ウェイトレス・ラプソティ(前編)

<1>

(俺……こんなとこで、なにやってるんだろ……?)
 どこか虚ろな瞳で、相川真一郎は自分の周囲を眺めやった。

 彼の目には、ファミリーレストランの小綺麗な内装が映っている。それは良い。そして彼が立っている位置は、そのカウンターの中である。それもまだ良い。
 ――ひとえに問題は、彼が装備している品の、その内容であった。
 タックフロントのブラウスに、黒い短めのニーレングス・セミタイトの吊りスカート。それに、白いサロンタイプエプロン。腰には手書きの名札。ご丁寧に、胸には深めのパッドを二枚重ねにして入れられている。
 知己(しりあい)の者が見れば、さぞ愉しく笑う事であろう。要するに、完璧なまでのウェイトレス一式装備なのだった。

 ちなみにタックとは、プリーツ(折り目)技法のひとつで、生地を立体的に見せたり、着用者の運動対応量を増やすためにつけられるものであるが、最近はむしろ、デザインのアクセントとしてつけられる事が多い。タックはそのうち、折り目がやや曖昧なものを指すが、『タックフロント』とは前あわせのブラウスのボタンに沿ってつけられたタックの事だ。つまり一部のブラウスに見られる、前ボタンの左右の2から5本程度の線のようなもの、あれの事である。
 そして、レングスとはスカートの丈の長さを表す用語である。ニーレングスとは膝丈の事で、それが少し短いと言う事は、裾が膝より少し上程度の長さ、という事である。

「ごめんねぇ、相川く……もとい、『相川さん』?」
 真一郎を現在の状況へと追いやった張本人のひとり、仁村知佳が謝ってみせたが、どう聞いてもからかっているようにしか聞こえない。彼女の表情が、そう確信させてくれる。
「No Plobrem.良く似合ってるよセンパイ……ボクたちよりもね」
 知佳の共犯者であるリスティ・槙原が、どこか含みのある笑みを浮かべて保証した。
 真一郎としては誉められても、全く嬉しくないのは、無論の事である。
 ましてや彼女のその台詞は、今回彼をこの窮地へ導いた失言を嫌でも彷彿とさせ、真一郎をうんざりさせた。
「うう……お願いだから、せめて俺だと分かりそうな単語は、できれば控えてくれると非常に嬉しい……」
 真一郎はそう呻いたが、少女達は笑顔を揃えて、
「却下!!」
 と、非常に有り難いお言葉を頂戴したのであった。

「や、似合ってるって、マジで。おねーさんもびっくりだよ、ホント」
 嬉しくない事を嬉しそうに言って下さったのは、千堂瞳の姉、千堂真由である。彼女の身を包む制服は、彼女達(一部『彼』含む)の制服とは少し構成が違っていた。
 スカートは全く同じものだが、ブラウスはタックのないシャツタイプで、その上に黒のベストにネクタイ。見るからに少し偉い人、といった風である。
 実際、彼女はこの店でフロア・マネージャーを務めているのであった。
 あに謀らんや、彼女がここのフロア・マネージャーであった事が、真一郎の不幸を加速させたのである。いわば、本件の主犯と言って良い。
 主犯がしゃあしゃあとのたまってくれるが、真一郎は全く慰められなかった。
 ついでに、女子服が似合うと言われても、その手の趣味のない真一郎に対しては、誉め言葉になどならないのは、当然である。

「お願いですから、瞳ちゃんを電話で呼び出すとか、しないで下さいね?」
 真由ならやりかねぬ――というより、やる。
 その確信を込めて、機先を制したつもりであったが、真由の返答はと言えば、
「ああ、そう言えばそういう楽しみ方もあったわねぇ」
 なぞと、ぽんと手を拍って得心したかのような態度を取って下さる。
 白々しい演技のような気もするが……案外、本当に気が付かなかったのかもしれない。藪をつついてヒュードラの一個小隊を呼び出してしまったかもしれない真一郎であった。

「うう、ホントお願いしますマジで……」
 これほど真摯な願いも稀であったろうが、天上におわす方々のご返答は、
「さあ、どうだろうねぇ〜?」
「それは神のみぞ知る、という感じじゃない?」
「偶然来ちゃったら、仕方ないもんねー?」
 などと、口々に白々しい笑顔で答えるのであった。

