《由来・別称》
元々は、東アジアでは珍しくもない『森羅万象には神(精霊)が宿る』という思想が基となっていますが、それが発展――或いは変化――して、『人型(ひとがた)の物には魂が宿る』などといった思想が広まっていきます。
そして『念を込めた人形(ひとがた)には魂が宿る』と言った思想が生まれ、『相手に見立てた人形を作れば、念が相手に届く』といった風に変化し、ついに『人形を憎い相手に見立て、念を送って呪う』という、厭魅の方式が確立しました。
厭魅が庶民にも広く広まったのは平安の頃ですが、それまでにも術師達が念を送る(この場合は呪いをかける時とは限りません)為の触媒として、厭魅の術を使用しています。結果、この術もかなり昔、遅くとも奈良時代には確立されていたと推測されます。
ちなみにこの術は、大陸から伝わる前から存在していたようで、やはり同系列思想の所有者である以上、似たような事を考えるのはやむも無し、といった所でしょうか。
厭魅、という単語自体を知っている方は少ないと思いますが、逆に、この術の方式を知らない方も少ないかと思われます。
いわゆる『丑の刻参り』とか『呪いの藁人形』と呼ばれるものの事です。
ご存じの通り、人形をした人形(ひとがた)、紙代(かみしろ)、藁人形なんかを呪う相手に見たて、それを針で刺したり釘を打ち込んだりなどして、相手を呪います。
ちなみに、矢で射抜く方式の事を『仙法(そまほう)』、槌(つち)で叩くものは『天神法(てんじんほう)』、釘や針を突き刺すものは『針法』と呼ばれます。
怨を持った者が、簡便に相手を呪う事が出来るとして、平安時代から現代まで、密かに伝わってきた厭魅の術ですが、ただ相手に怨を送るだけでは効果が薄いと言われます。
そのため、術者自身が己の身を傷つけ苦しめる事で、その苦痛をもってさらに基の怨を増し、呪詛の念を強化する、という方法が取られてきました。
結果、呪った相手も呪っていた本人も墓の中、という事態が相次いだと言われます。
『人を呪わば穴ふたつ』とは、こういう事態から生まれた言葉なのでしょう。
厭魅の用途といえば無論呪いなのですが、この術のの亜種には、それ以外にも用途が存在しています。
例えば、灯籠流しや人形流しには、生者の病素や悪運などを人形に移し、それを流す事で冥界へと送ろうとする用途があります。
人型などには魂が宿る。だから病気や悪運も、人型にも宿る。なれば人型に悪運を持っていってもらおう、と言う訳で、旧い厭魅の術者は、呪いではなくこう言う時に活躍していたそうです。
厭魅の触媒を『方代(かたしろ)』と呼ばれる事がありますが、これには『人型をとった代物』という意味以外に、『肩(方)代わりしてくれる代物』という意味があります。
太古の昔から伝わる、ろくでもない呪いの術である厭魅ですが、その用途は呪いの為だけではなく、現代の風習にも残るような、厄払いの術であるという一面もありました。
今現在、常識として知られるものや単語なども、改めて調べてみると、意外な事実や履歴などが分かるかもしれません。
一度、お試しあれ。
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