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技術への憧憬
生徒会で、ステンドグラスをつくることになりました。来月、「三年生を送る会」というのがあるのですが、その際、在校生の手でステンドグラスを体育館に飾ろうというわけです。その下準備は、生徒会メンバーと、生徒会担当者の私がすべてやらなければなりません。今日はその下描きをしたわけです。
ただ、ステンドグラスの一枚は、縦一四〇センチ・横一六〇センチという大きさで、それが十三枚もあるのです。こういったことに素人な私たちには、なかなかの難物であります。
そこでお手伝いいただいたのが、美術部顧問の小林義和先生です。小林先生は本校の美術科教諭で、それはそれはとても穏和な方です。今回の企画でも、材料選びの段階からアドバイスを下さるなど、生徒会を援助して下さっていました。とてもありがたいことです。
今日は、下描きの下描きを小林先生がやって下さったのです。ステンドグラスは、アスファルト紙という特殊な紙でつくります。その紙の上に、小林先生がチョークで下描きをされるのです。ほとんどは文字ですので、つまりレタリングの技術の問題になります。大きさが大きさだけに、バランスも難点です。また、ステンドグラスですから、一文字をいくつかに区切らないといけません。その区切り方も素人には非常に難しいのです。
これらのことを、小林先生はあっという間にやってしまいました。もちろん、はやいのには訳があります。一つ一つの技術が極めて確かなのです。
チョークを使うときは、教師用の大きなコンパスの先につけて、それで描いていました。その方が全体のバランスが見やすい、とのことでした。最初にチョークで紙の四方に印を付け、そして字の骨組みを描いていきます。それに肉をつけます。ここらへんのレタリングの技術はまったく揺るぎのないもので、無駄な動きはありません。私は見ていて感心してしまいました。
これらの作業は結局、五十分ほどで完了しました。生徒に指示をしながらでしたので、その気になればもっとはやくできたはずです。
「美術の教師だから、これくらいはあたりまえです」
と小林先生はきっとおっしゃるでしょう。でも、私はそこに技術の確かさを感じ、わくわくするような気分になりました。私も四時間かければきっと同じことはできるでしょうが、五十分と四時間の技術の差は、あまりにも大きいと思うのです。
「技術」の偉大さを感じさせてくれる歴史上の人物に、村田蔵六(のちの大村益次郎)がいます。彼は技術というものをことさら重要視し、その習得のために半生を費やしました。彼の場合、その技術の興味は、医学から始まって蘭学へと行き、最後は兵学に至りました。その結果、蔵六は宇和島で蒸気船をつくることに成功し、江戸では上野戦争で彰義隊を殲滅させました。まさしく技術の確かさが、彼を歴史の表舞台へと押し上げたのでした。
司馬遼太郎さんの『花神』で、蔵六がつくった蒸気船が無事に進水した折、宇和島藩の家老が蔵六に向かって子供のようにはしゃぐ場面があります。そこで蔵六はこういいました。
「進むのは、あたりまえです。あたりまえのところまで持ってゆくのが技術というもです」
これは小説ですから、このせりふはもちろんフィクションなのでしょうが、しかし蔵六はきっとこういうことをいうに違いないですね。蔵六はたいそう無愛想な人間だったといいます。そのため必要以上に誤解を受け、それが彼の人生に災いをもたらしたのは事実でありましょう。しかし、この男の技術だけは本物でありました。
元来、日本人は技術というものに対して敏感でした。先ほどの蒸気船の話もそうですが、たとえば火縄銃の話も有名ですね。日本で最初に火縄銃が伝来したのは天文十二年(一五四三)の種子島でしたが、その一年後にははやくも国産の火縄銃が製造されています。日本が「技術」好きだったという証左といえましょう。
話がややオーバーになったかもしれませんが、しかしそれほどに私には技術への憧憬があるのです。小林先生のそれは、技術というより「技」といった方がふさわしいのかもしれませんが、とにかく私などには到底できないことを見せられ、感動した次第であります。
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