 どうやら、彼のささやかな願いは、受け入れられる事は無いようである。
 ――古人曰く、他人の不幸は蜜の味。
 真一郎はどうやら今の彼女たちにとって、極上の蜜のようであった。それを確認して、真一郎は地獄の一丁目あたりくらいには届きそうなほど、深い深いため息をついた。
(せめて、今日この時だけは、連中がこの店に来たりしませんように……)
 その行為の虚しさを自覚しつつも、真一郎はなにかに祈らずにはいられなかった。


<2>

 時間はやや遡る。

 真一郎がその店に入ったのは、無論ながら全くの偶然であった。昼食を摂るために、たまたま近くの店へと足を伸ばしただけである。
 そんな店の自動ドアをくぐると、わりと聞き慣れた声が、
「いらっしゃいませー!お一人様ですか?」
 などという言葉を発していたので、いささかなりと驚いた。
 真一郎がそちらを振り向くと、
「あれ、相川センパイ?」
「相川くん?」
 と、定型通りの言葉を相手は発した。
 無論と言うべきか、タックフロントのブラウスに黒タイトの吊りスカートを身にまとった少女達は、仁村知佳とリスティ・槙原であったのだ。

「なにやってるの二人とも、こんな所で?」
 この場所と彼女たちの格好を見て、なにやってるの、もないであろうが、真一郎はそう質問してみた。案の定、呆れた風体で二人が見返してくる。
「なにって……こんなとこでやる事って一つしかないと思うんだけど?」
 リスティの言に、真一郎は小首を傾げて、
「……コスプレ?」
 なぞと失礼なことをほざくので、勤労少女達の視線の温度は急速に低下した。
「そんな訳ないでしょ?もう、相川君はまたそういう分かり切ったボケを……」
「もちろん、アルバイトだよ。結構前から働いてるんだけど……知らなかった?」
 無論、初耳であった。知っていれば、もっと早くに誰かを引き連れて、ここへ冷やかしに来ていたであろう。真一郎がそう言うと、知佳がにこやかに聞き返してきた。
「あ、お店の売り上げに協力してくれるんだ?」
「ううん、しない」
 きっぱりと訳の分からない断言をされて、知佳は当惑したが、リスティは合点がいったようである。
「コーヒー一杯で何時間も粘るんだ?嫌なお客だね〜」
「いや、むしろお冷やだけ。しかもお代わりまで催促したり」
「うわ、最悪っ!」
 冗談か本気か、そんな事を言い合って笑う二人に、知佳は苦笑していた。

◆◇◆

「でも、バイトなんて、よく承知させたね」
 真一郎は、席に案内されながら、二人に向かって感心してみせた。
 実際問題、彼女らの保護者はやや過保護の傾向があり、外でのアルバイト、しかも接客業などを簡単に許可するとはあまり思えなかった。二人して、それほど身体が丈夫でない、という事情もある事だ。
「まあ……その辺りは色々と、ね」
 知佳が苦笑すると、リスティがしたり顔で頷いた。
「いや、あの時の真雪の剣幕といったらもう、さざなみ寮の終焉かと思ったね」
 大げさなようであるが、実は全くの事実であり、故に全く笑えない話であった。それを知る真一郎は「あ、あはは……」と乾いた笑みを漏らしてしまった。
「でも、それにしてもなんでここで?」
 わりとどうでも良かったが、一応聞いてみる。知佳は「ん〜」と人差し指を口元にあて、天井を見つめてから答えた。
「真由さんがここに就職したって聞いてたからね。知ってる人がいたら心強いでしょ?」
「まあ、確かに」
 知佳の言の通り、知己がいれば心強いのは確かだ。労働面だけでなく、心理的にも。
 そして彼女らの健康状態に留意する事ができる者がいる、という事が、彼女達がここでバイトする事を許可された、大きな要因であろう。
 そして、知己がいるという事は、もうひとつ大きな意味を持つ事になる。それは、彼女たちの『秘密』を知り、なお友好状態を保っていられる者がいる、という事である。いざという時にフォローを頼める人物であれば、申し分ない。
 千堂瞳の姉、千堂真由は、大ざっぱな人物ではあるが、しかし一方で細やかな気配りと大人の対応ができる人物でもある。普段の挙動にはいささかなりと問題があるが、信用するに足る人物であった。
 ……と、そこまで思考して、真一郎は大きな盲点を見いだした。
「……真由さんが、ここで働いてるって……?」
 改めて聞き返す真一郎に、知佳が「うん」と軽く肯定すると、真一郎の口元が微妙に引きつった。

