春の東京散歩B

  
            東京大学構内

黒田清輝

 私にはこの日のうちにどうしても寄りたい場所があった。
「黒田清輝記念室」
 がそれで、上野公園のはずれにある。入室は無料だが、公開が木曜と土曜の十三時から十六時の三時間のみなので、そのつもりでなければ見ることが難しい。
 幸い今日は土曜日だが、時計を見ると十五時を過ぎてしまっていたので、記念室まで走ることにした。しかし、この時間になって上野公園の花見客はますます多くなっている。公園内の道という道はどこも大いに混雑して、思うように前へ進むことができない。かなり気をもんだが、二十分ほどでやっと記念室の前に到着した。記念室の脇にも見事な桜があった。ここも満開である。
 さて、黒田清輝である。清輝は慶応二年(一八六六)、鹿児島市に生まれた。父は薩摩藩士だった。五歳のとき、叔父・黒田清綱の養嗣子となる。絵を描くようになったのは十二歳の頃で、高橋由一の門人だった中学教師につき、鉛筆画ならびに水彩画を学んだ。十六歳で彼は法律を学ぶため、フランス語を学ぶようになる。十七歳で外国語学校フランス語科に編入、翌年にはフランスに留学した。以後、しばらくフランスに滞在する。
 明治十九年(一八八六)、二十歳になった清輝は法律大学の聴講生となるが、パリ滞在中の山本芳翠らに画家になることをすすめられ、ラファエル・コランに師事する。翌年、法律学校に入学するもすぐに退学、アカデミィ・コラロッシのコラン教室において絵画を専修する。油彩画をはじめたのは二十二歳のときで、以来、油彩画の制作に没頭する。
 最初に入選したのは、明治二十四年(一八九一)、二十五歳のときの「読書」だった。明治二十六年(一八九三)、帰国。明治二十九年(一八九六)、五月に東京美術学校の講師となり、翌六月には、
「白馬会」
 を創立する。明治三十年(一八九七)、第二回白馬会に「智・感・情」「湖畔」などを出品、翌年には東京美術学校教授となった。明治三十三年(一九〇〇)、三十四歳のときに渡欧、パリ万国博覧会に「智・感・情」「湖畔」などを出品し、銀賞を受賞した。
 大正十三年(一九二四)、東京・麻布の自宅で死去、享年五十八歳。その際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるようにと遺言したため、それを受けて建てられたのがこの記念室である。
 記念室の建物に入り、二階へ上がる。雰囲気のよい木造の廊下を行くと、はやくも正面に名作が見えた。「湖畔」である。湖畔に女性が着物を着て座っている。女性は手に団扇を持ち、遠くを眺めている。
「湖畔」は明治三十年(一八九七)の作品で、同年の第二回白馬会に出品された。
 その年の夏、清輝は照子夫人を伴って避暑のため箱根に行った。

  私の二十三歳の時で、良人が湖畔で制作している
  のを見に行きますと、其処の石に腰かけてみてくれ
  と申しますので、そう致しますと、よし明日からそれ
  を勉強するぞと申しました。……雨や霧の日があっ
  て、結局一ヶ月ぐらいかかりました。
                 (画集『黒田清輝展』より)

 この絵は、その透明感がよい。色調が実に淡い。よって、何もかもが涼しげに見える。女性の、遠くを見ている視線もほどよい。それにしても、清輝の夫人は極めて美しい人だったことがこの絵からわかる。
 他にも心に残る作品はあった。たとえば、「雲」である。六枚組の作品で、鎌倉の空の刻々と変わっていく雲の様子が描かれている。タッチは思ったより大雑把で意外な気がしてしまうが、その中に微妙な空の光と、雲の様子を実に巧みにとらえている。
 もっとも気をひいたのは、「昔語り」という作品である。残念ながら、その完成作は焼失してしまったので、現在は下絵とデッサン画を残すのみだが、それらすべてが展示してあり、それらを見るとこの大作の制作の経緯がよくわかるようになっている。
「昔語り」は、清輝が帰国直後、京都旅行に出掛けたときに清水付近を散策していて構想を得た。清閑寺の寺僧に悲恋の物語を聞かされ、清輝は現実から離脱するような不思議な感覚におそわれたという。その感動を絵にしたのである。
「昔語り」に登場する人物は六人いる。中心は、身ぶり手ぶりをまじえて熱心に物語りする僧で、それを五人が聞いている。中でも中央でキセルを持ちながらしゃがみ込んで聞く仲居と、男と手をつなぎ、男の肩にもたれかかる舞妓の様子には注意がゆく。
 驚くべきは、その人物ひとりひとりの精巧さで、実は清輝は、それらについてこれまた精巧なデッサンをしている。たとえば、つないでいる手の部分や、肩にもたれかかっている手と頭の部分など、あらゆるパーツを丁寧にデッサンし、それらを集合させて一つの作品に仕上げている。
 私は、一枚の絵に対する一画家の手のかけように感じ入った。大作とはこのようにして誕生するのである。そこにコストパフォーマンスという言葉は微塵も存在しない。そういった世界が現実に存在し、それが現代人をも感動させている点が、私には素敵に思えた。(つづく)