異形狩り師 09

 和久の部屋を出ると、中庭が見渡せた。司は天を仰ぐ。欠けた月が見えた。しかし『斎乃』は未だ欠けてはいない。その事を、素直に喜ぶべきなのだろう。

 もうすぐ修行が始まる。しかし今日の修行を禁じられた司は、一人部屋へ戻って本でも読む事にした。皐に借りたままの短編集が、まだ未読了のままだ。

 司は鞄からそれを取り出すと、ベッドに転がってそれを読む体勢に入った。と、不意に外から声がかけられた。

「司くん。入ってもいい?」

 皐の声だった。司は「どうぞ」と声をかけ、身体を起こした。

 皐は式服を纏ってはいなかった。どうしたんだろうと思っていると、皐の方から回答があった。

「今日は修行、お休みにしていいって兄さんが言ってた」

 兄さんとは一輝の事である。一輝が、気を利かせてくれたんだろうか、と司が思っていると、皐は薄物一枚を纏ったままの姿で、司の寝ているベッドに腰掛けた。

「まずはお勤め、ご苦労様」

 戯けているのか真面目なのか、皐は開口一番、そう言った。司は苦笑する。

「皐さん。僕は刑務所に入っていた訳じゃないんですが」

「刑務所に入っていなくても、だよ」

 皐はどうやら真面目らしかった。

「法廷に立って、斎乃の名誉を守ってくれた。その事が、純粋に、嬉しい」

「僕はほとんど座っていただけですよ。皐さんこそ、法廷で堂々と発言していたじゃないですか」

 皐は微苦笑した。

「ホント、今から思えばよくあんな事出来たなって思うよ。きっと司くんが憑いてたんだね」

「僕はまだ生きてますが」

 司は苦笑した。だが、皐の言いたい事は理解できた。司が側で見ていたからこそ、皐はあんなに堂々と、公的な場で発言できたのだろう。もし司が見ていなければ、すくみ上がる事こそ無かっただろうが、あんな堂々としていられたかどうか、疑問が残る。

 そして司も。

 傍聴席に皐の姿が無くても、斎乃の名誉を守るために、ひいては自分と皐の名誉を守る為に、いざとなれば弁舌で戦っただろう。お互い様だ、と司は思った。

「ねえ司くん」

 唐突にまた、皐が口を開いた。

「私達って、依存し合っているのかな?」

「そうかも、しれませんね」

 司は応えた。

 すると皐の瞳が、真剣味を帯びた。

「もっと上のステージに上がれるかな、私達の関係は?」

 その瞳を見据えて、司は答えた。

「僕に言える事は、焦らなくていいと言う事だけです。僕たちはまだ中学生なんですから。結婚できるまで後五年もある。それまでにゆっくり、上のステージを目指せばいい。そう思います」

「別に、焦っている訳じゃないんだけどね……」

 皐は俯いて、司の言葉を聞いていた。

「だけど時々不安になるの。私よりもっと魅力的な誰かが、司くんをさらっていってしまうんじゃないかって」

 それを聞いて、司はくすり、と笑った。

 そして皐の頭を抱き寄せて言った。

「皐さんは自分の魅力に自信がなさ過ぎます。皐さんは一人の女性として見ても十分に魅力的なんですから、そんな心配は無用ですよ」

「本当に?」

「本当ですよ。だから自信を持って下さい」

 正直な所、司の方こそ、こんな魅力的な女性を独り占めしていいのだろうか、と悩んでいるくらいだ。尤も、他の男にくれてやるつもりなど、さらさら無かったが。

「結局、贅沢なんでしょうね、僕たちは」

 司はそう口を開いた。

「恋愛のあれこれ無しに、お互いの想いを確認し合ってしまったから、きっと物足りなさを感じてるんだと思います。無意識のうちに。だからもっと上のステージを狙ってみたりとか、そんな事を考えてしまうんでしょう」

 司は皐の頭を抱え込んだ。

「焦らなくていい。焦らなくても、僕は今の関係で充分、幸せですから」

「うん。私も、今のままでも充分幸せ」

 皐は、司の胴に腕を回した。

「だから、今の関係が壊れる事が何よりも怖い。今のままでも充分に幸せ。なら一体上のステージには何が待ってるんだろうって、不安に思うと同時に、期待もしてるの。もっともっと、幸せになれるんじゃないかって」

