Life

 フェイヨンの東に亡霊が出る――
 この噂を聞いた者の反応は、またか、と顔をしかめる者が大半であった。
 元よりフェイヨンはその街中の洞窟、あるいは一部の山中はアンデット・モンスターの巣窟であることは知られている。それにしても、また新たな亡霊が出た、という話は控えめに言っても、心地よいものであるとは言えないであろう。
 尤も、その話に目を輝かせた者たちも存在した。冒険者、と呼ばれる人々である。

◆◇◆

 大神オーディンと女神フレイアの加護を受け、幾度倒れてもなお立ち上がり戦いに赴く者たち――と言えば聞こえはよいが、要は使い捨てでないだけの体のいい神々と権力者の道具である、という見解も、一方では存在する。
 確かに誰でもなれる訳ではない。修練所での課程を修了しても、ノービスと呼ばれる半人前の身分で外の世界に放り出される。さらに一定の修練を終えて、一次職と呼ばれる各職のギルドの試験を通過して、ようやく一人前と認められるのだ。途中で挫折する者も決して少なくはない。だが一方で、その者達は幸福である。尋常に年を経て、死ぬことが出来るという権利を、取り戻すことができたのだから。
 『加護』とはつまり冒険者の特色である不死の能力の事であるが、別の見方をすれば、それは『死ぬことができない』ということでもある。戦い疲れて力尽きても、彼らは起きあがり、戦わねばならぬのである。故に『オーディンの呪い』とこれを称する者も、一部では存在するのだ。
 修練所の二次試験の時点で、冒険者見習い達は仮の『加護』を受け、攻撃的になったファブル達の群れを突破しなければならない。大型の芋虫に過ぎないとはいえど、あちらで二匹、こちらで三匹と押し寄せて来られたなれば、その威圧感は想像を絶する。ファブルですらこうであるなら、外の凶猛な魔物達は想像して然り――かくて挫折する者は結構な数に上るであろう。一方で挫折者の数の分だけ成功者が存在する道理で、勇敢に、或いは鈍感にも二次試験を突破出来た者もまた、結構な数がいるのである。彼らは正式に『加護』を受け、修練所を出ていく。そして外の世界で各々の目標に向け、修練を積むのだ。
 しかし冒険者達も、戦いから身を引き、剣を捨てる事は可能である。しかしそれは幸福な一部の者を除いて、この世界からの消滅を意味する。戦いから逃げた臆病者として、オーディンから罰せられるのである。ごく一部、特筆すべき戦績を残した者だけがこの怒りから逃れる事ができるのであるが……

◆◇◆

 ともあれ、冒頭の噂を聞きつけた冒険者達はフェイヨンへと旅立ち、その一部の者は亡霊の首級を上げることが叶った。かくて噂話はそこで完結するはずであったが――

「何度倒しても蘇る亡霊、ですか……」
 長く蒼い髪の女が、今し方聞き終えた話を反芻して呟いた。ウィスキーのグラスをカウンターに戻しながら小首をかしげると、髪がさらりと流れる。意外と手入れは行き届いているらしい。自分の容姿に鈍感な娘の割には感心なことだ、と今し方話を終えた初老のバーテン兼マスターは考えた。

 首都プロンテラ、表通りを路地に入った場所にひっそりと営業しているバーの店内である。裏通りのように安酒と女を売りにする訳でもなく、表通りのように大きな店を構えるでもない、しかし決して安っぽくはない調度類が、この店の客層を無言で主張していた。
 いつも決して客で溢れている店ではなかったが、今日はすっかりお茶を引いた体で、客はカウンターの女一人であった。加えてその女は妙齢の美人であったから、間を持たせるため、とマスターはこの奇妙な噂を持ち出した、という次第であった。

 女の名前はネイ。ネイ=プレヴェールという大仰な本名を持つが、姓自体は孤児院で適当に与えられた物で、特にどこかのお嬢様という訳でもない、単なる冒険者である。槍使いの騎士として、一時期は珍しがられたものであったが、昨今では槍を使う騎士が増えたせいか、それほど奇矯視されることも無くなった。尤も『槍使いのネイ』という名は今でもそれなりの重みはある。
 長く蒼い髪と深蒼の瞳、長身と豊かに均整の取れた肢体を持つ二十代前後の美女に見えるが、冒険者は年経ても外見はほとんど変わらない故に、彼女も年齢不詳の趣があった。しかし冒険者を長年観察してきたマスターは、ネイはせいぜい二十そこそこの年齢だと踏んでいた。尤も、その予測を口外する事はしなかったが。

