東大寺の十七夜

  
              二月堂の灯籠


 私が東大寺をどうしようもなく好きになったのは、
「お水取り」
 を見たからだろう。
 今年の三月、私は生まれてはじめてお水取り(正確には「修二会」という)に出かけたが、春の兆しがちょうど見えはじめたころ、二月堂の舞台に猛々しい、
「お松明」
 が走るのを見て、なるほど、これはまさに春をよぶ行事なのだと実感した。
 そのあと、ゴールデンウィーク中にも一度、東大寺を訪れた。そのときには二月堂の舞台に立ち、やさしい夕陽を静かにあびて実に幸せな気分になったものである。
 それから四ヶ月が経った。今年三度目の東大寺である。
 この日は午後から急に雲行きがあやしくなり、友人と一緒に東大寺に向かって歩き出したころには、今にも雨が降りそうだった。
 この日、つまり九月十七日は東大寺の、
「十七夜」
 である。
 二月堂では、毎年この日に法要を行うらしく、三月堂と四月堂の間では季節はずれの盆おどりも行われるという。それが夕方六時過ぎから行われるため、それにあわせて陽が傾きはじめてから東大寺を訪れたのである。

 大仏殿に入ろうとしたとき、とうとう雨が降りはじめた。はじめての、雨の東大寺である。
 友人に請うて、大仏殿前の中門で雨宿りすることにした。中門の石段に座り、しばらく雨の中の大仏殿をながめた。
 それにしても、大きい。もう十回以上訪れている場所なのに、その存在感には毎回、驚くほかない。私は、その存在感によって圧倒されるのを楽しむように、そこにいた。
 大仏殿の大きな屋根を雨が一通り濡らした。雨は若干、台風めいていることもあり、ときに斜めにも降ったが、それがかえって大仏殿の不動感を引き立てた。
 雨の大仏殿もいいものだと思った。

「盧舎那仏坐像」
 を拝んだ私たちは、雨の南大門をくぐり、門前にある食堂で夕食をとった。
 窓から外の風景を眺めていたが、観光客はつぎつぎに東大寺境内から出ていくようだった。店内も客が一人消え、二人消え、ついに私たちが最後の客になった。
 何もかもがさびしく見えた。
 夕食後、再び南大門をくぐり、そのまま二月堂に向かって歩いたが、人影はやはりまばらだった。お水取りのときとは様子がまったくちがっていた。
 そして、三月堂の手前でやっと人々の喧騒が聞こえてきたので、私は安堵した。
 三月堂と四月堂のあいだにはヤグラが組まれていた。そのまわりをハッピにねじり鉢巻きの人々が往来し、盆おどりの準備をしている。
 二月堂を見上げると、舞台の上部にぶらさがっている釣り灯籠に灯がともり、舞台のまわりや向かって左手の石段には淡い明かりの行燈が並んでいた。
 二月堂の舞台に上がろうと思い、右手の石段を登ろうとした。すると、そのすぐ手前に出店が並んでいて、金魚すくいがあったり、綿菓子・助六寿司・三色だんごなどを売ったりしていた。しかし、この雨の中ではそういうものさえさびしさを引き立てるものでしかなかった。

 舞台に上がった。思わず、はっ、となった。
 なるほど、この時間帯にここに上がると、奈良盆地の夜景がよく見える。美しいとは聞いていたが、それが真実だということをこのときはじめて知った。
 舞台上は橙色のやさしい光の空間になっていた。それは足元にたくさん並べられた行燈の光であり、ろうそくの光であった。この上なくやさしい空間だった。
 下からはいよいよにぎやかな盆おどりの唄が聞こえてきた。どうやら河内音頭らしい。その音頭にあわせ、人々の輪が動きはじめた。
 正直にいうと、その音頭はこの時期や場所にふさわしいとはいえなかった。だからこそ、私はいっそうのさびしさを感じてしまったが、そもそも奈良ではこの十七夜盆おどりがその年のおどり納めであり、人々はこの盆おどりで夏を送り出す。その意味では、この盆おどりはどこまでもさびしくてよかった。

 人々はおどり続けている。
 それを眼下に感じながら、私は舞台の欄干にもたれかかり、奈良盆地の明かりをながめ続けた。
 夏は、終わった。