長 岡

  
         長町の河井継之助記念館(右)


 以前から長岡を訪れたいと思っていたが、今年の夏、その願いがかなった。
 たとえば幕末の長州と長岡とを比較してみたい。
 長州は、イメージとしては明朗快活、自由な雰囲気もあり、それが度を超して過激になりすぎることもあった。人物としては、吉田松陰・高杉晋作らの名がすぐに頭に浮かぶ。
 対して長岡のイメージは、何となく重く、暗い。そのイメージの根源は「雪国」という地理的条件もあるだろうし、「常在戦場」という長岡藩の藩訓にあるかもしれない。人物には、河井継之助や小林虎三郎がいる。

 長岡のまちはしっとりと落ち着いていた。
 わが国においてかつて徳川三〇〇年のうちに熟成された「藩風」というものが今日、すべて失われてしまったとは私には思えない。その点、長岡のまちはその藩風を他の場所以上に感じられる土地であった。
 私は長岡滞在中、長岡駅付近を好んで歩いた。長岡駅付近にはかつて長岡城があった。その城下町であったはずの街路を、長岡藩士になったような気分でスタスタ歩いた。
 城下には、継之助邸跡や五十六の高野家跡、藩士の菩提寺や藩校跡などがあった。そのいずれにもある種の切なさを感じたのは、見る者が長岡の悲運を知っているからであろう。
 これほど無性に切ない気持ちを保ちつつ、その土地をめぐる体験は私にとってはじめてだったかもしれない。
 長岡とは、そういう土地であった。