第2話 終わりと、始まりと(1)

「じゃあ、この辺で少し休憩だ」
 王都ロストールまで、森を抜ければあと一息という所で、フリントは馬車を止めた。
「どうしたんです、お父さん? ロストールまでもうすぐですよ?」
「ああ、ちょっと周りが気になってね。また何者かが襲ってきたりしないかと」
 ルーミスの当然とも言える問いに、フリントはもっともな答えを返した。
 どうせ短い時間の事でしかないのだからと、降りるべきか否か少し迷ったが、ルルアンタが荷台から飛び降りるのを見て、ルーミスも結局降りる事に決める。
 しかし父の不安が伝染したのか、彼女まで妙な胸騒ぎを覚えてしまい、お守り代わりに愛刀を持ち出す事に決めた。刀を片手に身体を舞わせ、地面に足を付けると同時に視線を道なりに続く森の中へ投げてみた。が、流石にその程度では何かが分かる訳もない。
 そんなルーミスを見て、フリントは苦笑未満の表情で声をかけた。
「何、心配はいらないさ。ルーだって刀が使えるんだし、いざという時は、父さんが守るからな」
 父の言葉を受けて、ルーミスも苦笑未満の笑みを返す。何と言ったものかと一瞬迷ってしまったのだが、その間に父の言葉が続いた。
「お前は、自分とルルアンタを守りなさい。それと短剣を失くさないでおくれ」
 どうやら預かった短剣は、思っていたよりも大事な品らしい。そう思ってルーミスは、服の上から短剣の所在を確かめる。布越しに感じる硬い感触。当然だが落としたりはしていないらしいと安堵して、父に笑みを向けた。ついでに気になった事を訊いてみる。
「お父さん、この短剣の……」
 しかし、その質問は未発のままに終わった。短剣の事などより余程重要で、厄介な状況が訪れたのである。

◆◇◆

 最初は、何か獣の遠吠えのようなものが響いた。しかし遠い割にはっきりと聞こえる。だがそれを訝しげている暇はなかった。
「ん? こ、これは……!!」
 フリントの言葉とほぼ時を同じくして、地面が激しく揺れ始めたのである。
「きゃーー! じ、地震だよぉ! フリントさん、ルー!」
 ルルアンタが悲鳴を上げる。が、ルーミスに返事を返している余裕はない。フリントはそんな二人に必死で声をかけた。
「こ、これは大きいぞ! 二人とも、気をつけるんだ!」
 しかし、辛うじてでも声を出す余裕があるのは彼だけである。娘二人は声を上げる余裕すらない。それ程に凄まじい揺れであった。
 だが、どんな激しい地震であっても、震動はいずれ収まるものだ。徐々に小さくなっていく震動と反比例して、徐々にルーミスに落ち着きが戻って来る。
「ああ、ビックリした……」
 ルルアンタも安堵の言葉を吐く。しかしフリントは、地震の時以上に狼狽していた。
「い、今のは……まさか……!」
 そんな事を呟きながら頭を左右に振っている。そんな父に向けてルーミスは静かに言葉をかけた。しかしそれは労いの言葉でも問いかけでもない。
「お父さん……お父さんの予感、当たったみたいです」
 フリントはその言葉を受けて、ようやく落ち着きを取り戻す。皮肉な結果であったが、漠然とした予想より、現実的な危険が彼に冷静さを与えたのだ。
「ああ……どうやら、来てしまったようだ」
 娘にそう答えるフリントに、唯一人置いて行かれたルルアンタが問いかける。
「何かあったんですか、フリントさん?」
「……お客さんです」
 だがその問いに答えたのはルーミスだった。その張り詰めた声に、ルルアンタも緊張を強いられた。さらに悪い報せをフリントが彼女にもたらす。
「今度は団体のようだ。ルー、ルルアンタ、下がっていなさい」
 そう告げて小剣を引き抜くフリントだったが、それを聞き入れるつもりはルーミスには毛頭なかった。
「お父さん、私も一応刀が使えるんですよ?」
 父にはそう応じておいて、ルーミスはさり気なくルルアンタの前に位置取る。
 自分よりもルルアンタの方が弱いなどとは思っていなかったが、今のルルアンタは白手である。強い弱い以前の問題なのだ。白手のルルアンタが、一応とはいえ武装した大の男相手に何かできるはずもないのだから、自分が庇うのが当然だとルーミスは思っていた。
 『出迎え』の準備が済むのを待っていたのか、それとも今まで気付かれていないとでも思っていたのか。その正否は判然とはしないが、ルーミス達の張り詰めた空気に呼応するかのように、物騒な男達は姿を見せたのであった。

