。
(東灘区、61歳、男性)
私が以前住んでいた大橋7丁目(長田区)で今、環境共生を取り入れたマンション作りに取り組んでいる。その中庭に、雨水を利用したせせらぎを作り樹木を配して、トンボ、鳥等の共生を考えている。もちろん作ることは簡単なのだが、問題はこれをどう利用し管理していくかである。この中庭は広く開かれた広場であり、住民以外の人達にもその利用を考えているが、住民だけの管理ではおのずと限界がある。そこで1つの提案であるが、近くに中学校があるので、理科の授業の一環として利用して頂き、そして、池やせせらぎの清掃を住民と一緒に月に1回行うことにするのはいかがだろうか。そうすれば地域住民とのふれあいもできるし、地域でのボランティア活動にもなり、また、中庭の整備にも役立つと思うのだが・・・。一つのモデルケースに利用すれば、内外に向けて、神戸市として大きなアピールになると思うのだが。…
(長田区、52歳、男性)
震災の時の恐ろしさ、不便さをすっかり忘れかけているこの頃。ガレキの山になってしまった神戸で、自衛隊の人が黙々と懸命に働いてくれたこと。あの若い力と人数がどれほど助けになったことか。災害の時には知事の判断を求めるのでなく、必要と思えば官公庁どこからでも自衛隊出動要請ができれば、もっと敏速にできるのではないだろうか。また、当時外国から来た救助犬が活躍したが、日本でも救助犬を警察もしくは自衛隊で育てたらどうだろうか。
(西区、55歳、女性)
地震は季節や時刻を選ばない。阪神大地震は都市直下型で、その被害の大きさからすでに大量のデータが集められている。しかし、これらのデータはあくまで1月17日5時46分に阪神地区を中心とした地震とその被害、救出、復旧などのデータであり、それは1月の寒期の早朝のものである。他の季節、他の時間帯、そして、平日、休日の差などどう変わるのか。このデータを他に活用するため、諸条件の異なる予想をしておかなければ、阪神大震災のデータは生かされないと思う。夏だったら、お昼頃だったら、休日だったら、条件の変化ですべてが変わってくる。地震は平和な心を急襲してくる。地震は何時発生するかわからない。平和な日常生活の中に突如襲ってくるのが地震である。このような非常体験は、言語では他人に伝達しきれないが、地震対策としていくら器物を揃えていても、地震の急襲による精神的な大きなショックのもとでは充分活用できない。心のショックへの平常からのトレーニングはまず不可能だが、地震対策を論じるうえで、最も必要なことだと思います。
(西区、71歳、男性)
震災は不運。これを幸運へのスタートにする。仮設住宅では不満の声も聞いた。キャンプ生活と思えば楽しむ考えが湧く。慰安行事も、主催者の誠意を思えば元気が出る。顔も知らなかった方々との出会いも楽しい。被災者への物資配給。その心くばりが有難い。私は格別に宗教を信じている訳ではない。が、4年を経た今日でも仮設住宅の生活をなつかしく思い出す。私は海外引揚者である。50年前には、預貯金などすべての財産を失い着のみ着のままであった。それでも10年すれば生活が安定することを体験として知っている。不運の後、昔と同じ形の仕合せは戻らない。が、新しい仕合せは、必ず訪れる。地震の被害は悲劇ではない。試練である。この確信が私の心の復興への活力となっている。
(北区、76,男性)
大震災の体験から、例えば交通途絶の状況下においては通勤が困難となるため、各地区での避難場所や公的施設への出向を決めておくシステムを提案します。公務員の場合は、県職員、市職員の区別なく徒歩か自転車で出勤できる公的施設を決定し、その役割もシュミレーションしておく。民間企業についても同様に、関連企業が事前に調整して、緊急時の参集場所を決定しておく。以上により、ムダな自動車等による通行がなくなり混乱が解消されるとともに、いざという時に、落ち着いた対応がとれると確信します。なお、県職員ではこのシステムを小生が提案して参集カードが配布されていますが、市との連携や民間企業とはまったく連携されていませんので提案します。
(西区、54歳、男性)
災害時から災害後、医療は各個人の人脈等によって結ばれたのみで、地域あるいは機能別病院群として組織的な活動が出来なかった。救急体制を整備されつつあるのは承知しているが、より積極的な指導を望む。例1:各病院・診療所の特徴を自らオープンにすることを指導し、市民が各自の判断で適切な医療機関を選べるようにする。例2:医師会にまかせるのではなく、神戸市自身が具体的な方法を考え作りだしてほしい。特に、自ら名乗り出て活動しようとする個人やグループに対して規制をかけるべきではなく、道を開くべきである。例3:上記を含め、情報を交換できる場を設置し(例えばインターネット上に)、具体的な医療情報がオープンになるよう指導すべきである。
(西区、46歳、女性)
災害時は道路の破損がひどく、且つ交通が混乱し、人・物の移動が長期間にわたり支障をきたした。大阪・神戸間は海上距離が短く、わが社では神戸支店の職員及び神戸市民に対する救援物資の運搬には通船、漁船をチャーターし、ピストン輸送して急場に役立てた(天保山・神戸メリケンパーク片道約50分)。厳密にいえば、法律的には漁船の利用は問題あるかもしれぬが、非常時には行政が各漁協との間で協定を結び、各地区の漁港を利用し、交通物流を確保・利用し、且つ一般人にも活用させれば、それ相当の効果を得られると思う。神戸は漁港が細かく点在している。
(須磨区、62歳、男性)