飛鳥の山



 飛鳥というのは、本当に山が素晴らしいところです。飛鳥には何度も行きましたけれども、その度にいろいろな山の姿を見ては感動して帰ってきます。
 あるとき、畝傍山に登りました。いわずと知れた「大和三山」の一つです。標高一九九メートルといいますから、大した高さではありません。私は十五分で山頂まで登りました。
 山頂であたりを見回すと、西の方にやけに姿のいい山が見えました。それほど高さはありませんが、透き通るような青色をしていて、麓は白く霞みがかっていました。何より形がいい。もしかしたらいわれのある山かもしれないと思い調べてみると、二上山でした。
 それが二上山を見た最初だったのですが、「なるほど名山とはこういうものか」と感心した覚えがあります。
 飛鳥には他にも名山が数多くあります。かつて蘇我入鹿の屋敷があったという甘橿丘から眺めると、大和三山(畝傍山・耳成山・天香久山)がよく見えます。その三山に囲まれた中央部には藤原京があったのですが、この三山などは溜め息の出るような姿のよさをしています。
 飛鳥の北東には、「神奈備山」(神のおわします御山)として有名な三輪山があります。この山は、見る方角によって美しさがまったく違います。「山の辺の道」を石上神宮から南下してくると、南の方に三輪山は見えてくるのですが、そちらから見るとお椀型のように見えてしまいます。でも、国道一六九号線沿いにある大鳥居の方から眺めると(つまり山を西から眺めることになりますが)、ひときわ秀麗な円錐形をしています。だからこそ、そこに大鳥居(つまり参道)があるのでしょうね。この大鳥居と円錐形の三輪山をセットにした景観、私は好きですね。
 そういえば、日暮れにその国道一六九号線を北上していると、三輪山の上に満月が出ていたことがあります。十二月頃だったと思います。それを見つけた瞬間、私は思わず「おおっ」と声を出してしまいました。あまりに美しかったのです。とても寒かったのですが、私は車を降り、しばらくその月を眺めていました。暗くて残念ながら写真には撮れませんでしたが、あれほどの名月をかつて見たことはありませんでした。これも神奈備山のなせる業といえるかもしれません。

 先日、龍王山という山に登りました。三輪山のさらに北東にある、標高五八六メートルの山です。歴史的には有名な山ではありません。戦国期、その山頂に山城があったといいますが、今はその遺構はほとんどありませんし、この奈良の地で戦国期の遺構といわれても、ピンと来ないのが正直なところです。
 では、どうして登ったのかというと、山頂からの景色が素晴らしいのです。よくガイドブックなどにも龍王山山頂からの写真が掲載されていたりしますが、それをこの目で見てみようと思ったのです。もともと登山も好きですし、一石二鳥というわけです。
 龍王山には、山の辺の道の途中にある長岳寺から登りました。道中は、登山道としては別段険しいわけではなかったのですが、山道をふさぐように伸びている雑草の類と蜘蛛の巣には少々閉口しました。それでも一時間半弱で山頂に到着しました。
 そこからの景色は、実に爽快でした。眼下には、大和三山はもちろんのこと、はるか西には金剛山地も見えます。金剛山地の北の端が二上山です。山の辺の道の方に目を落とすと、箸墓古墳・景行天皇陵・崇神天皇陵などもよく見えました。
 この日は盆地全体に霞がかかっており、ガイドブックと同じような景観とはいきませんでしたが、その霞んだ具合もまた一興でした。
 それにしても、この盆地の眺めは、その凝縮感が何ともいえませんでした。私の見たいものがすべて入っているのです。それをゆっくり眺めながら、かつての盆地はどんな姿だったのだろうと考える。実にぜいたくな時間を過ごすことができました。
 今度は是非、二上山に登ってみたいですね。二上山の方がハイキングコースらしくなっており、登山者も多いようです。また、歴史的にも大変有名な山であります。天武天皇の子、大津皇子が処刑されたあと、二上山に移葬された話は有名ですし、『万葉集』にも詠まれるくらいですから。

 飛鳥の山は、何度見ても飽きることはありません。なぜこれほどまでに魅力があるのか、私には十分説明できませんが、一ついえることは、いにしえの人々も間違いなく私と同じような感想を持ったはずだということですね。