◆◇◆

 招かざる客は五人。その中の筆頭格らしき狐目の男が、舌打ち混じりに口を開いた。
「……今の地震で気配がばれたか。流石だな、フリント」
 彼らの気配に最初に気付いたのはルーミスであったが、誰もそれを指摘する事はない。無論その必要も意味もなかったからだが、仮にそれを指摘していたら、別の未来があったかも知れない。尤も、神ならぬ人の身であったから、それを察する事もできないのだが。
 第一そんな未来に思いを馳せるより、差し当たっての心配事が目前にあった。娘二人は狐目の男の連れに、見覚えがあったのである。
 その男――頬に傷のあるゴロツキに向かって、ルルアンタが叫声を上げた。
「ああーっ! あんたたち、この間の!」
 ルーミスも声こそ上げなかったが、到底友好的に接する気にはなれない。紫水晶の瞳に冷ややかな光をたたえて男達を見つめる。そんな彼女に視線に気付いたのか否か、頬傷の男はルルアンタに怒鳴り返す。
「うるせえ、このガキ! 今日はこの前のようにはいかないぜ!」
 どうやら頬傷の男の方も、ゼネテスに一方的に叩きのめされた事も含めて忘れていないらしかった。いっそ全て忘れてくれていれば良かったのにとルーミスは思ったが、流石にそう都合良くはいかないらしい。
「……どのようなご用件でしょう?」
 それらのやりとりなど一切無かったかのように、フリントは狐目に話しかけた。
 応じた狐目の方も、仲間と娘達のやりとりを無視して冷ややかに答える。
「ノーブルの代官、ボルボラから手紙を預かっているはずだ。それを渡してもらおう」
 フリントは首を左右した。
「そのような物は存じ上げません」
「子供の使いじゃああるまいし、はいそうですかとは引き下がれんな。素直に出した方が身の為なんじゃないか?」
 完全に平行線を辿る二人のやりとりに、焦れたルルアンタが口を挟んだ。
「ちょっと、目の細いおじさん! そんな物無いって言ってるでしょお!」
 威勢のいいルルアンタに、狐目は疎ましげな視線を投げる。
「なんか五月蠅いのがいるな。だが、もう人質はいらないんでな。静かにしないと痛い目に遭うぜ?」
 狐目は、頬傷と若い悪相の男に目配せする。
「お前たち、このガキ共を大人しくさせちまえ! リルビーの方はお頭への手土産だ」
「……もてますね、ルル」
「嬉しくないよ!」
「でしょうね……」
 緊張感があるのか無いのか分からない会話を交わしながら、ルーミスは意識して身体の力を抜いた。身体がこわばっていると反応が遅くなってしまう。尤も、力を抜きすぎれば自力が出せないので、そのさじ加減は必要である。完全な自然体でいられるのが一番いいのだが、今のルーミスにはそれは難しい。
「子供たちに手は出させん!」
 心配性のフリントが、娘達の方を振り返った。が、狐目たちに阻まれる。
「よそ見してると怪我するぜ。お前の相手はこっちだ!」
 三人に囲まれて歯噛みしながら、フリントはルーミスに呼びかけた。
「ルー、こっちが終わったらすぐに行く! それまで持ちこたえてくれ!」
「こちらは何とかします! お父さんこそ怪我しないように持ちこたえて下さい!」
 ルーミスはそう応じた。しかしその言葉を聞いて、悪相の男が舌なめずりする。
「へっへっへ。今日は、この前の男がいねえからなあ。たっぷりとお返ししてやるぜ!」
 当然と言えば当然なのかも知れないが、男達はルーミスの実力を徹底して侮る心つもりらしい。尤も、自己顕示欲に乏しいルーミスはそれを腹立たしいとは思わなかったが。

