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越前ゆき
夏の終わりに越前を訪れた。
越前といえば、一乗谷があり、永平寺がある。私はこのとき、そのどちらにも赴いたが、永平寺で覚えたある種の怒りはしばらく忘れることができないかもしれない。
寺院が商業主義に走る行為は、個人的にはまったく受け入れたくないが、一方である程度そうせざるを得ないのも理解はできる。その点、ある程度まで妥協する気持ちも、私は持ちあわせているつもりである。
ところが、永平寺のそれははるかに限度を超えていた。
まず門前からしていけない。その喧騒はひたすらいかがわしくあり、とくにスピーカーで店の人々ががなりたてるのには怒りを覚えることを通りこし、呆れるほかなかった。
さらなる問題は境内にあった。おどろおどろしい大きな新築の建造物はまるで新興宗教のすがたをしており、厄介なことにその建物と中心伽藍は廊下でつながっているのである。人々はそのおぞましい建築物内の通路をベルトコンベアーにのせられた商品のごとく歩かされねば、伽藍に辿り着くことができない。
罪が大きいのは、これが道元を祖とする曹洞宗の総本山・永平寺ということである。いや、正確には道元はもともと教団として寺院を経営する気など皆無で、そもそも永平寺の存在など認めたくないであろうが、そこは百歩譲ったとして、せめていにしえよりの禅風をできるかぎり現代に表する場であってほしいと思うのである。
しかし、その思いと現実(それは巨大な商業主義そのものであった)とのギャップのあまりの大きさにはひたすら閉口するしかなく、永平寺に多少なりとも期待をもってやって来た己が馬鹿に思え、無性に腹が立った。
夕方、越前を出ようとしたとき、同行したMさんが、
「ぜひ日本海の寿司が食べたい」
と熱望した。永平寺で不快な思いをした私は、気を取り直すつもりで賛同し、車を海岸へと走らせた。
越前海岸をしばらく行くと「滝の川」という寿司屋を見つけた。
中に入ると、感じのよいカウンターがあり、その奥で若い大将と奥さんが笑顔で迎えてくれた。
大将は軽やかに話す、ユーモアあふれる人だった。この人のおかげで私たちはどれだけ笑わされたかわからない。
途中、大将が、
「福井は文化を大切にしない」
という話をはじめた。大将いわく、福井は柴田勝家・佐々木小次郎・松平春嶽らを出したが、そういった人々に関するものが十分に残っていないという。ただ、そこには多分に福井県人としての謙遜が込められており、言葉を額面どおりに受け取る必要もないと思ったが、仮に大将のいったことが真実だとして、しかし、と私は思う。残っていないのも残念なことではあるが、奇妙なかたち(それはまるで奇形児のごとくであったりする)で残ってしまっているほうが実は悲しいことなのではなかろうか。
私はそのとき、大将には永平寺の話をしなかったが、ふとMさんの顔を見ると、Mさんには私の心が伝わっているらしかった。
「滝の川」の大将がにぎる寿司は、うまかった。おまけにカワハギの煮付けや、まんじゅう貝と称する大きな貝を焼いたものも美味で、Mさんの酒もいつになくすすんだ。
私たちは(店内ではあったが)日本海を背にし、カウンターに座っている。それにしても、日本海を背負って寿司を食うというこの感覚の何と贅沢なことか。
この日の私は、その贅沢さにやっと救われる思いがした。
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