 かしげた首を元の角度に戻すと、ネイは再び口を開いた。
「でも、元よりあの辺りの亡霊達は、個々の怨念ではなく何かに縛られている、という話ではありませんでしたか?その新しい亡霊というのもその類(たぐい)では……」
「いいや、どうもいつもの奴とは違うみたいなんだよそれが」
 グラスを磨きながらマスターが答えた言葉に、ネイは眉をひそめた。
「ということは……固有の恨みで現世に残っている、と?」
「その可能性は充分にあると思うがね、私は。何せ何度倒されても、同じ場所で現れるって話だからな」
「フム……」
 ネイは再びグラスを取り上げ、生(ストレート)のウィスキーを舐めるように味わいながら黙考し始めた。

 さて、この一事について、考え得ることはどんな事であろうか。
 まず考えられるのは、世界自体の変容によって新たな魔物が棲みついた、というもの。これがおそらくは一番蓋然性が高いであろう。しかし、それにしては街に近すぎる所に強力な魔物が棲みついた事になり、その脅威はおそらく一般が考えているよりも高い。
(《彷徨う者》、か……)
 強力な魔物であり、亡霊である。
 ただ、この魔物はグラストヘイムの古城で確認されるのが唯一のはずだった。それがフェイヨンのすぐ近くに現れた、というのはどういう訳であろうか。確かに何か、特別な意味があるような気もしてくるネイであった。
(世界の摂理に反して現れる魔物……)
 ネイの表情を観察していたマスターは、彼女の紅唇が僅かに吊り上がるのを見て、内心で頷いた。彼女の好奇心を刺激することに彼は成功したようである。
「どうするかね、ネイ?」
 彼が言葉にしたのは、質問ではなく確認である。答えは昂然として返ってきた。
「行ってみます。山岳都市・フェイヨンへ。面白そうなことに、出会えそうな気がしますから」
 にっこりと微笑んで、銀貨をカウンターに置くと、ネイは身を翻した。
 その颯爽たる姿を見送って、マスターは土産話を楽しみに、グラス磨きに戻ったのであった。

◆◇◆

 翌日、ネイはカプラサービスの倉庫からいくつかの品を取り出すと、一度宿に戻って支度を始めた。

 ホワイトスリムポーションが五十本に、青と緑ポーションが五本づつ。必要ないに越したことはないが、用心は十分以上に必要である。いつも首から下げているロザリーを磨き、クリップオブフラッシュを腰帯に手挟む。格闘用のダマスカス。そして立てかけておいた得物を手に取った。
 ハルバードである。
 ただし、アックス部が通常の凸状ではなく、刃が凹状、三日月型になった刃が対になった造りになっていた。『月牙』と呼ばれる形状の刃で、この造りのハルバードを総じて『方天戟(ほうてんげき)』と称する。無論一般では手に入らず、アマツで手に入れた絵図面を元に知己の老ブラックスミスに製作を頼んだ特注品である。気難しいその男がこんな注文を受けたのは、恐らくはネイと同様、その武器自体に対する好奇心であったに違いない、とネイは勝手に推測している。手にすると、ずしりと重いその武器を、ネイは手に入れて以来愛用してきた。属性の入った物も、全て同じ型のものであり、無論制作者も同様であった。
 水と風、そしてもう一本の戟(ハルバード)をまとめて持つと、ネイは腰元のポーチに『収納』していった。
 冒険者なら誰でも持っている代物である。どんな物をいれてもかさばることなく携帯できるという優れた品だが、重量はしっかりと感じるため、所有者の筋力以上のものを携帯することはできない、という中途半端な欠点を持つ。ただ、緊急時には念じるだけで中味を取り出すことが出来るため、やはり冒険者にとって必須のものだと言えるだろう。

