こころ構え

情報収集・情報確認

阪神淡路大震災発生時、神戸市内では、ピーク時には589ヶ所の避難所に236,899人が避難しました。災害時に備えて、避難場所や避難経路を確認しておくことはとても大切です。実際に自分の足で歩いて、自分の目で、確認しておけば、、災害時にあわてることはありません。また、バス停や自動販売機、お店、公共施設、掲示板等の場所・経路を確認しておけば安心です。

 

  避難場所、安全な所を実際に見て確認しておく(行き止まりに入らない)。

(垂水区、73歳、女性)

  避難場所を事前に確認しておく。

(須磨区、31歳、女性)

  居住近辺の商店マップを手に、東西南北約3キロメートル四方位まで、何がどこにあるのか(自動販売機等を含む)把握した。

(須磨区、53歳、男性)

  交通手段のバス、電車がストップした時を想定して、一駅向こうの駅や停留所まで、実際に歩いてみることが必要です。震災以前に、歩く会に入って、あちこち歩いていたため、あまり抵抗もなく歩けて、必要な場所へ出かけることができました。

(須磨区、65歳、女性)

  日常何時も情報には気を配ること。自分の身は自分が守らなければいけない。神戸の被害の様子を情報を通じて知り、また自分で歩いて確かめる。自分で出来ることがあれば考えて行動する。

(兵庫区、73歳、女性)

  小野市へ避難中有難かったことは、広報「こうべ」はじめ広報紙の送付を頂いて、行政の避難者に関係する各種の情報を、常に承知できたことでした。

(須磨区、77歳、男性)

  広報を聞きのがさないようにする(車で回って来られたそうだけど聞こえないことが多かった)。

(垂水区、73歳、女性)

安全確認

阪神淡路大震災の場合、地震は早期に発生しましたが、すでに多くの人が調理や暖房で火を使用していました。しかし、震度7の激震のなかで火元確認もできなかった人が多く、各所で火災が同時多発するという事態を招きました。電気製品等が火元となることもあります。ガスコンロやストーブだけでなく、電気にも注意が必要です。

 

     絶対にタンス・家具の前には寝ません。倒れたタンスの引出しの間に首がはさまれて、死ぬ思いのこわさ、忘れられません。

(東灘区、64歳、女性)

     震災後を振り返ってみると、簡単そうに見えて実際にはなかなかむずかしいことが数多くありました。まず、ガスの元栓の問題です。日頃より元栓を止める習慣をつけておくことが大切であると感じました。なぜなら、地震と気付いた時には身体の自由がきかなくなっていたからです

(東灘区、73歳、男性)

    逃げる時には、家の配電ブレーカーを切ることを守りたい。地震より、あとの火災が恐いです。近くですぐに火災になりました。

(東灘区、64歳、女性)

    家族の集合場所を決めておくこと。

(灘区、45歳、女性)

    防災の基本は『自分の安全は自分で守る』ことであり、自己責任範囲が大きいことを普段から家族全員に周知徹底させておくことが必要。

(中央区、71歳、男性)

     ちょっとおかしいなと思ったらすぐに手当てをすること。身体であれ家であれ、ささいな事が起きた時、ちゃんと手入れをすると突然大事故が起こっても、生き残れるものだと思う。そして今自分に何が出来るか、出来ることを小さくてもいい、確実に積み重ねていくことだと思う。自分の生活の範囲で背伸びをせずに1つずつ片付けていく…。普段の行いが一番大切。それが回りまわって大変なときの自然な皆の協力というか関係が私を支えてくれたと思う。

(中央区、47歳、女性)

人とのつながり

あの震災の経験を通じて、いざという時にこそ、人と人との信頼関係やつながりが大切であることをあらためて強く感じた人は多いと思います。ここでは、震災から復興への道のりで、人のやさしさに触れ、他人への理解・共感の大切さに気づいたというみなさんの体験談をご紹介します。

 