「へっへっへ……」
 ゴロツキ共は舌なめずりしそうな嫌らしい表情で小剣を構えた。適当になぶってやろうとでも考えているのだろう。しかしその構えはあまりにも隙だらけであった。
 ルーミスは相手の態度など一向にせず、眼前のゴロツキに向かって強く踏み込んだ。
 彼女の方から向かってくるとは思っていなかったのだろう。ゴロツキの反応が明らかに遅れる。その隙にルーミスは刀を鞘走らせた。
 ただの一合も合わせる事なく、ルーミスはあっさり一人を打ち倒す。
 斬ってはいない。峰を返して横隔膜の上を強打して気絶させたのである。男とルーミスとの間には、彼女が手加減できるだけの実力の差が存在したのであった。
「こ、こいつ、ガキの癖に強い。こんな話聞いてないぜ、ちくしょお!」
 残った頬傷の男が喚くが、無論ルーミスは動きを止める事はない。紫水晶の瞳と白刃が光の尾を引いて頬傷に迫る。
 白光が男の胸部に吸い込まれると、頬傷は喚く事を止めた。

 ルーミスは、血に濡れていない刃を血振りして鞘に納める。しかし一息つく間はない。フリントは一対三で戦っているのだ。及ばずながら加勢しなければならない。
「ルー、フリントさんを助けなきゃ!」
「分かっています!」
 ルルアンタの切羽詰まった声に同質の言を返して、フリントの方を振り返る。
 しかしルーミスの視界に入ったのは、あり得べからざる光景であった。
「やはりこの毒、相当に効きがいい……にしても、この程度とは石火のフリントも大した事ねぇ」
 仲間を二人喪いながら、狐目の男がそう嘯いて勝ち誇っている。そしてその足下には、うつ伏せで倒れているフリントの姿。
「……う、そ……」
 ルーミスの頭頂からつま先まで、落雷の直撃を受けたかのような衝撃が走った。視界もまた、全てが漂白されてしまったかのように色が抜け落ちてしまっている。彼女の人生の中で体験した事のない、絶対に限りなく近い虚無感。脱力してその場に崩れなかっただけ上等かもしれない。
「そ、そんな……フリントさぁん!」
 まともに声すら発せられないルーミスの代わりに、ルルアンタが悲鳴を上げる。一方で狐目の方は余裕気であった。
「なんだ、あいつらやられちまったのか。しょうがねぇ奴らだ……ああ、この通り密書はもらっていくぜ」
 鼻で嗤うと、封をした手紙をちらつかせる。
「もうお前の親父は長く持たねぇ。最期のお別れでもしてやんな」
 そう言い捨てると、狐目の男は森の中に姿を消した。しかし男を追う余裕もつもりも、ルーミスにもルルアンタにもなかった。