 いくつかの準備を済ませると、ネイは宿の女将に支払いを済ませ、騎鳥小屋から愛乗しているペコペコの手綱を解き、連れ出した。愛想よく玄関から顔を出して声をかけてくる女将に、こちらも愛想よく手を振って答えると、愛鳥の首筋をぽんぽん、と軽く叩いた。機嫌良くクエッ、と一声を発してペコペコは駆け足を始める。一歩、二歩、三歩を併走すると、四歩目で鐙を踏み長身を跳ね上げ、ネイの身体は騎鳥の上にあった。「ハアッ!」というかけ声とともにペコペコの腹を蹴ると、騎鳥は高くいなないてその速度を上げた。

◆◇◆

「エルダーウィローが凶暴化している?」
「はぁ、そうなんですよ……」
 山岳都市・フェイヨンの案内係員の、まだ若々しいというより幼いような顔に、困惑の翼が広がっていた。もっとも眉をひそめただけのネイも、似たような心境ではあったが。
 エルダーウィローは姿はおどろおどろしいが、気質は温厚な方で、こちらからちょっかいをかけねば攻撃をしかけてはこないはずだった。それが、最近では人を見るや攻撃をしかけてくるようになり、新米から中堅になろうかというくらいの冒険者や街の人々にすら被害が出ている、とのことであった。現在東門は閉鎖され、一般人の通行は全面禁止されているらしい。冒険者ならば通行は可能だが、無論それは自分の身は自分で守れ、という事でしかない。
「それ以外で、気付いたことは何かありますか?」
 こちらから聞かずとも先方から話を持ち出してきた以上、他に何かあれば向こうから続けてくるであろうが、ネイは念のため訊ねてみた。
「いえ、それ以外では特に……例の亡霊以外は」
 予想通りの返答であった。ありがとう、と微笑を向け、東門へ至る道をペコペコを牽いて歩きながら考えをまとめる。
 思ったよりも変化は激しいらしい。当面の所、街に侵入してくる危険はないものの、街のすぐ近くにいる魔物が凶暴化しているとは。天上(ヴァルハラ)の戦いは、思ったよりも深刻な状況なのであろうか。しかし笑える話だ、とネイは思う。人間が街路を整備し、その版図を広げるたびに、世界は少しづつ変容し、魔物達も進化していく。不老不死の身なれば、いっそこの滑稽ないたちごっこの終着を見届けたくもあるが、恐らくは不可能であろう。そのころには神々も、人間に構っている暇もないであろうから――

◆◇◆

 東門の前で再びペコペコに跨り、開門を待つ。
 「お気を付けて」という門番の言葉は、最大級の好意であろう。微笑と共に手を振って答え、ネイは拍車をかけた。

 面倒に巻き込まれる前に一気に目的地まで突っ走るつもりであったが、そうそう思い通りにはいかないらしい。エルダーウィローの虚ろな眼窩に、奇妙な光がちらついて、申し合わせたように三体、ネイに向かって歩み寄ってきた。スモーキーが我関せず、という風でのんきに走り去っていくのがなんとなく腹ただしい。
 思わず舌打ちを立ててから、水戟(アイスハルバード)を構える。と、不意に一体が足を止め、呪文の詠唱を始める。残りの二体が間を詰めてくる。
「おやおや、これはこれはっ……!」
 統制が取れているのか、偶然か。判別するのは不可能に近かった。それでも分かることはある。このままでは一方的に魔法の洗礼を受けることになる、という事くらいは。
 ネイは水戟を両手で構えると大きく振りかぶった。重量変化で急制動をかけられたペコペコが後ろにのけぞる。彼我の距離が一気に詰まる。次の一瞬、右上から左下へ大きく振り回された水戟の刃が二体のエルダーウィローを捉えた。木片が飛散し、魔物の態勢が崩れる。間髪入れず左側面から繰り出された一撃が、完全に前衛の二体をうち砕いた。
「まだっ……!」
 舞い散る木片の中を、ブランディッシュスピアの重量変化で前傾したペコペコが猛突進する。呪文を唱えていたエルダーウィローがまるで慌てたように身じろきしたが呪文は中断できない。目前に迫った魔物に、ネイは右上段から一撃、戟を一転させて右側面から一閃。それがこの戦闘の終末だった。

