《発祥》
陰陽道はその名前の通り、道教の『陰陽五行説』を基としたであろう、と推測されています。まあこれは、ほぼ外れようもないでしょう。
尤もそれだけではなく、風水や易などを初め、儒教や仏教、さらには日本の神道の要素までが含まれている事から、陰陽道というもの自体は、日本で体系化された物である、という説を私は支持しています。しかし一方で『これは中国で生まれたものだ』という人も存在しています。
要するに、その発祥はどのあたりであるか、というものがはっきりしていない訳です。
ただ、陰陽道という呼称は日本ではわりと知られていますが、中国ではあまり陰陽道という呼称は聞かれない、という事は確かですが。
実は、陰陽道には何故か『これが陰陽道の術である』というものが、全くと言ってよいほどに見受けられません。
呪術的なもののほとんどが、呪言道や神道、仏教や道教などのそれであり、ぶっちゃけた話、色々な呪術系統の寄せ集め、という言い方もできるわけです。
尤も、好意的な見方をすれば、雑多に存在する呪術を、五行説に照らし合せて再整理した、とも見られる訳ですが、少なくとも『陰陽道』独自の術形態は、存在していません。
そんなわけで、平安期以降、術の系統としての陰陽道はほとんど存在せず、故にその名前を騙(かた)る術師が蔓延してしまう、という事態が起こってしまう訳です。
それが、後に陰陽師の役割を誤解させる種になるわけですが……それは後述します。
日本で陰陽道が公的に認められたのは天武天皇の御代で、676年に行政機関としての『陰陽寮』が誕生しました。
平安時代の頃が最も栄えていましたが、実はなんと江戸時代の末期まで、その影響力は存在していました。
尤も、明治維新以降は衰退の一途を辿り、つい最近まではほとんど忘れられていた訳なのですが。
中国では『風水』などに役割分担されていた『地占』や『暦』なども、日本では陰陽道として一括されており、実のところ、呪術がどうのというよりも、むしろこちらの方が重要な役割を果たしていました。
地占は字義の通りですからはしょるとして、暦は単にカレンダーを作るだけではなく、年間行事なども司っています。また、天文学としての側面も存在していました。
そして、陰陽寮には時間を告げる役割もありましたから、中世において、この陰陽道が生活に密着していたという事がわかると思います。
つまり、陰陽道においては呪術だのは副義的な物に過ぎず、故に実のところ、大して重視されていたわけでもありません。これがもてはやされたのは、ほとんど平安期のみで、その後は生活に直接関係のない呪術などは、細々と存在していたに過ぎません。
陰陽師というと『陰陽道の呪術を使う術師』という誤解がまかり通っていますが、これは大きな誤りです。
まず『陰陽師』という呼称は、『陰陽寮に勤める道士』である事が必須ですが、それだけでもありません。
『陰陽師』と呼称される者は、『陰陽頭(おんみょうのかみ)』と助(すけ)・允(じょう)・属(さかん)の三人、陰陽・歴・天文博士が一人ずつ、漏刻博士が二人、そして実務を担当する助手が合計六人。全国で合計15人だけが、陰陽師を名乗れる訳です。
つまり、どこの馬の骨とも知れぬそこいらの術師が『陰陽師』を名乗るなどおこがましい、という事です。
解釈のひとつとして、『陰陽道の呪術を使う者』というものが存在しますが、これも誤りです。
前述の通り、陰陽道には確立した術、というものが存在しません。逆を言えば、適当な術を『陰陽道の術だ』と言っても、誰にも分からない訳です。
つまり、正式の陰陽師以外の者は単なる『術者』に過ぎず、陰陽師を名乗るのは二つの意味において誤りなのです。
さらに言うと、陰陽師は技術職であり、血縁に譲渡されるものではありませんから、子孫がこれを名乗る事も無論できません。
いま呼称される陰陽師とは、適当な後ろ盾のない木っ端術師などが威を借りたいばかりに『陰陽師』を僭称していた、その名残です。無理に呼称をつけるなれば、『五行道士』や『五行道法師』などが、まだ正しい呼称と言えるでしょう。
現代ではオカルトのひとつとして扱われる陰陽道ですが、実は現代においても『仏滅』などの六曜や、『鬼門』などの方位や家相に関する用語など、生活の中に密かに息づいているものです。
さらに中世においては、暦を作成して行事を仕切ったり、時を知らせて日々の暮らしの目安となったりと、陰陽道は『なにやら怪しげなもの』ではなく『日々の暮らしの目安』であったわけです。
蓋を開けてしまうと、なにやら面白みのない代物ですが、実際問題、現実なんてそんなもんです(笑)
尤も、だからといって現在出版されている小説などの類を否定するつもりは、さらさら無いということを、明言しておきます。
作品としては、確かに面白い物も多いですから。
これを記したのは、そんな重箱の隅つつきをしたかった訳ではなく、実際を知る事で、そういった作品をいろんな角度から楽しんでもらいたい、という趣旨から発したものなので、そのあたりを誤解がないよう、お願いしたいと思います。
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