「皐さんは卓見ですね」

 司はそう応じた。

「そう。きっともっと、幸せになれる。だけど、そこに至るまでの道を誤れば、僕たちはきっと、不幸になる」

「……厳しいんだね」

「そう。きっと、厳しい道のりだと思います。だけど、きっと乗り越えられると思います。皐さん。貴女となら」

「えへへ。嬉しい事、言ってくれるね」

 皐はぎゅっと、腕に力を込めた。司の身体と、密着する。

「きっと乗り越えていこうね。二人で」

「ええ。ゆっくりと、二人で」

 そして二人は、ゆっくりと顔を近づけて、口づけをして別れた。

 少し欠けた月が、二人を祝福している様だった。


 半月後。

「……という訳で、今回の相手は、鬼だ。司君、覚悟は出来ているかな?」

「ええ、生きる覚悟を」

 その言葉を聞いて、一輝は微笑んだ。

「そうか。いい覚悟だ。皐の方は、準備は出来ているか?」

「はい」

「よし。それじゃ、無事を祈っている」

「はい。それでは、行って参ります」

「行ってきます」

 一輝に見送られて、司と皐、そして久遠は家を出た。

 空には既に、月の姿がある。好条件と言って差し支えないだろう。

 結局、あの後遺体も見つからなかった日下仁は、行方不明という扱いになった。

 真相は、〈斎乃流〉の者を除けば審議に出た弁護士、それから監査機関から出向してきた者しか知らない。

 特異家出人を捜す部署が、仁を探している事だろうが、それは無駄だと知っている者がいる。それともその捜査を打ち切る様、監査機関が圧力をかけているだろうか。

 〈日下八光流〉の中に厳重にしまい込まれていた、膨大な鬼に関する文書、そして人を鬼に変える為の研究に関する書物は、全て監査機関の預かりとなった。恐らく、初めからなかった物として封印されるだろう。

 普通人が異形狩り師に対して不信の目を向け出したら、大変な事になる。どんな異形狩り師でも狩れない様な鬼が、現出するだろう。

 そうならない為に、監査機構はこの手の文書を決して公開しない。存在すらも。良くない事かも知れないが、これは仕方のない事だろう。ささやかな平穏を守る為には、時には嘘も必要なのだ。

 司も、その嘘の片棒を担いでいる。

 日下仁は、今も、司の中で息づいている。生きている訳ではない。だが、確かに存在しているのだ。

 しかし、この事を一般の警察に言っても無駄だろう。司が、逮捕されるのが落ちだ。監査機構はその事に関しては免除してくれた。

 司と仁は、生涯を共に生きていけるのだ。例え、使役者と鬼という関係でも。だから司は落ち込まなかった。真っ直ぐ、仁の分まで生きていこうと今は思う。

 ともかく、今夜は鬼狩りだ。気を引き締めていこう、と司は思った。

 鬼は、大きかった。さぞ大量の陰気から生まれたのだろう。しかしその分、鈍重に見える。

 しかし油断は禁物だ。相撲の様に、瞬発力が勝負のタイプかも知れない。この体格で、角を腹に刺されたら、間違いなく、致命傷になる。百舌のはやにえを連想して司は内心、気が滅入った。しかしすぐ、気を取り直す。 結界は既に張られている。皐に害が及ぶ事はない。思う存分、剣が振れると言う事だ。

 そして司は剣を抜く。

 いつか、剣が思う様に操れなくなるその日まで。

 或いは、異形に食われる日まで。

 そして或いは、後継者に後を委ねる、その日まで。

 司は戦い続ける。皐と共に。


よろしければ感想をお願いします。

『作品タイトル』『評価(ラジオボタン)』の入力だけで
送信可能なメールフォームです。
勿論、匿名での投稿が可能になっております。
モチベーション維持の為にも、評価のみ送信で構いませんので、
ご協力頂けると有り難いです。

メールフォームへ移動する前に、お手数ですが
『作品タイトルのコピー』をお願い致します。

ここをクリックすると、メールフォームへ移動します。


←前へ 目次へ