 目的の野に到着した時、一見特に変わった所は見受けられなかった。エルダーウィローが襲いかかってくるくらいであろうか。エギラはのんきにカタカタと歩き回り、天下大将軍はその領域内に入り込まなければ、ぎっちらこ、とこちらものんきに揺れている。思わず拍子抜けしそうになったネイは、ため息をひとつついた。時折襲いかかってくるエルダーウィローを打ち砕きながら、しばし歩き回ってみたが収穫はない。そう思った時であった。
 ぞくり、とネイの背筋に戦慄が走る、その瞬間にネイは水戟を横薙ぎに一閃していた。耳障りな音と共に火花が散る。
 戟の月牙が、古刀の刃を受け止めていた。
『ほう、なかなかやるではないか』
 型通りの賛辞の意志を、古風な装束の骸骨が放ってきた。

◆◇◆

 不意の一撃を放った後、骸骨――《彷徨う者》――は、あっさりと剣を引くと、すすっと間合いを離した。何気ないようで、隙がない。相手が下がる勢いに乗じて打って出る、という戦法は、今は無駄なようであった。
「そちらこそ、何度も倒されたと言う割には、なかなかの腕のようですね」
 刃を交える前に、舌戦を交わす。意志が通じるなればこそであるが、ネイの目的はむしろ挑発より、その点を確認することであった。
 尋常の《彷徨う者》であれば、固有の意志など無い。ただ近寄る者に斬りかかるのみであるが、眼前の《彷徨う者》からは、少なくとも固有の意識を感じさせる『言葉』が投げかけられた。尋常の冒険者はそのような差違など気にも留めぬであろうが、しかしネイはそれこそが重要ではないかと考えたのである。
 相手に意志があることが分かる、ということは、その相手が世界というものを認識している、つまり自分以外の存在がこの世に存在していることが分かる、ということである。そしてそれが分かるということは、コミュニケートも可能である、という事だ。これは重要な差違である。
 つまり、この《彷徨う者》は、固有の意志なり恨みなりで現世に留まっており、通常の亡霊達とは一線を画した存在である、という事が確認できる訳だ。
 はたして、挑発に対する答えは返ってきた。

『道の理(ことわり)を知らぬ輩(やから)に殺されてやるわけにはゆかぬ。倒されたようにみせかけたのみよ』
 なるほど、とネイはむしろ感心したのだが、しかし表にそれを出すほど素直になる必要はこの際どこにもないのである。
「要するに、あなたがまだ死にたくないだけではないですか。例えば、貴方の言う『道』とは何なのですか?」
『知りたいか、娘よ』
 挑発されたにも関わらず、相手の声は昂然とした調子であった。
「無理に知る必要は無いのですけれどね。貴方を安らかに眠らせるお手伝いができるというのであれば聞くにやぶさかではないですよ」
 声は穏やかだが、どこまでもひねくれた事をいう娘である。秀麗な顔立ちだけに、一層小憎らしく感じるであろう。だが相手は仮にも亡霊である。ネイの挑発自体に乗った気配は絶無であった。しかし言葉の内容には反応した。
『なれば教えてやろう。我が求むる『道』とはな――』
 突進、抜刀、斬撃。静から動への移行は一瞬であった。ネイがそれを受けることができたのは偶然に近い。受けた柄と受けられた刃がきしんだ音を立てながら擦りあわされる。
『――『修羅道』よ』
 ネイの眼前で、それははっきりと口にした。

◆◇◆

『武士道は、死ぬことと見つけたり。修羅道は、倒すことと見つけたり。例え悪鬼羅刹となろうとも、眼前が敵全てを斬らねばならぬ。それが修羅道が掟よ』
「……それで、本当に悪鬼になってたら世話はありませんね」
 嫌みを口にしながら、ネイは間合いを離そうとした。突き放す。が、その動作を押さえ込まれ、逆に体勢が崩されそうになる。鍔迫り合いとなれば槍は明らかに剣に劣る。柄が切り落とされなかったのは僥倖であった。鋼拵えは伊達ではない。
 柄を返し、相手の胴を打つ。同時に蹴りを放って無理矢理隙間を作ると、ネイは背を後ろに倒しながらも強引に戟を翻した。胴を二度も打たれ、さすがに初動が遅れたか、《彷徨う者》は月牙を受けるのが手一杯であった。その隙に、間合いが離される。
 睨み合いながら、ネイは手元の水戟を持ち替えた。今度の戟は、属性は付与されていない。代わりに星の欠片が3つも使われた逸品である。限界以上に精錬されたそれは、尋常でない破壊力を誇る。人の手によるものとはいえ、職人達と使用者であるネイの魂が込められた戟は、それ自体が威を放つかのようであった。例えば、《彷徨う者》の手にある古刀のように、である。

