蠱毒

《由来・別称》

 蠱毒は、その起源がかなり古い呪術のようで、その根元を辿るのはどうやらかなり難しそうです。
 『隋書』、つまり隋の公式歴史書にはすでに記述があった、といいますから、恐らくは少なくとも三国以前、術の形式から類推するに、殷の時代には原型があったであろうと思われます。

 蠱毒の『蠱』とは、蟲を皿に載せた状態そのものを指します。蟲とは、虫、特に昆虫の範疇に収まらない体型の虫を指すようです。例えば蜘蛛、蜈蚣(百足)などがそれに当たります。
 単語の漢字を単純に並べると『蟲の毒』という意になりますが、実はこれはこの呪術の一面を正しく表しています。詳しくは後述しますが、蠱毒はまさに毒として使用される事もあるからです。

 別称は『巫術(こじゅつ)』『蠱術(こじゅつ)』『巫蠱(ふこ)』などなど数多く、探せばまだまだ出てくるかも知れません。
 とりあえずこの三つのそれぞれの意を挙げていきます。

 『巫術』とは、実は蠱毒の別称という訳ではありません。『巫術』とは『生け贄を要求する術』の事全般を指し、別に蠱毒ひとつの事を指す訳ではないからです。これは、単語を形成する漢字を見れば分かります。

 この場合、『生け贄』を指す語は『巫』です。『巫』とはシャーマンの中でも生け贄をも兼ねる役割をもった者を指すからです。
 別の項目を作成して、もう少し詳しく突っ込みますので、ここではこのくらいに。

 『蠱術』については、ほぼ説明の必要はないでしょう。この語意は、『蠱を使う術』という意味です。

『巫蠱』とは『蟲を生け贄にする術』という意味で、前述した通り『巫』は『生け贄』を指し、生け贄は蟲、ということになります。


《術の式法》

 『蠱』或いは『諸蠱(しょこ)』と呼ばれる虫など――例えば蜘蛛、蜈蚣(百足)、蛆虫、蟷螂(カマキリ)、蝗、虱や、蛙、蜥蜴、毒蛇、果ては犬、狐、狼その他――を一つの箱や皿の上にひと固めにして共食いさせ、最後に生き残ったものを術の要(かなめ)として使用する呪術です。
 この要のことを『蠱(こ)』といい、そしてこれを使役する術者の事を『蠱主(こしゅ)』と呼びます。
 『巫蠱師』とするものもありますが、正確にはこれらは別種の術者であり、混同すべきものではありません。

 蠱毒には術に必要な呪詛、要するに呪文が必要であるという説、必要ないという説のふたつが存在しており、術者でも何でもない私では、判別するのが不可能です。
 ただどちらにせよ、生け贄という生のエネルギーを扱う術ですから、生半可な事では扱えない術であり、また扱うべきものでもないというのは確かです。
 また前述していますが、『蠱』という字は『蟲を皿に載せる』という字面そのものの意であり、この字は恐らく、蠱毒という呪術から生まれたものなのでしょう。


《術の目的・用途》

 さて、完成した『蠱』の扱いは、術者によってさまざまです。
 まず、『蠱』をすりつぶして粉にし、それを食事などに混ぜて毒にする、という方法。以外と日本では見受けられませんが、中国ではむしろ、こちらが主な使用法のようです。
 二つめは、『蠱』の魂魄や鬼気、怨念などを相手に取り付かせて呪い殺す、という方法で、これは日本ではお馴染みですね。
 その他にも、相手の家の軒下などに埋めたり棲まわせたりしたり、『蠱』に相手を食わせたり、先述の毒粉を相手に振りかけたり、などなど。

 主な用途は当然の事ながら呪いですが、その他にも相手の財産を奪う、正確には相手の財力――ひいては『財』の『才』を盗む――という用途にも使用可能だそうです。
 尤も、『人を呪わば穴ふたつ』という格言の通り、この呪術も術者自身に危害をもたらす事はままあります。
 折角、相手を呪って殺し、財産をも奪ったのに、その後その『蠱』殺すことが叶わず、ついに飼わねばならなくなり、財産を食いつぶされた挙げ句に自分も食われてしまった、などという類の話には事欠きません。


《対策》

 まず蠱毒の毒にはミョウガの根が効くそうです。これを煎じて飲むと蠱毒の毒素が除去されるだけでなく、蠱主の名前も分かるといいますから、大変なものです。
 また『毒を以て毒を制す』と言う訳でもないでしょうが、相反する『蠱』の毒を薬として飲めば中和される、という話もあります。これは恐らく、陰陽五行説の相克理論が応用されているものと思われます。


《総評》

 『厭魅』と共に、呪いの代表と言われる蠱毒ですが、これを突き詰めていくと古代からの生け贄の儀式に行き当たります。
 呪いとは突き詰めていくと、この『生け贄』の方法か、『方代(かたしろ)』、つまり物を人に見立ててそこに念を送る方法の二つに、ほぼ行き当たります。
 つまりこの術は、生け贄の対象を人から虫に変えただけのものである、とも言える訳なのです。
 そう考えてしまうと、何だか興ざめな感もありますが……どちらにしろ、ろくでもないものである、という事だけは確かでしょうね。


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