〜向山洋一・教育格言集〜



  子どもに会ったとき,「おはよう」と元気に声をかけられる教師は明るい人である。叱るときにも,短くぱっと叱ってくれる教師は明るい人である。



  教育の最も根本的な目標を一つだけ言えと言われたら「人間の生きていく気力を育てることである」と言える。



  ところで「子供がやり方がわからない」ときに教師はまちがえる。「言って聞かせ」「やってみせて」それでもなお「動かない時」にまちがえるのである。ほとんどの教師は,そこでおこってしまうのである。「おこる」「ほめる」は,やったことに対する評価である。まだ「やってない」時,おこってもしかたがない。そんな時は,どうするのか。もう一度「言って聞かせ」「やってみせる」のである。



  私が出会った教師の中で,私がすごいなと思った教師は,例外なく,ほめることの上手な教師であった。そしてまた,けっして,子供の名前をよびすてにするようなことはなかった。



  教育は満点主義を通そうとするとそれを倍する害が出てくるものなのだ。八割主義で私はいいと思う。



  一度動き出した集団を,追加修正で変更させるなどということは,よほどのことがない限り(生命の危険にさらされるというようなことでない限り)してはならない。



  たとえ一分間でも「何をやっていいのか分からない」という状態を作ってはならない。



  まず,教室の子どもたちの実態を正確に理解をすること,ここからすべてが始まる。正確というのは「根拠をもって数値に示せる」ということである。



  秒単位で時間を意識することは,あらゆるプロの基本条件である。



  プロとアマの差はわずか数ミリの差にすぎないが,その数ミリは,どうしようもないほど歴然とした差である。そのわずかの中に,人生がたたみ込まれるほどの労力が入っているからである。



  ぼくは子ども達の選挙というのは,まやかしだと思っている。人気投票とほとんどかわりはないからだ。〈優等生〉と〈劣等生〉の間の溝を固定化させてしまう装置だと考えている。



  ぼくは今の仕事をやり終えた場合,「あれでせいいっぱいでした」と,いうことにしている。その時その時の仕事は,その人間のすべてなのであると思っているからである。



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