 そしてその持ち主もまた、自身が独特の威を放っていた。似通っておりながらもどこか決定的に違うその威の差違は何故(なにゆえ)か。生者と死者の違いか。剣と槍の違いか。否。それは戦いへ赴く意志の違い。戦いそのものを求む者と、戦いの結果への好奇心と。
 そして似通っているその意味は、戦いそのものを望むという事に他ならぬ。双方ともに互いと戦うことを望む。それはまるで修羅と修羅の戦いであった。

 初手はネイが動いた。右下から左上への薙ぎ、一転して左下から右上へ、そのまま切り返して右下へと戟を薙ぐ。
 《彷徨う者》は避けなかった。下がりもしない。ただその手の古刀をもってネイの薙ぎを打ち払った。左へ、右へ、そして上体を反らして左下へ。重量のある戟の薙ぎはその威力も尋常ではない。本来なれば受けるなど論外であるが、この亡霊は全てを受けきった。刀を飛ばされるどころか揺るぎもしない。その握力と腕力は尋常でない事、疑いない。
 さらに左下に下がった古刀が翻ってネイの喉元を襲った。一転して守勢に立たされるネイだが、素早く柄を翻して柄頭で古刀を受け止める。そのまま戟を旋回させて槍先を突き込む。瞬速の二連刺突(つき)は見事、《彷徨う者》をとらえた。が、亡霊の致命傷からは程遠いものでしかなかった。

 三度(みたび)、彼我の距離が離された。
「修羅道、と言いましたね」
 ネイは舌端を開いた。しかし時間稼ぎなどではない。そのような技巧を凝らす意味はなかった。確かに体力は消耗し、会心の刺突も大した打撃を与えていない。しかしネイの言葉は、単に彼女の心象を音声化したものに過ぎなかった。心理戦などこの亡霊には通用しない事を、悟っていたのかもしれない。
「なぜ修羅なのですか?なぜ、戦う理由を捨ててまで、貴方は戦わねばならないのですか?――そう、死してまで貴方を突き動かすその動機は、何なのですか?」
 答えを期待していたわけではない。だが、ネイはどうしても問いたかった。
 答えは、返ってきた。
「理由など必要ない。そこに戦いがあるからこそ戦う。戦うこと、そのものに理由など必要あるまい?あえて理由を欲するなれば、我は戦うためにこそ戦うのだ」
 予想の域を超えぬ答えであった。しかし、こういう問いがくる事までは、ネイの予想の内にはなかった。
「娘よ、汝は何のために戦う?」

 何のために、戦うのか。
 その問いは、ネイが自身で思っていたよりも深く心に突き刺さった。
 共に戦う友もなく。守るべき物もない。
 自分自身を貫くことは、ネイにとっては孤独を意味した。
 他の者ならもっと器用な生き方ができたであろう。彼女にはそこまでの器用さがなかっただけに過ぎない。だがそれは、彼女の人生において決定的な『何か』を欠落させる結果となった。
 ネイには、戦うことしかない。戦うことでしか、自分を表現できない。
 それはこの亡霊と、同じではないのか。

 何のために戦うのか。
 何のために、生きるのか。

「何のために、戦うのでしょうね……」
 自嘲めいた口調で、ネイは呟いた。しかしその表情に翳りはない。故に、次の言葉には迷いはなかった。
「確かにまだ、私の戦う理由は見つかってはいません。それでも、貴方のように戦うために戦う、などという事は私にはできません。私は、戦うためだけに戦いません」
 戦うだけのためには戦わない。戦うだけのためには戦えない。ネイにはそこまで戦いに純化し、達観する事はできない。そのつもりもない。常に戦うための『何か』を模索し、悩み続けたい。人の温もりを手にすることのできなかったネイの、それは人としての意地に近かった。

