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  イルティシ河から水を引き、これから建つ小規模コンビナートに工業用水を供給するための浄水場の工事は佳境に入っていた。とはいえ建築屋の二期工事が始まらないことには、いくら早く仕事を上げても、僕たち電気工事屋は遊んでいるしかない。

  そんなわけで僕とコンスタンチン・イリイッチは早めに昼食をすまし、のんびり河原で日なたぼっこをしていた。僕は煙草を吸いながらタンポポの花が揺れるのを眺め、彼は芝に置いた新聞を見ている。だいぶ離れたところでは、僕と同期のフョードルが昼寝をしていた。

 コンスタンチン・イリイッチは不思議なひとだった。七年前、猫を入れた籠だけを下げて、あとは着のみ着のまま、身ひとつでシベリア鉄道に乗って東のほうから流れてくると、そのままここにいついてしまった。この電気設備公団に入るとき、どんな身分証明を見せたのかは知らないけれども、彼はなかなか手のはやい職人ではあった。

  彼の生まれがどこなのか知るものはいない。尋ねるものが、知るかぎりの極東の都市の名前を挙げても、彼はなぜかくすぐったそうに、もっと東、もっと東、というばかりで、しまいに聞く方が根負けしてしまう。一体どこまで東なのか、あるいはカムチャツカあたりの出身なのかも知れない。

  ラブレンテイー・ベリヤの時代の流刑囚だったのではないかと噂するものもいたが、彼はまったく気にしていないようだ。優しいひとで、怒ったところを僕は見たことがない。彼が入った当初、まだ新米だった僕はずいぶん助けてもらったし、今でもよく御馳走してもらう。彼は結婚していないし博打もしないから、財布にいくばくかの余裕があるらしい。

 結婚していないかわりに、コンスタンチン・イリイッチは猫を飼っている。シベリア鉄道に揺られてきたあの猫だが、今では繁殖してかなりの大所帯になっているときく。彼の作業服には、よく灰色の柔らかい猫の毛が着いている。ひょっとするとそのせいなのかも知れないが、彼の仕草はどことなく猫に似ている。とくに今のように休息しているときなど、まだ四十代のはずなのに、どうしても見るものに老いた牝猫がまどろむさまを連想させる。

  外界の繁雑な利害などに関心がないように見えるコンスタンチン・イリイッチだが、なぜか新聞を読んでいるいまのような姿をよく見かける。読んでいるのも地方紙ではなく、プラウダかイズベスチャの全国紙が多い。これもまた一部では、シベリア収容所仲間の名誉回復や職場復帰の動向に目を凝らしているのではないかという憶測の種になっていた。

  そのコンスタンチン・イリイッチが、唐突にナターシャ・ガリエナの名を口にしたので僕は跳ね起きてしまった。

「知ってるかい。ニコライ」

 僕は平静を装って聞き返した。

「どこのですか。父姓は?」

「アレクサンドローヴナだって。町の人間らしい。おまえと同じ年だよ」

「それなら知っています。有名人でしたから」

「向こうはおまえを知ってるかな」

「きっと覚えてないでしょう。それがどうしたんです」

「いや、知り合いだったらすごいなあ、と思って」

  彼は読んでいたプラウダを僕によこした。僕は彼が指さす先の、枠に囲まれた記事を見た。

 

                速報

  ソヴィエト空軍当局は、本日モスクワ時間午前八時、バイコヌール宇宙センターから打ち上げられ、衛星軌道を飛行する宇宙衛星船ヴォスクレセニエ1号(BOCKPECEHИE1)の搭乗者を、ナターシャ・アレクサンドローヴナ・ガリエナ空軍大尉(二十五歳)と発表した。

 

  写真はなかったが、そこにはガリエナの略歴が併せて記載してあった。見ればそれは、間違いなく僕の知っているナターシャ・ガリエナのことであった。

「じゃあ町のひとに間違いないんだね」

  コンスタンチン・イリイッチの顔に笑みがひろがっていく。それがどういう反応なのか一瞬分からなかったが、

「そうか、それじゃあまた酒が飲める」

  コンスタンチン・イリイッチはそのまま寝転び、新聞をふたつに折って顔の上に乗せてしまった。彼が猫のほかにもうひとつ必要とするものがあるとすれば、それは酒なのである。

 

                             

 

  僕はすぐ立ち上がって便所に向かった。職人用仮設は便槽が一杯らしく、入り口にテープがしてあった。建物の本設の方は、配管屋が昼も休まず作業していた。結局僕は電気室のドアを開けた。ここはフョードルの持ち場だが、彼はまだ昼寝をしている。

  僕は公団貸与の腕時計で時間を確認する。ベルが鳴るまであと十五分。僕は自家発電機の隅の壁に背中をもたせた。ズボンを引き降ろし、自慰行為に及んだ。

 

  一連のイメージは、ウィリアム・シェイクスピアの悲劇の冒頭を詠唱する少女の声に導入される。すぐ目の前にある、金の産毛につつまれた二本の白い脚は、十六歳のナターシャ・ガリエナのものだった。赤い腕章と僕の手にあたる彼女の靴先の感触。

 

  発射は早かった。僕はその場にあったラス(手拭い・ぼろきれ)で、手ばやく出されたものを拭い取ると、ズボンを上げてベルトを締めなおした。始めてから今まで、その間は五分に充たなかった。

 僕はラスをポケットにねじ込み、ドアに向かった。そこへいきなりフョードルが現れた。どうやら僕がここへ入るところを見てやってきたのだろう。蛇というあだ名のこの男は、作業ズボンのポケットに手を入れ肩をふりながら近づき、僕の顔を見る。

