土岐・美濃焼の里

 


 ある日、ふと円空仏を見に郡上へ行こうと思った。郡上といっても郡上八幡のほうではなく、それより十キロほど南の美並である。美並の資料館には約百体もの円空仏があるらしい。それを見たかった。
 ところが、である。東海環状自動車道を走る途中、ガソリンがもう残りわずかなのにやっと気がついた。このままではとても美並までもちそうにない。仕方なく、美並の手前の多治見でおり、給油することにした。
 無事に給油を済ませると、同行のMさんがいった。
「このまま多治見あたりを見てもおもしろいんじゃない?」
 いわれると、そんな気もした。多治見・土岐のあたりはいわずと知れた作陶の里で、土岐の山麓には古窯跡もあると聞いたことがある。そのあたりを一度訪ねてみるのもいいだろう。
 私たちは国道十九号線を東へ進み、いつの間にか多治見から土岐へ入っていた。「道の駅」の看板を見つけた。そういえば、Mさんはなぜか「道の駅」が好きだった。看板を見つけてしまった以上、これはきっと行かねばなるまい。それに、二人とも朝から何も食べていなかった。「道の駅」で朝・昼を兼ねた食事をするのがいいかもしれない。
 土岐インターをさらに北へ、山道をどんどん上っていくと、
「道の駅 志野・織部」
 があった。駐車場がせまい。私はそれだけでこの「道の駅」に過度の期待はできぬと思ってしまったが、実際はそうではなかった。駐車場の割に建物は大きい。その入口では、地元の人々が収穫したてらしい野菜を売っている。建物の中に入ると、左手に感じのいい雑貨店とひつまぶしの店があり、正面には今どき流行のスイーツを店頭に色とりどりに並べたケーキ屋もあり、その二階はカフェのようになっていた。そして、一階の奥は美濃焼をメインにした土産物屋だった。私たちは早速ひつまぶしの店に入り、私はひつまぶしを、Mさんは冷製うどんを注文した。
 この「道の駅」は山にある割には洒落ている。食事のあとにのぞいた雑貨店には、カラフルな江戸手ぬぐいがたくさん置かれていて、思わず足を止めてしまった。多くの絵柄は夏をイメージさせるややポップな感じのもので、実に趣味がよかった。それらを手にしては、これが素敵だの、あの色が気に入っただの、二人で談義し、結局それぞれ一枚ずつの手ぬぐいを買った。
 そのあと、「道の駅」からすぐのところにある美濃焼の工房をいくつかまわり、最後に古窯跡へと向かった。
 窯の跡は山の麓にあるが、細い道を行かねばならぬため、山の下にある駐車場に車をとめ、集落の中を通るアスファルト道を歩いて上った。途中、竹藪があり、そこを通過しただけでMさんは蚊に刺されて一騒動となったが、十分弱で窯跡にたどり着いた。
 窯跡は、その全体が保存のために建物で覆われていた。正式な名称を、
「元屋敷窯」(国指定史跡)
 という。桃山時代、美濃は国内有数の施釉陶器の生産地だったが、この登り窯はその頃につくられたもので、全長約二十五メートル、幅約二メートルある。発掘されたのは一九五八年というから、それほど昔の話ではない。
 建物の中に入ってみた。窯は、屋根に相当する部分がなく、底土が大きな階段状になって露出している。その土は、高熱で焼けたことを思わせる赤色をしており、よく見ると大小の陶片がいくつも散在している。その荒々しい土の様子が二十メートル以上も下へとつづいているさまは、それだけでなかなかの迫力があり、圧倒される。
 この窯は、天然の谷の傾斜を利用してつくられている。その谷を下りていった先には、小さな谷川が川面をキラキラさせていた。そして、谷川の向こうには見事な美田が広がっているではないか。この日はよく晴れていた。よってその田の緑が太陽の光を反射させて光り、わが目に眩しく見えたのが心地よく感じられた。まだ梅雨は明けていないが、まぎれもなく真夏の風景であり、思いがけずそんな一風景が見られたことも私たちにとっては楽しいことであった。