普段は黒一色、精々濃紺か焦茶色の暗色系の服しか着ない恭也だが、今日は白地のタキシードなどを着ていた。
尤も、種を明かせばどうと言う事はない。
今日は、彼が主役の片方を務める、結婚式なのだから。
どんな日であろうと、所詮男の身支度など、女性のそれに比べれば簡易で適当なものである。
まして、朴念仁と言う言葉がたまたま人間をやっているような恭也が、そんな所まで気が回るはずもない。最初など、いつも通りに雑にタキシードを着込んで外に出て、家族全員と友人御一行様の罵倒の大合唱に囲まれたものであった。
そんな彼にしてみれば、まだしもマシな調子で服装を整え、なんと髪まで丁寧に梳かしている様は、一種奇跡的なものであったかもしれない。
そうして容姿を整えた様は、実のところ一流映画スターもかくやと言わんばかりの美青年ぶりであり、往年の『高町先輩ファンクラブ』などが一見すれば、恍惚のあまり卒倒した事疑いないであろう。
尤も、彼自身にしてみれば、自身の容姿などに一ミリグラムの関心もなかったのであるが。
そんな異例の美青年ぶりをみせている恭也が、控え室の中をあたかも動物園の熊のような風体で、落ち着きなくうろうろしている様は、かなりの見物であったかもしれない。
――事実、この一部始終は、なのはと月村忍の共謀でビデオカメラに収められ、後日の話の種とされてしまうのだが――それは余談である。
付き添いの赤星勇吾の苦笑いをよそに、檻の中の熊を演じている恭也に、その停止を促したのは、ある人物の入室であった。
新婦、高町――もとい、『旧姓、御神美由希』の実の母親である、御神美沙斗である。
赤星に、暫くの退室を願った美沙斗は、彼の退室を確認すると、恭也に向き直った。
「先ずは……結婚、おめでとう、恭也くん」
「……ありがとうございます」
自分の実の叔母とはいえ、新婦の母親にそう言われるのは妙な気分であった。
尤も、その成分は違えど、似たような気分を美由希も味わっている事であろう。
――何せ、『二人の母親』から祝福されるのだから、喜びと感謝が大部分を占めるとは言え、一種の当惑から自由ではいられまい。
そんな事を脳裏の隅で考えた恭也に、美沙斗は意地の悪い笑みを浮かべて、最初の一弾を撃ちだした。
「そういえば……君たちは、どちらが家事をするつもりなのかな……?」
美由希を知るものであれば、思わず困惑と狼狽を強制される一言である。
当分は高町宅でこれまでと同様に過ごすとはいえ、いずれは転居する事も一考せねばならなくなるであろう。
その必要はない可能性の方が高いが、それでもこの問題は、軽視するには危険すぎた。
「……アレは、一応掃除と洗濯はまともに出来るので……飯さえ俺が作れば、新居に若夫婦の死体が二つ並ぶ事は、避けられると思います」
その未来図の想像をする事は、恭也は慎重に避けた。
美沙斗は「成程……」とひとつ頷くが、その表情は変わらない。
――まだ俺で遊ぶ気だな。恭也は直感した。
最近、桃子と付き合いが増加するに比例して、どうも彼女やフィアッセあたりの影響を色濃く受けている気がする美沙斗だった。
そのこと自体は別に否定しない。むしろ、彼女の過去を鑑みれば、歓迎してもよい事態でもある。
しかし、その矢面に立たされる現状は、彼にとって決して歓迎できるものではないのも事実である。
喜ぶべきか否かで悩む恭也を――表面上――無視しておいて、美沙斗はさらに『痛い』所を突いてきた。
「まぁ、私としては……美由希のお腹を気にしながら式をせずにすんで、よかったと思っているよ」
暗に、『できちゃた結婚でなくてよかったね』と言っているのである。
「……そうですね」
後ろめたい事がありすぎる恭也は、表面上は冷静にそう答えたが、こめかみから脂汗が一筋、流れ落ちるのを制止する事は出来なかった。
尤も、この件に関しても、美由希も恭也とほぼ同じ反応を示すだろうが。
こめかみから流れる脂汗を、意地悪く見つめる美沙斗の視線を感じながら、恭也は危険な雰囲気を大気中から嗅ぎ取った気がした。
――殺られる!?
