「こんにちわ〜!」
俺、相川真一郎の挨拶が、さざなみ寮の玄関に響いた。
今日は特に用事もない。単に遊びに来ただけ。ただ唯子と小鳥はちょっと遅れて来る事になっていた。
ただ、今日のさざなみ寮は、挨拶をしてもだれも出てこなかった。玄関が開いていたのに。誰もいないのなら、耕介さんがきっちり戸締まりをしていくはずだ。
「困ったなぁ……」
誰も出てこないなら勝手に上がるわけにも行かないし、かといって玄関が開けっ放しのまま一旦出直すのも気が引けた。
「相川君……?どげんしたんね、こんな所で……?」
そんな時に、不意に後ろから声をかけられて驚いた。慌てて振り向くと、何かの包みを抱えた神咲先輩が、不思議そうな顔をして立っていた。
「いや、ちょっと遊びに来たんですが、挨拶しても返事がないんで困ってたんですよ」
俺の言葉に神咲先輩は首を傾げたが、気を取り直して俺に上がるように勧めてくれた。
「まったくあん猫は、ほんにしょんなかね……」
神咲先輩はぶつぶつと不平を漏らしている。子供と猫たちの足跡が泥でくっきりとリビングについている。恐らく美緒ちゃんとその配下だろう。ついでに当人達はそのまま再び外に行ってしまったらしい。神咲先輩はなんだかんだ言いながら、きちんと雑巾で足跡を拭き取っていく。全くこういう所もほんとに偉いと俺は思う。手伝おうかと申し出たが、
「お客に掃除なんかさせられんよ」と言って断られてしまった。
しばらくして掃除がすむと、神咲先輩も麦茶を注いだコップを前に、リビングのソファに座った。そのまま、俺と神咲先輩の2人で世間話をする。
不意に、神咲先輩が持って帰ってきていた包みがソファから落ちた。俺はその包みを拾って返そうとしたが、包みの感触はなんだか妙な感じがした。
「神咲先輩、これ何なんです?」
俺は何気なく聞いたつもりだったけど、神咲先輩はなんだかバツの悪そうな顔をしていた。そして少しためらって。
「春原先輩への、お供えなんよ」と言った。
なんで七瀬のお供えを持って帰ってきたんだろう?と一瞬思ったけど、心当たりはすぐに思いあたった。
「まだ、避けられてるんですか、七瀬に……?」
神咲先輩は顔を曇らせて、「うん……」と呟いた。
「うちは……」神咲先輩は、少しづつ、心の中のものをはき出すように、話し出した。
「昔……春原先輩に会った頃は、成仏できない『可哀想な』霊やち思っちょった……。
……その辺は、耕介さんも知っちょると思う。でも、この間、それは違うって分かった
んよ。」
この間というのは、ゴールデンウィークの、ざからと雪さんの一件の事だろう。
「あの人は、確かにもう亡くなってるけど。それでも、あの人には『魂』がある。力の限り、『生きよう』としてる。」
単語自体は矛盾しているように聞こえる。だけど、言いたい事はよく分かる。七瀬には、強い意志がある。例え、死んでいても。そして、存在できなくなる最後の一瞬まで、全力で『生きよう』としている。
「あの人には、おかしな同情なんて、むしろ侮辱にしかならんって事、よくわかったから。
……同情じゃなくて、うちは、先輩とも一緒に『生きたい』。……できたら、友達になりたい。相川君や、千堂とかみたいに。」
俺も、できたら2人には仲良くして欲しいと思ってたので、少しも異論はなかった。
むしろ、喜んで協力する。2人だけの『七瀬と神咲先輩を仲直り(?)させよう作戦』のささやかなはじまりだ。
計画自体は、石を投げられても文句言えないくらい(実際に投げられたら文句言うけどね)単純な物だ。
多分、神咲先輩の事だから、一人で旧校舎に行って、春原先輩を呼んでるんだろう。そう思って訪ねてみると、案の定だった。
七瀬もけっこう頑固だ。多分、今実際にはそんなに嫌ってなくても、自分からは素直になるのは難しいだろう。単純に乗り込んでも無意味だ。
そこまで俺が言うと、神咲先輩は不安げな声で、
「じゃぁ、果たし合いでもしろって言うんね……?」と言った。
俺は冗談交じりにその光景を想像する。…………洒落にならなかった。
「違いますって。」俺の言葉に、神咲先輩はほっとした顔をした。
「人間が文明を発展させた、偉大な発明を利用するんです。」
俺のコーショーで文学的な説明に、神咲先輩はこうのたまってくれた。
「相川君、大丈夫ね!?熱あるんかもしれん!ちょっとそこに横になっちょき。すぐ十六夜呼んでくるけんね!」
……さりげに失礼な神咲先輩だった。
次の日の夕方。旧校舎から校門に向かって歩いている神咲先輩をみつけた。その手にはなにも持っていない。
「神咲先輩、うまくいきました?」俺は早速話しかけた。
お供えと一緒に包んだ、一通の手紙。それが昨日の作戦の種。
人類が情報伝達・保存の手段として生み出した最高の発明『文字』に、俺達は便乗したのだ。
紙とペンに、先輩の想いを込めて。今、先輩の『想い』は旧校舎の七瀬のもとにある。
「まだわからんよ。でも……」そういう神咲先輩の顔には、不安はあっても挫折する意志は全く見られない。
「一回や二回じゃ、絶対あきらめんけんね、うちは。」
そう言って、先輩はちょっと笑った。
俺はその顔を見て、きっと大丈夫だと思った。
きっとうまくいく。今日はダメでも、いつかきっと。
「相川君?」
にこにこしてる俺に、先輩は訝しげに呼びかけてくる。
俺はにこにこしたまま「大丈夫ですよ」と答えた。
「そうだ、神咲先輩。さざなみまで一緒しませんか?」
俺の提案に、神咲先輩は何故か微苦笑をたたえて首を振った。訝しる俺の後ろを、先輩は指さした。
……嫌な予感、開始。
そして不意に俺の肩にかかる、いいにおいのするさらさらの長い髪。
……嫌な予感、的中……。
「……真一郎、昨日から薫とこそこそなにかしてると思ったら、私の親友をナンパしてるのかしら……?」
声は笑ってる。きっと顔も笑っているに違いない。……なのに、俺の背中をつたう、この冷たい汗はなんだろう……?何か言わなきゃいけないと思う。同時に何を言っても危険な気がするのはきっと俺の妄想ではないはずだ。
「ねぇ、真一郎……?」
俺の耳元で囁かれる、甘やかな声。俺の顔からは血の気が引いているに違いない。
「……肉体的損失と金銭的損失、どっちがいい?」
「おごらせて頂きます。」俺は即答した。
華やかな笑い声と一緒に、俺の背後の人物――瞳ちゃんが神咲先輩に呼びかけた。
「だって、薫。一緒にお茶しない?」
神咲先輩は苦笑しながら「あんまり相川君いじめんのよ」といいつつ、瞳ちゃんの横に並んだ。……どうやらさっきの恐喝(?)はジョークですみそうだ。俺は、年上2人の一歩後ろを歩きながら、ふと旧校舎を振り返った。
「大丈夫だよ、絶対……」
願望より、確信を込めて俺は呟いて、風芽丘の校門をくぐった。
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