てのなかにあるもの

 3年の中間試験も終わり、あと1月ほどで梅雨入りの季節になろうかという、5月の終わりのある日の放課後。
 俺、相川真一郎は、待ち合わせのため、屋上で時間を潰していた。
 待ち合わせの相手は、瞳ちゃんこと、千堂瞳。
 久しぶりに風芽丘に顔を出した瞳ちゃんは、もちろん護身道部に顔を出していた。
 今はゴーイングマイウェイな主将・唯子を含めた部員達をしごいているのだろう。

 瞳ちゃんは『見学していてくれるんでしょ?』と言ってくれたのだが、俺は『ちょっと用事があるから』と言って断ったのだ。
 瞳ちゃんは、少し不満そうな顔をしたけど、それならと、屋上で待ち合わせをする事になったのだ。
 当然、用事なんかなかった。
 俺が見学に行かなかったのは、少し考え事をしたかったからだ。
 でも、待ち合わせに屋上を指定したと言う事は、もしかしたら瞳ちゃんは気付いていたのかもしれない。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れた。
「相川君?」
そんな時、俺の後ろから声をかけられた。
振りかえると、そこには少し訝しげな顔をした神咲先輩が立っていた。

「神咲先輩、お久しぶりです」
 俺が挨拶すると、先輩は「よかよ、そんなしゃっちょこばらんで。」と言って笑った。
 そして、その笑みを浮かべたまま言ったのは。
「悩み事?」
(鋭いな……)
 思わず言葉をなくしてしまった。何も言わなくても、俺の顔を見て納得したのだろう。
「千堂にはもう相談したんね?」
「いえ……この件に関しては、瞳ちゃんには相談しにくくて……」
 俺の返事に、先輩はすこしだけ黙って考えていたようだったけど、
「なら、うちに言うてみたらどうね? 一人で考え込むよりはずっとよかよ」
 確かに、『この件』は、神咲先輩の方が相談相手にふさわしい気がした。
 瞳ちゃんには後で何か、俺的に穴埋めを考える事に決めて、神咲先輩に俺の心境を話すことにした。

「先輩、雪さんの事、覚えてますよね?」
「うん」
 雪さんは、去っていく時、俺達の記憶を消そうとしていた様だったが、結果として、俺達はみんな雪さんの事も、ざからの一件も覚えていた。
 雪さんが、本当は忘れて欲しくなかったからなのか……それとも俺達が忘れたくなかったからなのか、それは解らないけれど。
 でも、その記憶の中には、いくつか後ろめたい事もある。
 そして、みんなを守りたかった。一緒に戦いたかったのに。
 ……結局、無力だった事も。
「俺……あの時、結局何も出来なかった様な気がする……。結局、みんなに護ってもらうだけだった……」
 神咲先輩は黙って聞いていてくれている。俺は先を続けた。
「俺にも何か力があったら……みんなと一緒に戦えたのに。それが悔しいんです。
 ……それに……」
「それに……?」
「力があれば、瞳ちゃんを護ってあげられるから」
 言ってて恥ずかしい台詞だと思った。つい顔が熱くなる。
 俺の顔をみて、神咲先輩は少し笑った。
「相川君は、今のままでよかよ。……今でも、十分つよいよ」
「そんなことは……」
「あるよ。腕力とか、そういうのじゃなくて……ここがね」
 そう言って先輩は、自分の左胸を指差した。

「どんなにすごい『力』を持っていても、心がつよくないと、その力はいずれ誰かを傷つけてしまうから。だから、心がつよいって事は、とってもすごい事だと思うよ。
 うちらは霊障を祓う。御剣たち忍者は、牙無き者の牙として……。普通の人達の普通の生活を護るために闘う。そんなうちらに憧れて、格好いいって言う人達もおるけど。
 うちは、『普通』の生活は、この上なく素晴らしいものだと思う。
 みんな『普通』を嫌がるけれど、今日の延長に明日があること。それはとってもすごいことなんよ。
 だからうちは、『普通』て事を、もっと大事にして欲しいんよ」「じゃぁ、『特別』な力なんていらないっていうんですか?」
「なくて済むなら、その方がよかよ。少数の特別なんて、9割9分はろくなもんじゃなかけんね」
「じゃぁ、先輩は、自分の力を……」
「正直、昔は恨んだりしたこともあるんよ。無理に祓う事も決して好きにはなれん。
 ……でも。うちはそういう風に産まれた。だから、うちはそれなりに生きることにしてる。それだけなんよ」
 そう言って先輩はまた少し笑って、あとを続けた。
「尤も、それに気がつくまで、結構かかったけどね。それに気がつけたのも、耕介さんのおかげ」
 そこまで言って、神咲先輩は照れくさそうに笑った。
 瞳ちゃんが言っていた。神咲先輩は、その耕介さんと付き合い出してから、良く笑うようになったって。
 ふとそんな事を思い出している間に、先輩の話は続いていた。
「うちらは、『異常』から『普通』を護るために闘う。だから、いつもの『普通』を保つために、他の人たちに頑張ってほしい。うちらが帰れる場所をね……
 戦いは、命をかけるものだけじゃないから……」

 手の中にないものは、尊く見える。
 昔、そんな事を瞳ちゃんと話した事があった。
 でも、裏を返せば、手の中にあるものを、軽視していたのかもしれない。
 今、手の中にあるものを貴重に思い、大切に護っていく。
 それもやっぱり『戦い』なんだ。

「先輩、ありがとうございます」
 俺は、神咲先輩に頭を下げてお礼を言った。
「よかよ、そんなに大した事いっちょらんけんね。それより……」
 先輩の含みのある台詞に、頭を上げた俺の視界に入ったのは、屋上の扉を開けてこちらに向かって歩いてくる瞳ちゃんだった。
 瞳ちゃんは俺と神咲先輩を交互に見て、そしてもう一度俺を見た。
 ……その瞳が冷ややかに見えるのは俺の邪推なんだろうか?
「千堂、心配せんでよかよ。相川君は浮気なんてしちょらんって」
 笑いながらいう神咲先輩に、瞳ちゃんは少し赤くなって、
「そういう意味じゃないわよ、もう」などと言っていた。
 そんな平和な光景を見ながら、
(今、手の中にあるものを、護る、か……)と、考えていた。

 不意に、瞳ちゃんの声が耳に飛び込んでくる。
「真一郎、帰りましょう!薫も一緒するって!」
「わかった!」
 俺は答えて、瞳ちゃんと並んだ。

 空はどこまでも蒼く、風が新緑の薫りを運んできていた。


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