|
出雲のみち @
旅の時期:平成19年3月30日〜4月1日
出雲大社
出雲へ
昨年の大晦日のことである。
夜、私はテレビを見ていた。NHKの「紅白歌合戦」も終わり、「ゆく年くる年」がはじまっていた。今年はどこの寺院の鐘を放送するのかと興味深く見ていると、まず東京の柴又帝釈天がうつった。つづいて京都の知恩院の風景となり、僧が身をひるがえし、渾身の力で鐘をつく姿がうつし出された。一見、古寺には似つかわしくない、あまりにアクロバティックな動きに、思わず感嘆の声をあげていたそのときである。
画面はふたたびきりかわり、どこかの夜景がうつった。町の灯はまばらであった。どうやらその鐘は、町を見おろす高台にあるらしかった。その高台にあるさまがとても印象的であった。そして画面に、
「光明寺」
という文字が出され、私ははっとした。これは、かつて司馬遼太郎さんが訪れた寺ではなかろうか。
司馬さんの『街道をゆく』シリーズに「砂鉄のみち」というのがある。これは街道を「砂鉄」を主題にたどっている点がおもしろく、魅力的である。舞台もいい。
司馬さんが旅したのは、旧国名でいえば出雲から吉備の山中にかけてで、このあたりは古代よりまさしく砂鉄のみちであった。古代より日本では砂鉄から製鉄をやった。その製鉄の技法を伝える遺跡や資料館が出雲周辺にはある。それらを司馬さんは日本海側から山に向かうかたちでていねいにめぐっている。砂鉄を主題にしているため、出雲大社などは気にされていない。
出雲大社から東へ二十キロほど離れた山中に光明寺という小さな寺があり、司馬さんはここも訪れている。旅に同行していた李進熙氏がその寺に、
「朝鮮鐘」
があることを教えたのである。朝鮮鐘とは、朝鮮で鋳られ、日本に渡来してきた鐘で、全国に五十四個あるという。李氏はその名が示すとおり在日朝鮮人の考古学者で、「母国への思慕」から全国の朝鮮鐘をめぐっている人であった。
この鐘を司馬さんは「古朴ながらひどく優雅でもある梵鐘」と評している。
以上、私が生まれたころの話である。
番組では、寺と在日朝鮮人とのかかわりについても説明があり、いよいよそれが司馬さんの訪れた寺と同一だという確信を得た気がした。
しかし、あとでわかったことだが、これらの寺は同一ではなかった。番組で紹介されていたのは、山口県下関にある光明寺であった。建立は昭和二十三年だという。
下関の光明寺について詳細を調べようと思い、パソコンに向かったが、どれだけ調べても情報らしい情報がなかった。
「韓寺」
とは、そういう存在らしい。
勘ちがいついでに、「砂鉄のみち」をもう一度、読みなおしてみることにした。すると、やはり朝鮮鐘にまつわるくだりがもっとも興味深く感じられたのである。どうして朝鮮鐘のことがこれほどまでにわが琴線に触れたのかはわからないが、あるいはそれは下関光明寺での在日の人々の真摯な姿が、ときどき脳裏に浮かんだからかもしれなかった。
このとき、私は光明寺の鐘を見に行こうと決めたのである。そしてせっかくだから、出雲の鉄の国、神の国としての側面なども見てみようと思った。
出雲を訪れるのははじめてである。
旅の道づれは、今回もM君にお願いしていた。ところが、旅の直前になってM君から連絡が入り、どうしても仕事の都合で行けなくなったという。自ずと今回は一人旅にならざるを得なくなった。
余談だが、知人に出雲市の東隣にある斐川町の出身のHさんという女性がいる。歳はもう五十を越えているが極めておだやかな人で、言葉遣いから所作まで万事のんびりした印象を与える人である。そのあまりのおだやかさに、私が思わず、
「出雲の方は皆、そんな感じなんですかね」
と聞くとHさんは、
「そうよ。言葉はゆっくりで、はっきりとしないの。ちょうど東北弁のしゃべり方に似てるのよ。松本清張の『砂の器』、読んだことないの? あんな感じよ」
といった。残念ながら『砂の器』は読んでいないが、Hさんのような人が多いのはたしかなのだろう。さらにHさんが、
「私はこっち(愛知県)へ来て、はじめて喧嘩する人を見たわ」
といったのにはさすがに吹き出してしまったが、もしかすると出雲あたりの空気をあらわすにはちょうどよい言葉であったかもしれない。
Hさんは、出雲の神話についても話をしてくれることがあった。
Hさんが話をしてくれたのは、記紀(『古事記』と『日本書紀』)にあるオオクニヌシノミコト(大国主神)やスサノオノミコト(素戔嗚尊)の話である。ただ、一般的にはオオクニヌシやスサノオといった出雲の神が登場する神話を出雲神話とよんでいるが、実際には出雲に関する神話というのはより多彩である。記紀のほかにも『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』といったものがあり、それぞれに独特の神話が存在するのである。たとえば、オオクニヌシの八岐大蛇の逸話は、記紀には見られるが風土記には登場しない。一方、風土記の方には国引き神話とよばれるものがあるが、記紀にはない。
(つづく)
|