アパートの集合便箋受けを開けると、いつも通りの内容物であった。
少なくとも、その時にはそう見えたのは確かだ。
出張風俗と宅配ビデオのチラシが数枚――最初はどうやって独身男が住んでいる事を把握しているのか、などと色々想像を逞しくしていたが、なんの事もない。こういう1Kアパートやワンルームマンションには、手当たり次第に入れているだけなのだ――、それに公共料金の通知書。それに新築マンションの抽選応募。
――マンションを買うような金があったら、わざわざこんなアパートに住む物好きがいるものか。
そう考え、私は心中で苦笑した。
その物好きが、現にここに存在していたからである。
私はそれらのものを掴みだし、通知書を除いた残りをゴミ箱へ直行させようとして、最後の一通に気がついた。
それは、結婚式の出欠伺いであった。
裏を返し、差出人を見る。
その名は――昔馴染みの、あいつ達のものであった。
私は、星の瞬かぬ夜空を見上げ、独語した。
「そうか、結婚するのか……」
夜空は、なにも答える事はなかった。
狭いユニットバスでシャワーを浴びた。風呂は狭いが、トイレと一緒でないだけまだマシであろう。身体を拭い、下着を身につける。
そして小さなシンクを半ば占領しているでかい薬缶から、風呂場に入る前に沸かしたばかりの麦茶を、氷を大量にぶちこんだグラスに注いだ。
みるみるその体積を減じていく氷を見つめながら、私はまだ湿った頭髪をバスタオルで拭う。氷が溶けきった頃を見計らって、麦茶をあおった。
二十四にもなれば、風呂上がりはビール、と決め込んでいる者も多いであろうが、私はビールが嫌いだった。あんな炭酸入り麦茶のどこが旨いのか、と思っている。あんなものより、ウィスキーの方がよっぽど優雅で上品な飲み物ではないか。同じ麦から造っている――厳密には別の麦であるらしいが――というのに、酷い差違ではないか。
尤も、これは私の偏見であり、他人に押しつけるつもりは毛頭無かった。同様に、ビールでの乾杯や一気呑みを強制されるのも、ご免であったが。
――つまり、私はサラリーマンとしては失格なのであろう。自嘲するのも馬鹿馬鹿しく思える。この程度の譲歩もできずに、組織人としてやっていけるはずもないのだ。
――しかし、あいつなら巧くやっていけるだろうな――
先ほどの出欠伺いの、新郎の顔を思い浮かべた。
私はテネシーウィスキーの瓶を取り、カットグラスに中身を注ぐと、ストレートのまま一口やり、グラスを手にしたまま、ベランダに出た。
私と彼らとは、中学から高校にかけて、いつも三人で連んでいた。
あいつが何かを提案し、私がそれを眺めようとしていると、彼女が横から私の腕を引っ張って、いつも輪の中に引き込んでいく。概ね、私達はそんな関係であった。
協調性のない私にいつも構う、物好きなやつらであった。
しかし、私はそんな彼らに反発しながらも、憧憬の念をも持っていたのだ。
私の家は、昔は資産家であったという。しかしその時点ではすでに零落し、奨学金がなければ、私は高校になど通う事は不可能であっただろう。そんな人間に構うものなど、殆どいない。しかも私には、致命的なほどに協調性が欠けていた。
しかし、あの二人だけは違っていた。偏見も利害もなく、私と対等に付き合ってくれていたのだ。
私は彼らのようにはなれない。そう思うと同時に――なら、私にしかできない事をやってのけよう。そう思い立ったのは、その頃である。
私は高校を卒業すると同時に街に出た。ひとりでだった。
――本当は、彼女に着いてきてほしかった。一緒にいて、今までのように、腕をとって元気づけて欲しいと思った。
しかし、それはできなかった。
私には、ふたりで暮らせるだけの金などなかったからだ。それどころか、私一人ですら立ちゆくかどうかの金額しか、手元になかった。
結局私は、彼女に何も言わず――何も言えず、あの町を出た。
――もし、あの時、彼女にちゃんと言えていたら、どうなっていたであろうか?
