|
おちょぼさん
初詣に行こうと思いまして、どこへ行こうかといろいろ考えておりました。昨年の初詣は三重の多度大社に参りました。個人的には結構お気に入りの神社なんですが、続けて同じ神社では面白くありませんので、思案したんです。
私は岐阜の出身であります。岐阜の一の宮といえば、関ヶ原に近い南宮大社なんですね。ここへ初詣に行ったことも何回かあります。そこから南東へ十キロほど行ったところに、通称、
「おちょぼさん」
と呼ばれる稲荷神社があるんです。子どもの頃、よく家族で行った覚えがあるんですけれども、どうやらそこは「日本三大稲荷」の一つ(残る二つは,京都・伏見稲荷と愛知・豊川稲荷)に数えられる名社らしいんですね。久しく行っておりませんし、じゃあ、行ってみようと思ったんであります。
「おちょぼさん」は、旧平田町にあります。現在、平田町は「平成の大合併」で「海津市」になっていますね。私の住む知立市から海津市へは、伊勢湾岸道路から東名阪自動車道へと入り、桑名インターで降りるのが最速です。そこからは国道二五八号線をひたすら北上します。その途中に、多度大社の前を通ることになります。
この日は、ちょうど多度山にさしかかる辺りから、雨が降り始めまして、それはすぐにみぞれへと変わりました。ちょうど多度山は養老山地の南端でして、ここから北へ山地が続くんです。これがなかなかの山地でして。それほど高さはないんですが、国道のすぐ脇に連なっているもんですから、結構な迫力なんです。所々、雪が積もっているのが見えました。
多度大社前の渋滞を抜けますと、いよいよ「おちょぼさん」が近づいてきます。ちなみに、「おちょぼさん」というのは通称でして、正式名称は、
「千代保稲荷神社」
です。大祖大神、稲荷大神、祖神が祀られておりまして、年間二百万人以上の参拝者があるといいます。
この神社は、文明年間、森八海という人物がこの地に、かの源八幡太郎義家から授けられたという源氏の霊璽を祀ったのが始まりといわれています。森八海を開祖とし、現在で十九代目になるそうですね。名の由来ですが、義家の六男義隆が分家するとき、祖先の霊璽、宝剣、義家の画像の三点を、
「千代、千代に保っていけ」
と賜ったことからきています。
やっとのことで「おちょぼさん」に着きますと、まず目にはいるのが大きな鳥居ですね。朱色が鮮やかな、小綺麗な鳥居です。それをくぐると、参道が伸びています。「おちょぼさん」名物の露店の並びが左右に続いています。これが見ていて実に楽しいんですね。串かつやもろこなどの食べ物から、熊手などの飾り物、鞄や衣類、玩具の店もあり、何となく胸が躍ってしまいます。いろいろ物色したいのは山々でしたが、とにもかくにも参拝を済ませなくてはなりません。
社殿は、実にこぢんまりしたものでした。社殿は少し小高いところにあり、そこへ登る石段があるんですが、その手前でお供え物を売っているんです。参拝者はそこで三十円を出し、油揚げと蝋燭を買い求めます。蝋燭は社殿前の蝋燭立てに立てまして、油揚げは、お賽銭とともに社殿前の賽銭箱に投げ入れます。そして、「二礼二拍手一礼」を行うんですね。ただ、この日はあまりの混雑ぶりに、礼も拍手もままなりませんでしたが。
参拝が終わると、私は、
「やまと」
という川魚料理の店に入りました。「おちょぼさん」は川魚料理も有名なんです。この店はどうやら鯰料理で有名らしく、かつて秋篠宮殿下もいらっしゃったそうです。ただ、何となく鯰を食べるのには勇気が要ったので、鰻丼ともろこの佃煮を注文しました。この佃煮がまた、「おちょぼさん」の名物なんです。かつて家族でここを訪れると、父は必ずこの佃煮を親戚の分まで買っていました。自分で買ったのはこれが初めてのことで、何やら嬉しいような恥ずかしいような気分になりました。
「おちょぼさん」は、その社殿自体は誠に質素なもので、
「これが三大稲荷なのか」
と思ってしまいます。しかし、ここの真骨頂はこの参道筋なんですね。露店が並び、人の波は途絶えることがありません。ですから、ここのよさを十分に味わいたいと思ったら、「やまと」のような店に入ってしまうのが一番いいですね。とくに参道側の席に座布団を敷いて座り、日本酒を飲みながら参道の様子を観察するのが、この上なく楽しいことのように思われます。今回、私は車で行きましたので、酒を飲むわけにはいきませんでしたが、また来たときには是非とも実現させたいと思いましたね。
それこそ「やまと」の座敷から参道の往来を眺め、佃煮をつつきながら思ったのは、このご時世になっても、やはり、
「不易」
のものがあるということです。それがたとえば初詣だったりするわけです。
日本人の心に根づいているというか、日本人の日本人たる所以といってもいいと思いますが、そういったものの存在をひしひしと感じる、正月の参道筋の光景でありました。
|