「よかろう。なれば我と汝は相容れぬ存在という訳だ」
 亡霊が宣告した。
「決着を、つけようぞ」

◆◇◆

 戟と古刀が、四度(よたび)、激突した。
 切り込む。打ち込む。薙ぎ払う。突き込む。
 打ち払う。受け流す。受け止める。避ける。
 打ち合わされる数はすぐに十合を超え、二十合を数え、三十合に達し、さらに激しさを増して打ち合わされる。
 ネイのヘルムに割れ目が走る。鋼鉄の鎧を付加した装束が数カ所に渡って裂ける。鮮血が迸るが一歩も引かぬ。
 《彷徨う者》も無傷ではない。幾条もの傷から生気が徐々に抜け出していく。それでも亡霊は引く事をしない。
 凄惨であるはずの戦いは、見るものがあればかえって目を奪われたであろう。それほどに激しく、凄惨で、それ故に、美しかった。
 その、結末も。

◆◇◆

 ネイの至近距離でのブランディッシュスピアが、《彷徨う者》の胴を両断していた。
 しかし亡霊は下半身を失いながらも、残滓の光のごとく、なおその威は健在であった。
「見事であった、娘よ」
 その姿を維持するにも事欠く状態でも、亡霊の言葉は明晰だった。
「……ありがとうございます」
 珍しく殊勝に礼を言うと、ネイは騎鳥から飛び降りた。着地の振動が傷に響くが、眉をひそめたのみで堪えた。《彷徨う者》の側に膝をつく。その姿は――亡霊相手におかしな話だが――相手の最期を看取るという風があった。この期に及んで未練もなかろう、と踏んだのである。それは正しかった。
「悪鬼と化してより後、初めて心から愉しんだ戦いであった。礼を言うぞ」
 あまり嬉しくない礼であった。ネイにとっては命がけであったのだから。尤も、それ故にこそ、『愉しめる』戦いであったのだろうが。
 かつて悪鬼であった亡霊は、かすれ行く姿で手にした古刀を鞘に納め、それをネイに向かって差し出した。
「既に死したる身故の、せめてもの礼だ。受け取るがいい、娘よ」
 ネイにしてみれば青天の霹靂のような言葉であった。死してなお手元に置いた愛刀である。その身の最期まで肌身離さぬものと思いこんでいた。それを礼に差し出されるとは。「受け取れませんよ、そんな大事な物。冥土の道連れになさって下さい」
 亡霊はからからと、楽しげに笑った。
「死に行く者の最期の頼みぞ。それを聞けぬとは、あまりにつれないではないか」
「しかし、そんな――」
「案ずるには及ばぬ。汝との死合の記憶、確かに冥土への手土産にしようぞ。元よりこの世に処するなき悪鬼の身。冥土の道連れも、形無きものこそ相応しかろう」
 だから受け取るがいい、と亡霊は言った。ひょっとするとこの亡霊は、この世に己の身を示す物を、何かしら形として残したいのではないか。ふとネイの脳裏をそういう思いがよぎった。
 ネイは嘆息すると、古刀を手に取った。
「……分かりました。確かに頂きます。心安くして、逝って下さい」
 亡霊は髑髏の顔で、しかし確かに微笑んだように見えた。その姿が霞となって消え去る最期の一瞬。
「娘よ。汝は、こちらへ、来るな――」
 それが最期の言葉であった。

◆◇◆

 《彷徨う者》が逝った後も、ネイはしばらくその場に立ちつくしていた。
 『こちらへ来るな』とは、どういう意味であったろうか。
 「死ぬな」という意味では、おそらくない。冒険者であるネイは、安んじて死ぬ権利を放棄したも同様である。そのような者に「死ぬな」とは滑稽きわまるであろう。
 おそらくは、とネイは思う。
 人として死ぬ権利を捨てても、人として「生きる」事を捨てるな、と、彼の者は言いたかったのではないだろうか、と。
 人として生きるということは、つまり人との交わりを捨てずに生きる、という事に他ならない。例え人と異なる点があったとしても、それを補い、あるいは克服し、他者との繋がりを深めていく、という事である。
 生きている以上、他者という存在は無視できない、無視してはいけないのだ。
 戦う事でしか自己を表現できなかったネイに、あの《彷徨う者》は、その事を伝えたかったのではなかろうか、とネイは思った。

 死闘の跡地に、風が吹いた。
 留まるな、という死者の声に、ネイには思えた。
 古刀を腰帯に差すと、ネイは物思いを振り払って騎鳥に跨り、その場を去った。

 以後、フェイヨンの東に《彷徨う者》を見た者はいなくなったという。


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