私は埒もない空想を止め、琥珀色の液体を一口やった。
今となっては、子供であったあの頃が、ひどく懐かしく思える。
使い古された表現だが――素直にそう思うのだ。
『好き』も『嫌い』も、己の間尺のみを基準にして、生きていられたあの頃。
『好き』という気持ちだけで、相手と共に居られた。
あの頃は酷く反発したその手の言葉の意味が、今ははっきりと解る。
曰く――命短し、恋せよ乙女――
『華』の生命は、確かに短い。
激しき夏の太陽は、気がつけば、深く暗い雲の向こうに隠れてしまう。
もし、創造主というものが存在するのであれば――そいつは人の悟性に、酷い欠落を与えたものだと思う。
貴重な日々のなかにあっては、その価値を理解する事が出来ないなどとは――!
私は結局、夏の日々に、何も残す事が出来ず、ここまで来てしまった。
悔いてもどうしようもない事は、理解してはいるのだが……
この年齢(とし)になってしまうと、もうその頃のように『好き』という気持ちだけで、どうこうすることは不可能になる。
お互い、『結婚』という単語を、嫌でも認識してしまうためだ。
そんな事はない、という者も無論いるであろうが、所詮は例外である。
そして、結婚の何が悪いのか。そんなもの当然ではないか。という声もあるであろうが、まあ聞いて欲しい。
無論、結婚という単語を意識するには、相手の個性――外見、内面双方において――がまず第一であろう。だが――私はこの言葉が大嫌いだが、あえて使用する――現実はそれほど甘くはない。
双方の経済力のこともある。一緒にいるという事に慣れた頃に、それでも相手を思いやる事ができうるのか、という事。そして、一生を相手と共に生きる事ができるか、という覚悟。自分の自由を切り売りして、相手と共に暮らすという覚悟がなければ、結婚などするだけ無駄だ。
それだけの事を考慮して尚、相手と共に居たいと思えて初めて、結婚という行為が成り立つのだ。
見るがいい。自分の小手先の自由を束縛されるのが嫌なだけで、結婚と離婚を繰り返す愚か者の、なんと多い事よ。つまり、それだけの覚悟がない故の愚行である。しかも、離婚した事を自慢する者までいるのだから救い難い。己の人物眼と予見力が乏しい事が、そんなに嬉しいのであろうか?
――話が逸れた。
つまり、『好き』という感情だけで共に生きる事は難しい、という事だ。
風采がよく、誰にでも優しく、賢い人間が、必ずしも良い家庭人になれるとは限らないのだから。
極端な例を挙げれば、宋代の徽宋皇帝がある。
この人物は芸術家として優れた功績を残し、彼の作品はいくつもの国で国宝級の扱いを受けている。また、個人的にも善良であり、また風采も良く、皇太子時代には、貴賤いずれの女性にも人気があった。
しかし、政治的センスは皆無であり、皇帝としては無能であった。国は華やかに栄えたが、国勢は乱れ――彼は後に金国の虜囚となって、荒野で孤独のうちに死んだ。
これは個人的な人格が、必ずしも周囲に良い影響を与えるとは限らぬ、という良い証左ではなかろうか?
しかし、こんな事を並べ立てるのも、結局は自分の行為を正当化し、自己の境遇を慰めようとする保身から出たものかも知れない。
だが、私がそう考え、彼女に何も言わなかったのは事実だ。
そして、それが彼女のためになる、と考えた事も。
少なくとも、自分の気持ちだけで彼女を強制して、結果、彼女に苦労をさせたくはなかった。
――それが『正しい』かどうかは解らない。
きっと、誰にも、永遠に解らないだろう。
ただ、私は『正しかった』と信じたい。
あの二人に、私がいう事はただ一つ。
おめでとう。
それだけでいいと思っている。
激しい夏の頃の想いは、心の引き出しに、そっとしまっておこう。
そう思った私の脳裏に、ふと、有名な詩のフレーズが蘇った。
――やがて我らは深き闇に沈み行かん
さらば、めくるめく激しき夏の光よ――
私は肩をすくめ、カットグラスに残ったウィスキーを胃に流し込んだ。
激しく動き回る酒精の粒子が、少しだけ、あの激しい太陽を思い起こさせた――
今、人生の夏を生きる若者達よ。
畏れよ。畏れるな。絶望せよ。絶望するな。
友よ、逆らうな。とどまるな。
打ち震えながら――生きよ。
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