新薬師寺


  


 かつて奈良町を歩いていたとき、店の女主人に、
「春日大社から南、新薬師寺あたりのよさがわかるようになったら一人前です」
 というような話を聞いた記憶がある。たしかに、観光客があふれる奈良公園からはわずかにはずれる地域である。
「そんなものかもしれない」
 そう思ったりもしたが、いつも奈良に来れば、興福寺や東大寺に足を向けてしまう私にとっては、何となく足が遠のく地域でもあった。
 昨秋、はじめて新薬師寺を訪れた。しかし、その日は東大寺の一七夜で、その夜までのあいた時間に駆け足でのぞいただけであり、周辺の趣を感じる暇などなかった。今回はもう少し落ち着いて、その周辺を歩いてみたいと思った。

 春日大社は、初詣客でにぎわっていた。私も皆にまじって神様への挨拶をすませると、そのまま南へとつづく細い山道を歩いた。
 春日大社の奥には春日山原始林があり、春日大社と同じく世界文化遺産に登録されている。要するに今にいたるまでほとんど人間に触れられていない森林で、春日大社の神域である。その麓を歩いていく。春日野とよばれる地域だが、原始林ほどではないにしろ、古代より森林を大切にしてきた日本人の息吹が伝わってくるような、そんな場所だった。
 目の前が開け、舗装された道路が現れた。この近くに志賀直哉旧居があるが、そこには寄らず、さらに南下して新薬師寺をめざした。道が細く、その両脇には土塀があったりする。
 間もなく、新薬師寺前にたどり着いた。新薬師寺は、天平年間に光明皇后が夫・聖武天皇の眼病平癒を願って建立したのがはじまりとされる。その後、奈良時代には法隆寺なみの大寺となったが、度重なる火災や自然災害のため、平安末期には伽藍のほとんどを失った。
 しかしながら、現存の本堂は創建当時の建物で、国宝である。入母屋造り・本瓦葺きの簡素な建築のそれは、かつてはもちろん本堂ではなく、伽藍内の一建築にすぎなかった。それを現在は本堂として扱っている。こぢんまりとしたいい御堂である。全体的に平らな感じを与えるが、それが古代の建築らしくていい。たとえばそれは屋根の勾配にも表れる。新薬師寺本堂の屋根には勾配があまりない。よって屋根の高さが低く、建物全体も平らになる。
 屋根に勾配をもたせるようになったのは、武士であった。武士にとって建物に威容をもたせることは実に重要なことであり、それは寺院建築の修理にも影響した。
 現在、修復作業が進められている唐招提寺の屋根の勾配も、創建当時はもっと緩やかだった。それを江戸時代に修理したとき、勾配をより強くし、威容をもたせた。そういった美意識を決して否定はしないが、もともと古代建築だったものに武士の思考を反映させるのはおもしろいとはいえない。その点からも、薬師寺本堂の建築に私は心から好感をもつ。
 本堂内部に収められているものも素晴らしい。十二神将立像である。いずれも塑像で、像高は一五三〜一六六センチある。本尊の薬師如来像を守護すべく、本尊の周囲を囲むように立って目を光らせている、という趣である。
 特筆すべきは何といっても伐折羅像である。一言でいえば、体全体で「怒」を表するかのような像といえる。とにかく形相が凄まじい。目は飛び出しそうなほどにひんむかれている(目にはガラス玉がはめられている)。口では何かを一喝し、毛髪はすべて逆立っている。よって、顔全体が炎のようにも見える。顔自体は、正面から見るとあまりいい顔とはいえない。横から見た方が断然強そうであり、勢いがあって格好いい。体は、全身を鎧のようなもので固めている。鎧はあつく、それが幾重にも重ねられている。右手には大刀をもち、それを今にも引き払おうとしている。腰回りは思ったより華奢で、それに比べて肩から腕まわり、下半身などはたくましい。そのアンバランスが絶妙な迫力を生んでいるといえる。身のこなしも只者ではない。見るからに気力が充実し、腹が据わっており、全身の各部分も決まっている。
 本堂内はただならぬ空気が漂っている。少なくともそれは安らぎの空間ではない。その雰囲気はまさに十二人の神将によって醸し出されたものだが、ことさら伐折羅の存在感によるものといっていい。それらに守られし本尊は、さぞかし心強いことだろう。
 私は伐折羅が好きである。もともと仏像などを見たりするのは好きだが、お気に入りの像となると、そう多くあるものでもない。ことさら好きなのは、興福寺の阿修羅像、東大寺戒壇院の広目天、そしてこの伐折羅ということになろうか。そんな像に新春早々から会うことができ、私はうれしかった。

 新薬師寺から出て門前に立ったとき、どこかで見たような風景だと感じた。 
 入江泰吉の写真に「新薬師寺門前付近」(一九六〇年十月)という作品がある。門前から東に向かってのびる細い道と、そこにたたずむ野良犬を写したもので、もちろん道は舗装されておらず、道幅も大人一人分しかない。雑草にまみれているような、何でもない道だったが、なぜか忘れられずにいた。
 それと同じ場所から同じ道を眺めている。道はきれいに舗装され、道幅も倍以上になっている。雑草が覆い茂っているということもない。ゆえに、趣というものが悲しいまでに削減されてしまっていた。
 私は新薬師寺付近を歩き、女主人のいう「一人前」になれそうな気もした。しかし、それ以上に、すでに失われてしまった古きよき日本の風景が偲ばれてならなかった。