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 坂を上りきると金堂がある。平安初期の建造で国宝に指定されているが、これがまた実にいい。
 これまで多くの寺院を目にしてきたが、これほど趣を感じさせる金堂には出会ったことがない。正面・側面ともに五間。現在の屋根は柿葺きで、柱の組み方など簡素な構造が特徴的である。その簡素さがこの室生の山の雰囲気に合致し、何ともいえない空間を醸し出している。何より派手さがまったくなく、ひたすら虚飾を排してそこにあるのが素晴らしい。江戸時代に正面の一間通しに外陣を付け加えているので、それがなければさらによかっただろう。
 金堂ばかりに目を奪われがちだが、その左右もなかなかのものである。
 左手には、
「弥勒堂」
 がある。これは鎌倉時代のもので、正面・側面とも三間。屋根はこれも柿葺きで、まことにこぢんまりとした建物であり、
「もし庵を結ぶのであれば、こういう建物がいい」
 と思わせる様子のよさだった。
 一方、右手には、
「天神社」
 というものがある。質素な拝殿の奥に苔生した小さな石段が続いていて、その先にかわいらしい社があった。古代神道を思わせる素朴さである。
 寺院の境内に神を祀ったりする、
「神仏習合」
 の動きは八世紀頃から始まったとされるが、室生寺もこの流れを受け、守護神として神を祀ったのである。
 金堂の内部を覗いてみた。いくつもの木像が並んでいたが、やはり目をひいたのは、中心に安置されていた一木造りの御本尊、
「釈迦如来立像」(平安初期・国宝)
 だった。高さは二メートルを超える。見事に全体の均整がとれており、衣のみは朱に塗られている。その流れるような衣の様子は、
「室生寺様」
 と呼ばれる独特のものである。
 金堂周辺を十分に堪能したあと、さらに上へと上がった。
 本堂は、真言密教で最も大切な法儀とされる灌頂を行う場所であり、灌頂堂と呼ばれる。これも鎌倉時代のもので国宝だが、私にとって今ひとつだったのは、堂の表に、
「三葉葵」
 の紋が見えてしまったからである。三葉葵はいわずと知れた徳川家の紋で、江戸時代、徳川家の手がこの寺に入ったことを思えば、その紋があってもおかしくはないのだが、この場合はやけに俗物のように思え、似つかわしくなかった。
 さらに行くと、そこにはかの有名な国宝・五重塔があり、私は小さく声を上げた。見るからに小さく、まるでミニチュアかと思うような塔だった。
 高さは十六メートル。屋外に建つ五重塔では国内最小という。柱や欄干は朱塗りで、白壁が必要以上に人工的に見えた。それもそのはずで、平成十年九月、この国宝は台風七号によって大きな損傷を被ったが、二年後、修復が完成し、今日に至っている。つまりリニューアルした塔であり、その点、金堂や弥勒堂のような落ち着きぶりには欠けるが、カメラを持った人にとっては実に絵になる塔で、私も思わず何枚か写真を撮った。これほど写真写りのいい塔も珍しいのではないか。
 そして、最後に奥の院をめざすことにした。まずは、賽の河原なる場所を通過することになる。なるほど、あたりの岩の上には石がいくつも積んであり、まるで三途の川を行くような気分になる。その先を見ると、はるか頭上まで石段が続いている。そのまま天上へと続くのではないかと思いたくなるほど、その坂は急である。その石段を、人々がゆっくりと上がっていく。その様子は山伏の修行のようでもあり、あるいは極楽浄土への過程のようでもあった。
 私も、その石段を登り始めた。始めのうちはかなり元気に、半ば駆け上がるようにして行ったが、途中、かなり疲れて、何度か石段にしゃがみ込んでしまった。その目の前を、お婆さんが数人、連れ立って歩いて行った。
 やっと登りきった頂上には、弘法大師を祀る大師堂があった。板葺き二段屋根で、各地にある大師堂の中でも最古級の堂だという。私はそこでしばし休憩し、辺りの山々を見渡しては写真を撮った。

 室生寺は、室生の深山幽谷のかたちに応じて伽藍が自由に配置されていて、見事というほかない。しかも、入山した人は、どんどん山を登ることによって、人生の始まりから極楽往生までの道のりを、まるで体験した気分になってくる。
 室生寺は、四季でいえば、きっと冬に訪れるのが最適かもしれない。もし雪などが適度に降り積もれば、国宝の五重塔が文句のつけようのないほど美しくなり、人々を感動させるに違いない。金堂や弥勒堂も静かに雪を被り、虚飾のなさを一層際立たせるだろう。
 そういった自然との調和を大切にすることが、奈良の山寺の極めてすぐれた点といえる。