   重要なことは、何事にもお互いがあってこの世に生まれて、縁あっていろいろな人々とつながりを持って生活をしていることです。日頃から仲良くやって行くように心掛けておくことです。そこにイザという時にはお互いの間に大きな力が生まれてくると思います。

(垂水区、72歳、男性)

    私は、現在住んでいる所に高校一年生まで住んでいたのですが、その後菊水町10丁目(兵庫区)に引越し、その間今の住まいを人に貸していましたが、地震で全壊したため、再建し再び住むことになりました。昔、住んでいたとはいえ、知らない人が多く不安でしたが、幸い、町内での溝そうじ(6月〜9月第1週日曜)、年1回のもちつき大会、地蔵盆の行事で町内の方と顔を合わせることにより顔見知りになり、行事に積極的に参加する動機づけになりました。そういう意味で地域づくりには、行事を幅広い地域の方々で盛り上げることが必要不可欠です。

(兵庫区、40歳、男性)

    私の地域では、被害があまりありませんでしたが、水道が長い間出なくて困りました。私と娘はその間お風呂にも入れませんでした。そんな時に知人から「入りにおいで」と言われてお風呂に入れてもらい、しみじみとお湯の感触に浸りました。困った時にお互いが助け合うためにも、平素からの隣近所の付き合いが大事だと思います。 

(須磨区、51歳、女性)

    震災にあって、一時的に大阪に避難。元々住んでいた十三へ行きました。初めの2日はとりあえずホテルに泊まりました。その日の夜、母の友人で私の”近所のオバチャン”でもあった人が、たくさんの食べ物を用意して部屋に来て下さった時はとても嬉しく思いました。そして、 住む所を探している時、母が昔、勤めていた会社の同僚の方に団地の一部屋を使わせて頂きました。とても運が良かったと今でも思っています。それもこれも、母の人の良さというか、長くお付き合いを続けようとする気持ちから来たものではないかと思っています。最近は、あまり会話したり親しくなることって少ないと思うんですが、やっぱり、できるだけ人とは仲良くしている方がいいと思います。いざという時には、普段からの自分の接し方が、如実に表れてくるのではないかと考えます。助けて頂いた方には、本当にいくら感謝しても足りないほどです。そして、私も、もし誰かに何かがあれば、手助けをしたいと思っています。震災は、いろんなことを考えるチャンスにもなったと今では思えます。人の優しさに会えなければ、こうは思えなかったと思うのも本当ですね。

(垂水区、27歳、女性)

    私は、地震が起きて、近くの大学に避難しました。そこには、顔見知りの方ばかりでなく、近くに住んでいたのにぜんぜん知らない方もいました。私はそこに避難していた方々みんなと仲良くなりました。今でも手紙のやりとりをしたりしています。その手紙には、「あやちゃんが私たちの励みでした。あやちゃんは私たちにとって天使のような存在でした。ありがとう。」と書いてくれていました。その人は、老夫婦でした。私は避難していた方たちに別に特別なことをしたわけではないです。ですから、はじめはなぜ感謝されているのか分かりませんでした。でもよく考えてみると、その方と顔見知りだった訳でもないのに、いっぱいいろんな話しをしていたことに気が付きました。たくさんいろんな話をすることによって、「きっとその人たちの心が和んだんだ。」と思いました。私の笑顔で元気になってくれた人がいたんだ、と思い、すごくうれしくなりました。私は、こう考えました。お年寄りの方といっしょに、何日間か過ごして、いろんなお話しをしたり、いっしょに散歩に行ったり、自由に過ごせる、ふれあいの場をつくって、広告などで呼びかけて募集したりしてほしい。お年寄りの方も、自分も楽しめると思います。是非お願いします!