 前述の通り、千堂真由は充分に信頼に足る人物であるが、一方で『真雪2号』の称号を賜るような危険人物でもある。特に真一郎にとっては、彼女はいささか鬼門めいた存在であった。
 晴れて千堂瞳と交際を始めてからほぼ半年。彼女が大学へ進み、自身は受験生という悪条件にかかわらず、二人の仲は良好であったが、悩みの種のひとつが、この千堂真由という人物なのである。
 千堂宅へ伺う度、或いは電話をする度、さらには時折自分から電話をかけてくる度にからかわれていては、真一郎が苦手意識を持つのも、仕方ない所であろう。
 尤も、そうして定期的に刺激を与えてくれる存在がいるからこそ、瞳との関係が途切れる事もなく、良好に保っていられるのかもしれなったが。

 ともかく、真一郎は千堂真由の存在を、一時脳裏から追いやる事にした。その事が判明すればいささか面倒な事になるのは確実であったが、そうそうそんな機会も存在すまい。そう考えての事ではあったが、結果としてそれが仇になる事となる。

◆◇◆

「給料もなかなかいい感じだし。それに……」
 そう言いながら、リスティがサロンエプロンの裾をつまんで、広げて見せた。
「なかなか可愛いでしょ、ここの制服?変にひらひらしてないし、シックで落ち着いてるけど、要点を掴んでるって感じで」
 服装の好みは人それぞれであろうが、ややもすると派手になる傾向すらあるウェイトレスの制服としては、確かにここの制服は落ち着いた色調で統一されていた。
「まあ、可愛いというか、むしろ格好いい?」
 何故半疑問形なのかは知らないが、真一郎の言う通りかもしれない。可愛いというよりは、格好いいという表現の方がしっくりくる。吊りタイトの肩紐が、胸元を強調するような格好となるので、色っぽいとも表現できるかも知れない。
「どう、似合う?」
 などと戯けながら、くるりとその場で一回転してみせるリスティであった。
「ん〜、似合ってない訳じゃないけど……」
 ……今少し落ち着いて考えてみれば、恐らく気付いたであろう。しかし真一郎はそれと気付かぬうちに、地雷を踏みつけていた。
「もうちょっと、胸がないと格好付かないかなあ、と……」

 ピシッ。
 空気が帯電する音と共に、少女二人は石と化した。

 ……この時の真一郎は、正直であったのだろう。だが、正直とは、いついかなる時も美徳である、とは限らぬのである。言わぬが華、という諺もある。
 店内にいる者たちの体感室温が、数度低下した。店内の、一切の音が消え去った。
 ……何か、とてつもなく不吉な事が、起ころうとしている。
 少なくとも、真一郎はそう感じた。
 厭な汗が、こめかみを伝って落ちた。

「た、確かに、相川くんの言う通りかもねぇ〜」
 知佳の表情は笑いの形に整えられていたが、こめかみが不規則に律動しているのが、かえっておっかない。
「さすが相川センパイ、鋭いご指摘だねぇ」
 リスティの顔も、笑顔で整えられている。だが、口元が明らかに引きつっている為か、言葉が微妙に震えている。少なくとも、怯えの為で無い事だけは、明白であった。
 つい数十秒前の言動を、マリアナ海溝より深く後悔した真一郎であったが、彼には時間を遡航する能力など持ち合わせておらず、故に、覆水盆に帰らず、の現状であった。
 ……否。むしろ、後の『血』祭り、と言う方が適切であるかも知れない。
 目の前で膨れあがっていく不穏なオーラをひしひしと感じていると、そう思えてならぬ真一郎であった。どうにかしない事には、我が身が風前の灯火であろうことは確実であったが、さて、どう取り繕ったらよいか見当も付かぬ。……というより、眼前の二人が、下手な言い分など聞く耳持たぬのは、どう考えても明らかであった。