「フリントさん、ふりんとさぁん! しっかりして!」
 フリントを仰向けに起こして、ルルアンタが必死に話しかける。その甲斐があったのかどうかは判然としないが、フリントは薄く目を開いた。
「ルー……ルルアンタ……無事か……?」
 フリントの声を聞いて、人形のように立ち尽くしていたルーミスも我に返る。
「は……はい、私もルルも無事です。怪我もしていません。あの人達はどこかへ……」
「そうか……よかった……」
 フリントは苦しげな吐息の中で、しかし安堵したかのように微笑んだ。ゆっくりと頭を巡らせてルーミスを見つめ、改めて口を開いた。
「……ルー。ノーブルを発つ前に渡した短剣は……持っているな……?」
 落としている訳もなかったが、ルーミスは念の為、懐から短剣を取り出す。布に巻いた豪奢な短剣が姿を見せた。間違いなく、父から預かった短剣である。
「はい、持っています。落としても奪われてもいませんよ」
「……よかった。それが無事であれば……グウっ!」
 安堵した所為なのか、それとも傷が相当悪いのか、フリントが更に苦しみ出す。ルーミスもルルアンタも、心臓を竜に鷲掴みにされたような気分に陥った。
「ルー、急いでお医者様に看てもらわないと!」
「分かっています! 急いで出発しましょう!」
 常の七割増しの手際と迅速さで出発の準備を整えるルーミス達であったが、しかし当のフリントは、荒い息を吐きながら必死に声を上げた。
「……駄目だ! そんな事より……ルー……王都へ……ロストールへ行くんだ……」
「で、でもお父さん! 早く看てもらわないと!」
「……い、今は一刻を争うのだ……。私の事は……心配いらない……」
「下手な嘘は結構です! 一刻を争うのはお父さんの方じゃないですか!」
「ルー、頼む……。王都……ロス……ト……ルへ急いでくれ。早く……」
 頑固な父に、ルーミスは歯を噛みしめる。何故そこまで、ロストール行きと短剣などに拘るのか分からないのだ。しかも度し難い事に、自分の生命よりもそれらを優先している風にすら思える。それが少し悔しくて、とても哀しい。
 しかし……
「ぐすっ……どうするのお、ルー?」
 ルルアンタの涙声の問いに、
「お父さんを荷馬車に乗せましょう。そうすればロストールでお医者様に診せられます」
 そう妥協する事で、父の意を汲む事にした。
「……うん、わかった。それじゃあ、ロストールへ急ごう」
 ルルアンタもまた、ルーミスと同じ心境なのだろう。意見も抗弁もしなかった。
 そうして二人は協力してフリントの身体を荷台に載せると、手綱はルーミスが取って、三人は一路ロストールへ向かった。

◆◇◆

 普段、ルーミスの手綱さばきは丁寧で的確だと、フリントはよく誉めている。
 が、今のルーミスの手綱は贔屓目に見ても丁寧とは言えない。感情の赴くままに矢鱈と手綱を操らないだけマシなのかもしれない。
 しかし、彼女の努力も中途半端にしか報われなかった。
 フリントには今だ息があったが、しかしロストールへ入る門の前には、入都待ちの人が列を作っていたのである。徒歩での出入りは大して時間はかかりそうにないが、馬車での入都には相当な時間を必要としそうであった。
 馬車を降りて、暗然たる思いで長蛇の列を見やったルーミスであったが、しかし運命神ファナティックは彼女を完全に見放してはいなかった。
「ん? ルーミスじゃないか。どうしたんだ?」
 若干の不審を声に乗せてルーミスに投げかけたのは、着衣を着崩した伊達男。
「ゼネテスさん!」
 ノーブルで知己を得た冒険者、ゼネテスであった。
「何を急いでいるんだ、そんなに?」
 彼は事情を知らないのだから、その問いは当然のものであったが、しかし今は悠長に説明している暇も余裕もない。が、何を答える事も無しに通り過ぎる、というのは不義理に過ぎる。そう思ったルーミスは、簡潔に事情を打ち明けた。
「なんだって!? で、フリントは今、どこに?」
 ゼネテスの顔色が変わった。
「馬車の荷台です。今はルルについてもらっています」
 ルーミスの言葉に、ゼネテスはひとつ頷く。
「分かった。お前はすぐに宿屋の手配をしてこい。フリントは俺が宿屋まで運んでやる」
「分かりました。ではお願いします!」
 そう言い置いて、ルーミスは門へ向かって駆けだした。

 安くもなければ高級でもない、ただ大通りにあって便がいい事だけが取り得という宿を取り、ゼネテス達を迎えに再び門へ向かう。しかしさほど走る必要はなかった。見覚えのある馬車が、こちらに向けて走ってきていたのだ。ルーミスは安堵して気を少し緩めた。が、フリントが助かった訳ではない事をすぐに思い出し、気を引き締める。
「ゼネテスさん! こっちです!」
 その声を聞いたのか、それとも彼女の姿を認めていたのかは分からないが、ゼネテスはすぐに彼女のいる方へ馬頭を向ける。
 厩舎に馬と荷台を預け、ゼネテスはフリントの身体を優しく背負う。そしてルーミスは彼を先導し、あてがわれた部屋へ向かうのだが、しかしその足取りほどには、ルーミスの心境は穏やかではない。
(お願い、お父さん……逝かないで下さい……!)
 フリント同様、ルーミスも神の加護など信じていない。だが今の彼女は、何かに祈らずにはいられないのであった。