(長田区、15歳、女性)

    震災時や復興への道のりで頼りになった人は、災害をしっかり把握し、かつ行動的だった自治会長さんです。幸いこわれなかったお宅で炊き出しをして下さり、また、伝え聞いた他府県からのボランティアが応援にきて、炊き出しをして下さり、各家庭を回って屋根のシート張り、飛び散った雨戸入れ、ゆがんだサッシをなおして入れてくれたり。一番大変な時に本当に不自由なく過ごせました。

(東灘区、63歳、女性)

    自治会の会長、役員は、名誉職ではなく、実際に「いざ」という時にすぐ実行動出来る人でなければならない。その意味からして昔あった隣組的な組織が自治会の下になければならない。

(兵庫区、男性)

    私の家の前には1000坪ほどの公園があります。震災時はたくさんのボランティアの人がこられました。私の家には井戸があるので、洗濯機を2台出して皆さんに提供しました。皆さん大変喜ばれました。震災前は公園の掃除を市まかせにしておりました。震災後、主人が自治会長を引き受け、公園の掃除を町内でするようになり、地域の皆さんも積極的に参加されています。公園内に花壇を4ヶ所作り、花を植えて、地域の皆さんにとって交流の場、いこいの場となっています。震災前は、ゴミや空き缶があちらこちらにちらばっていましたが、今はみちがえるようにきれいになりました。夏にはラジオ体操、盆踊り、また若いお母さん方のフリーマーケットと、公園を中心に地域のみなさまとのふれあいが活発になっております。公園内に自治会館建設を計画して今進行中です。これからも地域のみなさまとともに協力しながら、高齢社会に向かってくらしやすい地域にしたいと主人とともに頑張っております。

(東灘区、57歳、女性)

    復興のために一番役立ったことは震災地以外の親族、知人などから寄せられた物・心両面による支援でした。特に、県市による各種支援が役立ちました。急に人間関係をよくすることは出来ないので、平素から遠隔地であっても、親族、知人とは可能な限り仲良く親交をもつことが大切だと身にしみて感じております。 

(東灘区、73歳、男性)

    私は、震災前は隣近所との付き合いは余りありませんでした。震災後、近所のお寺さんに2週間程度お世話になりました。昼間は家におり、毎日毎日、掃除と片付け。そして、水道の復旧までの毎日の日課が水汲みだったと思います。また、ガスが駄目だったので電気ポットで湯を沸かしたものです。みんなが自宅に帰られる頃、やっと近所の人の顔を覚えられたと思います。今はお寺さんで一緒に世話になった人とは一部の人しか会うことが出来ませんが、これからも近所の人との付き合いは大切にしていきたいと思います。今年は自治会の役員をして、近所のふれあいに協力しています。生活が落ち着いてもやはり忘れないもの、それはその当時世話になったお寺さん。生涯の私の想い出に残してゆきたいと思っています。

(兵庫区、57歳、男性)

    地域社会での体験学習を通じて、生きる力を養うことを目的とした教育活動である「トライやる・ウィーク」が兵庫県下の中学2年生を対象として実施されている。地域の方々と一緒に活動することで人とのふれあいを通した心の教育へと広がり、更に、自らも地域の中で生きづいている一員であるという意識の芽生えが、地域と家庭と学校をより深くつなぐ地域活性化と教育の充実に向けた糸口となってこよう。鈴蘭台中学校(北区)の2年生では、6月上旬に行われた「トライやる・ウィーク」で『防災マップ』作りを手がけた。自治会の協力の下に、生徒たちが自分たちの住む街を自らが歩き探索し、送水口(消火栓)の設置場所やその数、緊急時に備えての公衆電話の位置、そして、崖崩れ等の危険地域の実態調査を行い、この結果報告を受けて、写真入りコメントつきの『防災マップ』を作成した。自らで生命を守ろうというこの取り組みは地域のコミュニケーションを高めると同時に、防災に対する心構えの重要性を体験から学ぶことができた。21世紀を担っていく若い力が防災への関心を持つことで尊い生命が守られる一端となるよう願ってやまない。後日、この『防災マップ』を使っての地域での発表会も行われ、賞讃の拍手とともに大きな評価を得たことは生徒たちのかけがえのない財産となったであろう。

(三田市、35歳、男性)