 一触即発。この四字熟語がこうもしっくりくるシチュエーションも滅多にあるまい。真一郎が何かアクションを起こせば、恐らく彼女たちは爆発する。しかし、何かをせねば彼女たちの怒りが際限なく膨れあがっていくのである。耕介あたりがいれば、念仏の一つも唱えてくれたかも知れぬ。無論、役に立たぬ事も明白であったが。
 そんな破局を回避させたのは、新たな人物の登場であった。
「どしたの二人とも?……ってあらま、彼氏クンじゃない」
「あのー……俺、相川真一郎という固有名詞が……というかいい加減、『彼氏クン』はやめてくださると……」
「え、ひょっとしてもう婚約しちゃった?って事はフィアンセくん!?」
 無論そんなはずはない。そんな風にわざとらしく驚いてみせるのは、先刻から名前が登場していた、千堂真由であった。

◆◇◆

「……で?この殺伐とした雰囲気はどういう事なのかしら?」
 誠にごもっともなご意見であった。しかし、その正当な質問に対して、なかなか答える事のできる者がいないのも、また事実である。
 当事者どもが沈黙しているので、真由は腰に手をあてて呆れたように嘆息すると、従業員二名を引っ立てて、従業員用の通路へと消えていった。
 その場に取り残された真一郎が、居心地悪くソファに身を沈めながら、仕方なく羊を数えていると、千匹に達する前に真由が戻ってきて、開口一番、
「真一郎くん、ちょっと話があるんだけど、いいかしら?」
 などというので、さらに緊張を強いられる羽目になった。
 とは言え、ここで抵抗した所で何の益もないであろう――複数の事情により。故に、真由の言のままに真一郎も引っ立てられ、従業員控え室へと消えていった。

 長くもない通路を歩きながら、緊張している真一郎を見下ろして――残念ながら、妹よりは低いものの、真由も真一郎より長身であった――真由は気楽そうに笑った。
「だーいじょうぶだって、そんな緊張しなくても。あたしが妹の彼氏クンを、悪いようにすると思う?」
 思う。
 真一郎は反射的に即考した。しかし考えてみれば、真由は悪ふざけはしても、シリアスな事情には真面目な反応ができる女性である。真雪と同様、馬鹿でも変人でもない……変物ではあるかもしれないが。真一郎がそこまで思考するのを見計らったように、真由が駄目を押した。
「事情は二人から大体聞いたから。ま、あたしがちゃんと丸く収めてあげるわよ。まあ任せておきなさいって」
 やけにご機嫌な様子の真由に、かえって真一郎は不安になったものであるが――とにかく、この急場を凌げるのであれば悪魔の手も借りたい真一郎である。真由の言葉を信じる事にした。少なくとも真由は、悪魔よりはマシであろう。
 無論、真一郎の認識は甘かったのである。

◆◇◆

「と、言う訳でだ、相川真一郎くん。この服を着用してくれタマエ」

 控え室に入って何をするのかと思えば、いきなり真一郎に突きつけられたのは、この店のウェイトレス服であった。
「な、なんでそんな事を!俺は嫌ですよ!?」
 それは確かに厭であろう。真一郎でなくとも、公衆の面前で女装など恥ずかしすぎる。たとえ、どれほど似合ったとしても、である。
「いや、キミがどれだけこれが似合うかという事を思い知れば、二人ともすっきり納得できるじゃない?だからそれを証明する為にさぁ――」
「そんな無茶苦茶な話があるかぁっ!」
 確かに無茶な話である。しかし真由は、そんな形式論を爪先で蹴飛ばした。
「うるさい、あたしが通ったら道理が引っ込むのよ!うだうだ言わないで観念なさい!ほら二人とも手伝う!!」
 真一郎は盛大に逆らったが、知佳とリスティは逆らわなかった。嫌々従ったと表現すれば嘘になる。むしろ彼女らは嬉々として、真一郎ににじりよって行ったのだから。
「さあ相川くん、大人しくお縄についてね〜?」
「こちらとしても、手荒な事はしたくないんだよセンパイ?クスクス……」
 そんな光景を見て、真一郎は確かに、道理がこそこそと部屋の隅っこに引っ込んだのを視野に捉えた。全身の細胞が危険を訴えているのが分かる。

「い〜や〜だぁ〜っ!!」
 しかし、抵抗は無益であった。

 ……結局、知佳とリスティの念動力で手足を押さえつけられ、真由に「はいはーい、未成年は見ちゃだめよー」などと言われながらトランクス一枚にまで剥かれ、スカートを履かされて遊び半分にブラを装着され、胸パッドを入れられたりなどという風に、着せ替え人形にされた末。
 現在に至る、という訳である。


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