後ろめたいものが故の、そんな危険な思考と共に、無意識中で美沙斗の武装を探り始める。
そんな恭也の臨戦態勢を嗅ぎ取って、ついに美沙斗は声に出してくすくす笑い始めた。
訝しがる恭也を、美沙斗は笑いながら安心させた。
「心配しなくて良いよ……。好きな人と、身体を重ねたくなるのは……自然な事だからね」
表情の選択に困っているが故の無表情を浮かべている恭也に、美沙斗は続けた。
「第一……私だって、人の事は言えないんだ。静馬さんと、式を挙げた時にはもう……私のお腹には、美由希が居たんだからね……」
「……そう言えば、そうでしたね……」
またしてもからかわれた事に気がついた恭也は憮然としたが、その顔をみてもう一度美沙斗はくすくす笑い――少し遠い目をした。
「早いものだね……あの赤ん坊と、あんな小さかった男の子が、こんなに立派になって……」
目を細め、優しい表情を浮かべ、美沙斗はそう言を紡いだ。
「気がついたら……もう美由希は、お嫁に行ってしまうんだね……」
「……いつでも、会えますよ」
その言葉に幾ばくかの寂しさを感じた恭也は、真摯に言葉を紡ぐ。
「美沙斗さんも、やっと『目的』を果たしたんですから……ここで、ゆっくり過ごしましょう……」
数週間前、憎むべき敵(かたき)であった『龍』は、美沙斗を含めた『香港特殊警防隊』の手によってその大元を絶たれ、今は残党が、あたかも胴体から断たれた複頭蛇の頭のように、弱々しく蠢いているに過ぎない。後は狩り出され――かつて彼らがそうしたように――虫けらのように蹂躙されるのを待つのみである。
恭也はその現状を鑑みて、美沙斗にそう勧めてみたが、美沙斗は首を横に振った。
「私は……もう少し、休む事はできないよ……。今まで、足蹴にしてきた、人々の為にも……」
反論しようとする恭也の口を視線で封じ、美沙斗は続けた。
「……もう少し、時間が過ぎて、疲れたら……その時は、休ませてもらうよ……
でも……今はまだ、私は疲れてはいけないんだ……」
「……美沙斗さん」
その言葉に不吉なものを感じた恭也は、口を挟んだ。
「その『休む時』というのは……『墓場に入る時』と、同義にしないで下さい……」
美沙斗は微笑んだまま、何も言わない。恭也は言を繋げた。
「……ちゃんと生きて、帰ってきて下さい」
そこまで言って、ほんの僅かだけ言葉を――照れのため――切って、恭也は続けた。
「……美由希のウェディング姿は、見せられましたけど……俺達の子供の顔、美沙斗さんにも、見て貰いたいですから……」
「…………そう、だね……」
美沙斗は、目を細めながら、何度か頷いた。
「……私も……君と、美由希の子供の顔が、見たいよ……」
その目尻には、僅かに光るものが見られたが――恭也は見ないふりをした。
「……美由希は、いい男を、捕まえたな……」
「……俺は、まだまだです……まだ、父さんを超えられない……」
美沙斗の言葉を否定して、恭也はそう言った。
「……俺は、父さんにひとつだけ、文句を言いたい事があるんです……」
唐突な話の転換に、美沙斗は驚くことなく首肯した。
「偶然だね……私もだよ」
そう言って、美沙斗は微笑して言を接いだ。
「偶然ついでに……『王様の耳』と、いってみるかい……?」
「……いいですね」
恭也が了承すると、無言の合図と共に、恭也と美沙斗は、同時に口を開いた。
「……かーさんを置いて、自分ひとりでさっさと逝ってしまった事」
「……桃子さんを残して、自分の正義を貫いて、死んでしまった事……」
二人は顔を見合わせて、声に出さずに、くすくす笑った。
笑いを先に収めた恭也は、真摯な声で言を紡いだ。
「俺が、父さんを超える時は、きっと……」
人生の最終楽章。
自分と、美由希や家族とが、円満に別れる事が出来た時。
父のように、愛する人たちを置いて、先に逝く事もなく。
最後まで、その笑顔を守り続ける事が出来た時だと、そう思う。
恭也の決意を聴いた美沙斗は、恭也の目を正視して言った。
「……恭也くん。君は……死ぬんじゃないよ……」
恭也も、美沙斗の目をしっかりと見据えて答えた。
「……はい。美沙斗さんも……きっと、帰ってきて下さい」
恭也の言に、美沙斗はしっかりと頷いた。
「あぁ……。今の私には、帰る場所がある……。」
美沙斗は自分の言葉を噛みしめ、言葉を続ける。
「……きっと、この場所に、帰ってくるよ。
優しい『家族』のいる、この街にね……」
そう言って、美沙斗は極上の笑みを、そのかんばせに浮かべた――
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