美濃人として

  

 昨年の夏、生まれてはじめて郡上八幡に行きました。私はもともと本巣郡糸貫町(現・本巣市)の生まれで、高校卒業まではそこに住んでいましたが、愛知の大学に進学して以来、岐阜を離れて生活してきました。もう十数年が経ちます。自分にとって、岐阜が少し遠い存在になりつつある時期だったかもしれません。
 昨年、ふと司馬遼太郎さんの『街道をゆく』を読みました。その中に郡上八幡城のくだりがありまして、

  頂上の天守台へのぼると、高塀に額縁された狭い
  空間にびっしり雪が降りつもり、その雪の上に四層
  の可愛らしい天守閣と隅櫓がそこに置かれている
  ように立っていて、粉雪という動くものを透して見て
  いるせいか、悲しくなるほどに美しかった。

 と書いてありました。そんな城ならこの目で見たいと思い、雪の季節ではありませんでしたが、友人と一緒に出かけたのです。
 郡上まつりはまだ始まっていなかったので、町は思ったより静かでした。私たちは一目散に郡上八幡城へと向かいました。
 城は、深い緑の山の上に、ぽつんとありました。司馬さんのいうように、本当に可愛らしく、美しく思いました。
 城からは城下の様子を見下ろすことができました。郡上はまさに盆地ですね。山と山のすき間に家が密集しています。中央には川が流れています。夏の風物詩、新橋からの飛び込みで有名な吉田川です。総じて、
「隠国」
 という言葉がぴったりの風情でした。
 城下町も歩いてみました。私は城下町というものが好きなのです。城下町には今も独特の雰囲気がありますね。そして、この郡上の町も例外ではありませんでした。それは何ともいえない、目には見えない秩序に守られているようでもあり、住む人々の自尊心がにじみ出ているようでもありました。加えて、しっとりとしたやさしさも感じられ、私はうれしかったですね。
 また、城下の水がまことにきれいなのにも感心しました。郡上は水の都、ともいわれますが、まさにそのとおりで、あちこちにある水の流れはどれも澄んでいて涼やかでした。
 私は郡上からの帰り、とても気持ちが高揚していました。思わぬところに宝物を見つけたような、そんな気分だったかもしれません。
 私の中にはやはり、故郷・岐阜を想う気持ちが流れているのでしょうね。岐阜が遠くなりつつあると自分では思っていても、心の奥では、
「美濃人」
 でありたいと願っているのでしょう。
 岐阜には他にも数多くの歴史的遺産があります。何も岐阜城や関ヶ原だけが歴史ではないのです。郡上のような小さくても美しい歴史をより大切にし、守っていく。こういったことが、たとえば観光というものを考える上でもヒントになるのではないでしょうか。
 私はこれからも美濃人として、機会あるごとに故郷の歴史にふれていきたいと思っています。
 先日、山口県山口市に行ってきたのですが、私が宿泊したホテルのすぐ脇の公園に幕末の浪人、所郁太郎という人物の記念碑がありました。どうやら瀕死の重傷を負った井上馨の命を救った医者らしいですね。何と出身が美濃赤坂といいますから、私の実家からごく近いところです。とりあえずしばらくは、所郁太郎という人物について調べてみたいですね。