2005.3.6
「鉄砲の里・国友」

   
           「国友鉄砲の里資料館」にて

 「国友」と聞いて,ピンと来る人は少ないだろう。
 「国友」は一時期,確かに日本の歴史を担った。全国がこぞって注目し,利用しようとした。
 かつて「国友」は,日本有数の鉄砲の産地だったのである。
 時の支配者は歴史を動かすが,そういった動きを根本から支えているのは,こういった技術,あるいはそれを駆使する技術者だった。「国友」はその典型だった。

 初めて近江を旅した私は,終点を「国友」とした。“知る人ぞ知る”といった感じがよかったからである。しかし,だからこそ場所が分かりにくい。十分に下調べをしなかったせいもあるが,途中何度も人に尋ね,やっとの思いで「国友鉄砲の里資料館」にたどり着いた。
 こぢんまりとした資料館で,とても人がたくさん来るとは思えなかったが,司馬遼太郎さんは来館したというから,まさしく“知る人ぞ知る”である(ちなみに,司馬さんの魅力を追究しようと思ったら,まずはこういう小さな資料館にも興味を注ぐことだ)。

 中に入ると,まずはスライドを見せてもらった。その後,国友産の火縄銃の数々をゆっくり見せてもらった。火縄銃のポイントは,その銃身にある。それをいかに精巧にこしらえるかが,職人の腕の見せどころである。
 銃身は鉄でできている。職人が鉄を何度も鍛え,仕上げていく。「国友」のこういった技術の高さは,戦国大名に戦いのやり方を変えさせ,城の形態をも発展させた。そして,こういったことに最も敏感だった信長を,天下人たらしめたのだった。
 この資料館で,私は初めて火縄銃を手に持った。鉄身が妙に重かった。なるほど,火縄銃とはこういうものだったか。たった数分,握っただけだが,実感できたことがいくつもあった。歴史は,触れてみるのが一番はやい。

   
                国友の街並

 資料館を出て,街並を歩いてみた。実にしっとりとした雰囲気である。
 あちこちの家の前に立つ石碑は,かつての鍛冶師の邸宅を示すものだった。あまりにたくさんあるので目を引いたが,要するに街全体が職人の集まりだったのだろう。
 しばらく行くと,司馬さんの碑があった。
   
 その通りである。「国友」の街並は,まことに美しい。しかし,それだけでなく,歴然とした自尊心のようなものも脈々と受け継がれているような気がした。人々が先祖を心から誇りに思い,大切にしている。。。「国友」は,そんな村だと思った。

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