高取城

  

 奈良県の明日香村の南に高取山という山があります。標高五八四メートルといいますから、それほど高い山ではありませんが、この山頂にかつて城がありました。高取城です。
 高取城と聞いて、「ああ、あの城か」とわかる人は少ないかもしれませんね。まあ、それほどメジャーな城とはいえませんが、それでも「日本三大山城」の一つには挙げられています。ちなみに、江戸時代、大和高取の大名は植村氏でした。徳川家の譜代としての歴史はかなり古いものがあったんですが、石高はわずか二万五千石でありました。
 先月、その高取城を見てまいりました。山頂へは車で行きました。舗装してある山道を突き当たりまで行きますと、その先は歩いてしか登れません。その先はもはや高取城内です。
 私が高取城で楽しみにしていたのは、司馬遼太郎さんがかつてここを訪れたときに、

  最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコールワットに入った人の気持がすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた。
           (『街道をゆく』「大和・壺阪みち」より)

 と書いたような感覚を味わうことでした。一体、どんなものかと思いました。

 高取城は、本当にすごいものでした。山の山頂に、忽然と石垣群が姿を現すんです。まさに古代遺跡の雰囲気に近いものがありました。
 まず最初に目にしたのは、復元された石垣だったんです。これは別にどうということはないんですが、その周囲にある苔生した石垣の数々……にわかには信じられないような光景でした。つまり、かつて大きな石をこの山頂まで運んできて、ぎっしり積み上げたわけです。その石垣の規模が半端じゃありません。よくぞこれほどのものを造り上げたものです。
 しかし反面、私はあきれてしまいました。築城についてコストパフォーマンスを考えるのはナンセンスかもしれませんが、それにしても割に合わない仕事に思えますね、これは。まず第一に、こんな山頂にこれほどまでの石垣を組む必要があるかということですね。あったのかもしれませんが、私は「実は度が過ぎた」んだと思うんです。もしかしたら、敵に対する恐怖がそうさせたのかもしれませんが、人間の必死の営みは、時に滑稽だったりしますから。
 私はこの城の全貌をこの目で確かめようと、かなり歩き回ったのですが、あまりの規模の大きさに、歩き疲れてしまいました。何せ、すべて山道です。正直、「これじゃあ、誰も攻めて来んじゃろう」と思いました。
 でも、別のいい方をすれば、攻める前の敵にそう思わせたのならば、それはそれで十分に抑止力としての役目を果たしているわけですから、この築城は意味がないわけではないということにもなります。
 結果的に、私は物理的にも精神的にも、この城をつかめきれずに下山してきました。ただ、やっぱり根本にあるのは人間の臆病な心だったんではないかと思いますね。これは結構重要な点ではないかと思います。そして、私たちはこれを笑うべきではありません。
 かつて、薩摩の伊地知正治と西郷隆盛が部屋で話しておりました。突然、何やら物音がしたんですが、伊地知は何事かと驚き、とっさに庭に逃げ出し、それを見た周囲の家来たちが笑ったといいます。そのとき、西郷のみは、「さすがは伊地知先生」といいました。
 つまり、「名将とは、人一倍、臆病でなければならない。臆病だからこそ、いろいろ策を考え、物事に慎重にあたる」ということなんですね。だから、臆病だからこそすごい、ということにもなるんです。徳川家康なんかもそのいい例だと思います。
 高取城も「臆病だからこそすごい」という類なのかもしれません。