あとがき(『竹内・葛城のみち』)

  
                二上山


 奈良は山が実にいいですね。そして、今回訪れた葛城山麓というのは、同じ奈良でも奈良公園や飛鳥とはまた雰囲気のちがったよさがあり、私は心ひかれます。
 司馬さんの『街道をゆく』にこのような文章があります。

  葛城をあおぐ場所は、長尾村の北端であることがの
  ぞましい。それも田のあぜから望まれよ。(中略)大
  和で、この角度からみた景色がいちばんうつくしい。

 私は今回の旅の終わりに、司馬さんのいう長尾の地を通ってみました。
 ちょうどあたりは暗くなりはじめており、目の前の葛城山や二上山は闇を形成しつつありました。私は車をとめ、近くにあぜ道をさがしました。適当なあぜ道はなかったのですが、すぐ近くにため池があり、その土手に上がって、司馬さんのいう景色を眺めてみました。やはり一段と目をひいたのは、二上山でした。
 二上山を見るときは、その上空の表情にも留意する必要があります。二上山は雲の様子や空の色によってその感情を表すかのようで、それは刻一刻と移ろいでゆき、私はその一瞬々々を見逃すまいと、カメラを構えながら山の様子を凝視しておりました。
 二上山ほど写真に収めるのが難しい山も珍しいかもしれませんね。表情の変わりようのはやさは他の山にはないように思いました。だからこそ、二上山のもつ「悲しみ」のイメージが一層深く感じられるようでもありました。
 結局、撮った写真に満足できるものは一枚もありませんでした。でも、私はプロのカメラマンではありませんから、それはそれで構わないのです。
 それよりも、美しき夕焼けの時刻に司馬さんの思い出の地にいられたことが、私にとっては実に意味のあることでした。