2003.11.27
「石舞台古墳と再会す」

   
             石舞台古墳

 奈良県明日香村は,かつて日本の首都だった。1300〜1500年前のことである。この地でかの聖徳太子や天智天皇が活躍した。そして,明日香は今も人々の心を惹きつけてやまない。私もときに明日香への憧憬を押さえきれなくなったりする。そんなときは,実際に訪れてみるにかぎる。というわけで先週の日曜日,私は明日香へ出掛けた。今回は,藤原宮跡→見瀬丸山古墳→欽明天皇陵→天武・持統天皇陵→甘樫丘→水落遺跡→石神遺跡→伝板蓋宮跡→石舞台古墳の順に見て回った。中でも最も見たかったのは,石舞台古墳だ。なのになぜ最後に忙しく見に行ったのかというと,夕方の石舞台を見たかったからだ。夕日を浴びる石舞台。。。西の彼方には紫色に浮かび上がる二上山。。。最高のシチュエーションだ。
 しかし,そこに到着したとき,太陽はすでに山に隠れていた。タイミングを,逸した。どんどん薄暗くなっていく中で1年ぶりに再会した石舞台は,静かに佇んでいた。寂しさと哀れさとを体現したかのようなその“物体”は,1年前と同じように私の目を釘づけにした。私は思わず,何度もカメラのシャッターを切った。「私は,芸術の始原とでもいふべきものに,立会つてゐる様な気もしたし,建築の美しさといふものの,全く純粋な観念の,ただ中にゐる様にも感じた」。。。石舞台に出会ってそう書いたのは,戦後間もない小林秀雄だったか。そんな小難しいことを書きたくなるような何かが,そこにはある。
 石舞台には何度も行ってみたい。今度行くなら,あえて雨の日がいい。石舞台には,雨こそふさわしい気がする。。。

 余談だが,先日,石神遺跡で三河の地名を記した木簡が多数出土した。当時,多くの三河出身者が同遺跡で役所の雑役に従事していたことを示す貴重な資料だという。その木簡の中には「知利布」という文字も見られた。そう,現在の「知立」である。このことから「当時,知立からも人々がかり出されていた」「当時から『ちりふ』という地名があった」といったことが判明する。知立と明日香とを繋ぐ石神遺跡。今後も発掘調査の結果が楽しみだ。

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