 部屋の寝台に、ゼネテスはゆっくりとフリントの身体を横たえた。それを確認したのと同時に、ルーミスは医者を呼びに行こうとした。が、
「……ルー……」
 苦しげな息の中から、当のフリントが娘に呼びかけた。
「ルー……頼みが……ある」
「お父さん、今は商売の事なんて気にしないで! 今、お医者様を呼んできますから!」
 父の言葉に、ルーミスは悲鳴に達する半歩手前の声を上げる。だがフリントは聞く事はない。或いは、その余裕がないのかもしれない。ともあれ彼は、自分の意志のままに言葉を継いだ。
「例の、短剣の中に……エリス様への……密書が入っている……その密書を、王妃……エリス様に……届けてくれ」
 父の言を聞いて、ルーミスは思わず、胸元の短剣を押さえた。
「この短剣……この短剣に、そんな物が……?」
 声が震えている。それは彼女にもはっきりと自覚できた。父の言葉が示す事実が、朧気ながらに実像を結ぶ。だがルーミスは、それを信じたくなかった。
「フ、フリントの娘と言えば……エリス様に……お目通り……かなう……はず。ルー……密書を、エリス様に……」
 しかし、うわ言寸前のフリントの言葉に、ルーミスの祈りはあっさりと砕かれる。その心はルルアンタも同様だったのだろう。力なくフリントに問いかける。
「……なんでえ……何でフリントさんが、そんな手紙を持ってるの……?」
 フリントの顔が、苦しげに歪んだ。それは恐らく、苦痛の所為ではない。
「……すまない。お前たちには黙っていたが……私はエリス王妃に……仕えていたのだ」
 ルルアンタの顔が悲しげに歪む。そしてルーミスは、心の苦しさに耐える為、歯を噛みしめていた。娘達の表情を確かめたのか否か、フリントは言葉を継いだ。
「こ……今回のお役目が果たせたら……お暇を頂き……三人で一緒に世界を回ろうと……考えていた……それがこの様な目に、遭うとは……これも、自業自得という物なのかも、しれん……ゴホッ……!」
「お父さん!」「フリントさん!」
 苦しげに咳き込むフリントに、娘二人は同時に悲鳴を上げる。剛胆なゼネテスも、頭を左右して口を開いた。
「……フリント、もういい。喋るな。娘達が悲しむ」
 だがフリントは、頭をゆっくりと左右に振った。そしてルーミスを見やる。
「ルー……早く、密書を……エリス……王妃に……」
 その声は確かにルーミスに届いていたが、しかし彼女は動けない。動きたくなかった。
 そんな彼女の頭に優しく手を乗せて、ゼネテスは諭す様に声をかける。
「行ってやれ。親父さんは、お前が行かないと納得しないだろう。ここは俺が見ている」
 苦しげに、哀しげに、ルーミスは歯を噛みしめる。だが結局、彼女は頭を縦に振った。
「ロストールの王宮は正面の通りを抜けた所にある広場の先、貴民街の中心だ」
 ゼネテスの言葉に、もう一度ルーミスは頷く。それを確認して、ゼネテスは言を継ぐ。あまり言いたい事ではなかったが、逝っておかねばならない事があったのだ。
「……はっきり言って、親父さんは危険な状態だ。この衰弱ぶり……俺が見た所、刃に毒が塗ってあったようだ。どうやら、シロウラギリという猛毒だ。」
 その言葉を聞いて、ルーミスの琥珀色の瞳が、怒りと悔しさで赤紫色に染まる。しかしそれをあえて無視して、ゼネテスはさらに言葉を紡いだ。
「エリス王妃は、雌狐と呼ばれるほどの策略家。毒にも詳しい。シロウラギリの毒にフリントがやられたと言って『生命のかけら』をもらってこい」
 一瞬、ルーミスの表情に希望が宿る。だが次の瞬間には影が落ちていた。
「でも生命のかけらは凄い高級な品ですよ? たかだか一介の密偵の為に、そんな大切な物を融通して頂けるでしょうか?」
 彼女の心配は当然の物である。だがゼネテスは自信たっぷりに請け負う。
「エリス王妃なら大丈夫だ。王妃は身内に対しては情が厚い。それより急いで戻れ。フリントは一刻を争う状況だ」
「……分かりました」
 ゼネテスの言葉に根拠があるのかどうか、ルーミスには分からない。だがその言葉を信じる以外、フリントを助ける手段はない様に思えた。服の上から短剣を握りしめ、彼女は部屋を飛び出した。
「急いでね、ルー……!」
 彼女の背中を押す様に、ルルアンタの声が届いた。

