一斎と「言志四録」

      
              佐藤一斎座像


 かつて小泉首相が国会で、

  少くして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にし
  て学べば、則ち老いて衰えず。老にして学べば、則
  ち死して朽ちず

 という古い言葉を引用したことがあります。あれの出典は、佐藤一斎という人物の『言志四録』という書物でして、当時、少し話題になりました。私も、ときの首相がこういった儒学者の古い言葉を引用することをとても興味深く感じました。
 この一斎という人物ですが、出身は美濃国であります。私はもともと美濃の出ですから、美濃出身の人物にはとても興味があります。それでいつも、果たして美濃の人で日本史に最も誇るべき大人物はだれであろう、というような一種の愚問を思ったりするのですが、それは佐藤一斎ではないか、という気が今はしております。
 一斎は美濃国岩村藩の家老の息子でありました。幼いころから儒学を学び、二十一歳のとき、江戸にて林家の門下生となります。三十四歳で林家の塾長、そして七十歳にして昌平黌の大学頭になります。今でいえば、東京大学総長のようなものですね。以来、大学頭を八十八歳で亡くなるまで務めました。
 一斎には著書があります。さきほど紹介しました『言志四録』でして、『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』の四編からなります。これが実にいいのですね。小泉さんが引用した文章の他にも名文が多数ありまして、かの西郷隆盛は『言志四録』から自分の気に入った文章を一〇一条選びまして、『南洲手抄』として編んでおります。あの大西郷にさえここまで尊敬される人物、ということですね。
  
 先日、岐阜県東濃にある岩村城跡を訪れました。これは日本三大山城に数えられる名城ですが、私はその城下町も歩いてみました。昔の風情をそのまま残そうという町の人々の努力がよく伝わってくる町でした。その中に、かつて紺屋だった家がありました。今は染め物はしていないのですが、江戸期の家屋の様子がよくわかるたたずまいで、有料ながら公開されておりました。そこで案内の女性にいろいろお話をうかがったのですけれども、その方がおっしゃるわけです。
「ぜひこれを買われるといいですよ」
 すすめてくださったのは、地元の有志が発行している一斎の名言録集でありました。その方は一冊を取り出して、そのページをわざわざ開けられ、
「私はこの文が好きなのですけれども……」
 と、ある条を紹介してくださいました。
 そういえば、この町のそれぞれの玄関先には、どこにも木札がかかっているのです。その一枚一枚には選ばれた一斎の言葉が書かれていまして、それを大切に掲げているのですね。かなりの力の入れようと思いました。
 私はそのすすめられた本を買い求め、その日からその本の素読をやってみることにしました。一斎はそれらをもともと漢文で書いていますから、漢文の素読ということになります。
 ちょっと話がそれますが、漢文の素読はいいですよ。江戸時代、日本では素読が教育の方法の主流でした。たとえば、吉田松陰の松下村塾などでもそうです。これは実は昭和に入っても、やっていた人はやっていたのです。吉田茂とか、湯川秀樹とか。司馬遼太郎もそうだったらしいですね。湯川博士などは、のちに中間子理論をひらめく素地はこの素読でできたと語っているくらいです。
 以来、毎日、私もやっているのですが、読むほどに一斎のすぐれた部分が感じられるように思います。ぜひみなさんにも一斎を声に出して読んでいただきたいと思うわけです。