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奈 良 散 歩 A
中宮寺本堂
私たちは講堂を巡り、回廊の外へ出た。いよいよ大宝蔵院へと向かう。さぞかし小林先生は胸を躍らせているだろうと振り返ると、氏は聖霊院に上がり込み、御朱印をいただいているところだった。氏のこういったマイペースなところが、私は好きである。
大宝蔵院は平成十年(一九九八)に完成したばかりで、法隆寺の宝物を多数所蔵している。小林先生の到着を待ってから、その建物に入った。
入るとそのすぐ左手に、その絵はあった。和田英作の、
「金堂落慶之図」
である。大正七年(一九一七)の作とあるが、それ以外には何の説明書きもない。これは小林先生に聞くしかないと思い、氏の隣に立ってこの絵をゆっくり眺めることにした。氏の旅行記によると、
この絵は、和田英作四十四歳の大正七年に描かれ
た、想像による歴史画である。想像といっても、背景
の「金堂壁画」の細部や登場する人物の衣装など
は、和田ならではの写実性がある。これは、法隆寺
創建当時の金堂落慶の様子である。中央の一層着
飾った男性が聖徳太子であろう。右隅の柱の前で思
惟のポーズをとる人物が、とても気になる。油彩画に
しては艶がなく、おそらく、西洋のフレスコ画を意識し
て、揮発性の高い油で、薄塗りに仕上げたと思われ
る。
「もっと近くで見たいなあ」
と小林先生はいった。柵があるため、間近に近づくことができないので、氏は双眼鏡を取り出し、覗いている。和田のサインを探しているらしい。
「和田英作にしては薄い仕上がりですよ。壁画の様子をえらい忠実に描いてるなあ。しかし、艶がないなあ、本当に」
和田の絵に造詣の深い氏からすると、どうも艶のなさが気になるらしい。
私は以前にも、この絵をここで見たことがある。見てはいるのだが、そのときはほとんど通り過ぎてしまった。無知とはそういうものである。
それにしても、見れば見るほど見事な絵である。柔らかな、そして深みのある写実性といえばよいのだろうか、それが古寺の雰囲気にマッチしている。和田には、同じような歴史画として「憲法発布記念式」がある。歴史教科書には必ず登場する名画で、私はその絵も好きである。
この宝蔵館には、他にも見所はたくさんあるのだが、私が最もひかれたのは、
「百済観音像」(国宝)
だった。これまた何度見ても見飽きない像といえる。まずはその背の高さに圧倒される。二百十一センチもあるという。この像は、法隆寺の古い記録には一切記録されていない。江戸時代になって初めて文献に登場するくらいで、その頃は、
「虚空蔵菩薩」
と呼ばれていたらしい。最初に観音と呼んだのは、明治になってからの岡倉天心一行ではないかと思われる。つまり、当初から百済観音と呼ばれていたわけではなく、よって百済でつくられたという説は誤りらしい。
この像は、展示されている場所の照明の関係で、やけに白く見える。これほど大きく、白さを強調されると、私などはある種の恐れを感じてしまう。
この像を見るには、正面からではなく側面からがいい。側面から見ると、その体のスマートさがより強調される。表情も正面とは違う。正面から見ると幼く見えたりするが、側面から見ると老婆のように見える。しかし、いずれにしろ見るからにやさしく、美しかった。崇高の極みの表現といってもいい。恐れとやさしさとを同時に表現している点が、この像のもっともすぐれた点かもしれない。
西院を出て、東院にある夢殿へと向かった。夢殿(国宝)は、聖徳太子が創建した斑鳩宮跡に建てられた。夢殿の本尊を、
「救世観音像」(国宝)
という。平安時代から秘仏として崇められ、寺僧すら実見することは極めて稀だったという。そのベールを脱がせたのが岡倉天心であり、アーネスト・フェノロサだったことは有名である。
一度だけこの像を実見したことがある。不気味な像だった。木像だが金箔が施されており、口元にはいわゆるアルカイック・スマイルを浮かべていた。私もこれまで多くの仏像を見てきたが、この救世観音と飛鳥寺にある飛鳥大仏だけは怖くて仕方がない。ただ、救世観音を拝観できるのは四月と十月のみというから、残念ながら今回は拝観できなかった。その代わりといっては何だが、私は夢殿のすぐ北にある中宮寺に寄ってもらうことにした。
中宮寺に行くのははじめてである。中宮寺はもともと今の地ではなく、法隆寺の東五百メートルのところにあった。聖徳太子が母・間人皇后の宮跡に建立したという。
私にはどうしても見たいものがあった。本尊の、
「弥勒菩薩半跏像」(国宝)
がそれで、以前、東京・上野の国立博物館で見たことがあった。そのときは思いがけぬことで、友人とそのポーズをまねてはぐるりを凝視していた。しかし、仏像は本来あるべき場所がある。その場で見ると、また違った表情を見ることができると思ったのである。
中宮寺の建物は、とくに見るべきものはない。本堂も昭和四十三年(一九六八)にできたもので、耐震耐火構造のその建物はいかにも近代的で、古寺の本堂と呼ぶにはふさわしくないが、弥勒菩薩はその中に安置されている。
本堂に向かって階段をゆっくり上がっていくと、本堂の中央に菩薩は置かれていた。本堂の畳の上に座り、私は手を合わせ、その像を見上げた。
この像は楠でできていて、かつては色鮮やかに彩色されていたが、今は黒くて一見、金銅仏のように見える。飛鳥時代の彫刻だが、何といってもその表情がいい。口元はやはりアルカイック・スマイルを浮かべているが、救世観音のそれとは雰囲気がまったく違う。ひたすら静かに、そしてやさしいのである。
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を左膝の上に置き、右手を曲げてその指先をかすかに頬に触れている。人間の迷いをいかに救おうかと思惟しているその姿に、私は見とれてしまった。仏像の存在が人々にとって癒しになりうるとすれば、この仏像ほど人々の心を癒してくれる仏像もないのではないか。
私はこの上なく落ちついた気持ちになり、手を合わせ続けた。その隣で、小林先生は脇に展示してある瓦を模写している。
それぞれの時間が、ゆっくりと流れている気がした。(つづく)
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