◆◇◆

 ルーミスは必死に富民街を駆け抜ける。貴族の館の門番に胡散臭がられていたが、今の彼女にはそんな事を鑑みる余裕は絶無である。幸い誰かに咎められることなく王宮の門に辿り着いたが、しかし流石に呼び止められた。
「なんだ、お前は!」
 門番にしてみれば当然の問いであったが、しかしルーミスにとっては障害以外の何者でもない。しかし意外な所から助け船が出た。呼び咎めた門番の相棒が取りなしたのだ。
「まあ、待て。何か急ぎの用がありそうだ。どうしたのだ?」
 幸運に感謝しながら、ルーミスは門番達に懇願した。
「緊急の用件です! 私はフリントの娘、ルーミスです。エリス王妃にお目通りをお願いします!」
 ルーミスの言葉に、門番達は顔を見合わせた。
「……フリントの娘、だと?」
「はい!」
 意気込んで頷くルーミスだったが、最初に彼女を咎めた門番が厳しい声を発した。
「お前がフリントの娘だという証拠はあるのか?」
 言われて初めて気が付いた。ルーミスは懐からフリントから預かった短剣を取り出し、門番達に見せた。門番達の顔色が変わる。
「……確かにその短剣の柄にあるのは、王家の紋章に違いない」
「……ああ」
 一人は渋面で、もう一人は穏やかに頷く。
「王妃様に取り次いでやる。少し待て」
 門番の言葉に、ルーミスは頷く。そのまま大人しく、内心で焦れていると、やがて奥に下がっていた門番が、再び姿を現した。
「王妃様がお会いになるそうだ。ついてこい」

 広い広い廊下を通り、幾度となく階段を昇降した後、樫材の扉をくぐらされると、そこには豪奢な椅子に座った貴婦人が居た。
「そなたがフリントの娘か」
 言葉遣いは権高だが、不思議と嫌みは感じない。他人を虐げているという印象が感じられないのだ。ゼネテスの言葉通り身内に甘いからなのか、元々そういう気質の人物なのか分からないが、ルーミスは眼前の人物、即ちエリス王妃に好感を抱いた。
「密書は確かに受け取った。ご苦労だった」
「恐れ入ります」
 その言葉が適当なのかは分からなかったが、ルーミスはそう返答した。その態度が初々しいと感じたのか、エリスの雰囲気が優しくなる。
「これは報酬だ。受け取るがよい」
 エリスの言葉を受けて、控えていた侍女が歩み出る。だがルーミスには本当に受け取りたい『報酬』があった。
「恐れながら、ぜひ賜りたいものがございます。お聞き入れ下さいますでしょうか」
 エリスの雰囲気が引き締まる。警戒させてしまったのだ。しかしルーミスにとっては、そんな事は問題ではなかった。怒られようと嫌われようと、彼女はフリントを助けられるなら委細構う事柄はなかったのである。
「実は、父は今シロウラギリの毒を受け、臥せっております。どうか生命のかけらを賜りたく、ご無礼を承知でお願い申し上げました」
「シロウラギリの毒、だと? フリントがか? しかし……」
 ルーミスの言に驚いたらしいエリスであったが、ふと不審げな表情を見せた。
「フリントの娘、ルーミスと言ったな。随分と毒に詳しいではないか」
 そういう事かと、ルーミスは納得した。確かに彼女は毒に対して無知である。
「ゼネテスという冒険者の方に、そう忠言して頂きました。個人的な感想ですが、信用に足る人物だと私は思っております」
 尤も、高貴な方々は冒険者なんて信用していないだろうな、とルーミスは心中で考えたのだが、意外な事にエリスは愉快そうに微笑んだ。
「ほう、ゼネテスという冒険者がな……なるほど」
 まるで含むように、何度も頷いている。心中で首を傾げるルーミスであったが、やがてエリスはルーミスを見つめ直した。
「よかろう。生命のかけらを与える。これでフリントも回復しよう」
「ありがとうございます!」
 顔を輝かせて、勢いよく頭を下げるルーミスを優しく見つめながら、エリスは告げる。
「下がるがよい。時をおいて、また連絡する。役目、ご苦労だった」
 もう一度思い切り頭を下げて、ルーミスは退出した。
(お父さん、もう少しです。頑張って下さい……!)
 王宮を辞すると同時に、ルーミスは再び駆けだした。父の元へ急ぐために。

◆◇◆

「お父さん!」
 ルーミスは宿に駆け込むが早いか、父を呼びながら階段を駆け上がった。勢い込んで部屋へ飛び込む。
 が、彼女がそこに見出したのは、陰鬱と沈鬱が陰気な輪舞を踊っている所であった。
「ルー……」
 ルルアンタが、ルーミスを涙目で見返す。
「ぐすっ。フリントさんが大変なの……」
 ルーミスは辛うじて、思考と意識が暗転するのを堪えた。力なくフリントの枕元へ歩み寄ると、彼女を見上げてフリントが口を開いた。
「ルー……エリス様は……?」
「……短剣は、密書は、ちゃんとエリス様にお渡ししました。生命のかけらも頂いてきました。お父さん……これで元気に……」
 そう言いながら、ルーミスは悟っていた。
 最早、間に合わない、と。
 そして彼女を見下ろすゼネテスの視線も、沈鬱なものであった。
 彼は最初から気付いていた。間に合わない事に。だが、ルーミスに何もさせないまま、何もさせる事ができないまま、フリントを看取らせる事はできなかったのだ。結果としてそれは残酷な事になったかも知れない。誤ったものであったかも知れない。だとすれば、いずれ自分が責を負おうとゼネテスは思っていた。無論その想い自体が誤った物なのかも知れないが、それもまとめて抱えるつもりなのであった。
 そんなゼネテスの想いを知るのか否か、フリントは苦しげにゼネテスへ視線を向ける。
「あ、あとは、後は……ゼ……ゼネテス……様……」
「……分かった。後の事は引き受ける」
 フリントとゼネテスの視線が交差する。どのような想いがその視線で交わされたのか、ルーミスには知る由はない。彼らにどのような交誼があったのかも彼女は知らない。だがその言葉で、彼らの間に何らかの関係があったであろう事は想像できた。
 そんなルーミスの内意を汲んだか否か、フリントはルーミスに視線を動かす。
「ルー……ゼネテス様に……ついていくのだ。この方なら……お前を……」
 ルーミスは父の手を取ると、しっかりと頷いた。フリントは言を継ぐ。
「今まで、お前に……隠し事をしていた……すまなかった……」
 そしてまだ、彼は娘に隠し事をしている。しかしその全てを伝える事はできなかった。死神の乗る馬車がすぐ側まで迫っている。彼にはもう時間がない。
「……ルーミス……無限の魂……いや……私の、むすめ。あ、い、して……」
 その場にいる全ての者が、彼の言葉の続きを待った。しかしフリントは、もうその続きを綴る事はない。
「お父さん……!!」
「フリントさん! 目を開けてよぉ! そんなのイヤだよお!」
「フリント……」

 ……神聖歴1201年、十月二十五日。
 ルーミスの父フリントは、故人となった。


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