「ここで何してんだ。ニコライ・ラザノフ」

  僕は答えなかった。フョードルはひくひくと小鼻を動かしたかと思うとズバリと言った。

「何か栗の花クサいぞ。お前、さてはコイてたんじゃねえか」

  ジロジロと僕の全身を見回す。僕は呆れたというように唇で笑った。余裕はあった。蛇とよばれるフョードルだが、今日の直感はさほど驚くにあたらない。ペトロイワノフスク市から来ている弱電制御屋が、自慢たっぷりに妙な写真の束を持ち込んでから、それを各自で活用するのが最近ここではちょっとした流行をみている。「栗の花臭」というのも、本当に鼻を利かせたのではなく、カマをかけているだけだと思う。

「朝やった端子の締め込みが心配になっただけだよ」

  僕は該当の箇所を指さした。フョードルは首をひねり、

「何かいいのが入ったんなら俺にもまわせよ」と下唇を突き出した。

「ない」

  僕は言い捨ててドアを出た。日差しの中で溜息をついた。そのまま建物の外壁にもたれて座り込んだ。

  煙草を取り出してくわえ火を点けた。僕は手をかざして青空を見上げた。

 空というやつは、ときどき思っている以上、びっくりするほど青いときがある。青色は下へいくほど深く、上へいくほど白んでいく。

 イルティシ河の対岸は、地平線までの穀倉地帯になっている。視野の右隅の一角にペトロイワノフスク市の工業団地が見える。僕は空の中にナターシャ・ガリエナの宇宙船を探した。たしかわが国の人工衛星船は、地球を一周するのにわずか八十数分しか所要しない。この北の地平線から現れて、南の地平線に沈んでいくまでの時間は、見当もつかないが、まあ十秒くらいか。見える大きさは米粒に満たないのだったか、あるいはそもそも肉眼では見えないのだったか。

 もちろん見つかるはずもなかった。

 

                             

 

  ナターシャ・ガリエナが空軍に入ってパイロットの卵になったまでは知っていたが、さしずめツポレフの紅一点爆撃手としてチヤホヤされているか、せいぜいミグ19あたりに乗って、無意味にマフラーなど靡かせていると思っていた。

 たしかにただものではなかったから、いつのまにか大尉に出世していたことは驚かないが、まさか宇宙飛行士とは想像もしない。祖国の人材不足が案じられるが、あるいは彼女に先立つほかの飛行士たちも、地元では同じことを言われたのだろうか。

  ここでことわっておけば、すでに祖国ソヴィエト連邦は、三年前のヴォストーク1号の成功を皮切りに、Ю・A・ガガーリン少佐をはじめとする六人の飛行士を宇宙へ送り出している。女性宇宙飛行士の誉れも、先頃、ワレンチナ・テレシコワ少尉によって先んじられた。

 そこでこれまでの飛行に比べて、今回のヴォスクレセニエ1号にはどんな新要素が盛り込まれてあるかだが、朝新聞で読んできた限りでは、僕にはよく分からなかった。単独飛行、予定距離地球三十六周、滞空ほぼ二昼夜。祖国の有人衛星打ち上げが、はやくも年中行事の一種になった感じもする。

 だが町に帰ってみると、皆そんなことはどうでもいいようだった。コンスタンチン・イリイッチの期待どおり、宇宙飛行士を輩出した興奮に町の空気はざわめいていた。

  まず事務所に帰ってみると、届けられた新聞は、粒子の粗い顔写真と予定飛行コースの簡略な図を載せていた。それはチトフ少佐のヴォストーク2号以来の見慣れた図法であり、すべての大陸と大洋、そしてほとんどの国の上空を網羅するその軌跡は、電気工として言わせてもらえば、三相交流電圧のグラフをいくつも重ね合わせたものに似ていた。

  職人相手の行きつけの飲み屋に寄った僕は、そこでも日ごろの職種の垣根をこえて大きな輪が出来ているのに驚いた。

 壁に掛けられたラジオから、宇宙船の状況を知らせる中継が流されている。僕はいったん耳を傾けてみたが、一分おきに緯度と経度が読み上げられているだけなので、そう面白いものではなかった。

 集まった人々は、まず時計が七時を回るのをきっかけに一斉に乾杯した。それからガリエナ大尉なる人物が、自分たちの知るあのナターシャであることを、改めて全会一致のもとに確認すると、それを皮切りに、各自が持ち寄ったさまざまな事実を、唾を飛ばしながら交換しはじめた。

 彼女にまつわるエピソードは面白いように次から次へと出て来て、ひとつも提供できなかったのは、一度家の猫に餌をやってから戻ってきたコンスタンチン・イリイッチくらいのものだった。積極的には話さなかった僕なども、横から語り手の記憶の曖昧な点などを補ったりした。

 そして一軒の家を建てるにも似た建築職人たちの白熱の共同作業の結果、夜の十時をまわるころには、居酒屋の酒いきれと煙草の煙の中に、ソ連邦宇宙飛行士の、次のような少女時代が浮かび上がったことになる。

 

                               

 

  すなわちナターシャ・A・ガリエナは、この町のはずれの一軒家に住んでいたペトロイワノフスク軍管区の有力者、一昨年物故したアレクサンドル・C・ガリエン大佐の娘である。

 結婚したときA・C・ガリエンは、祖国の役に立つ男児を望んだが、生まれてきたのは女児ばかりだったので、彼は心機一転、用意していた教育プログラムをすべて見所のありそうな長女に注ぎ込むことにした。

 その甲斐あって、ナターシャはすばらしく利発で活発で、おまけに見目可愛らしい少女に育った。学校創立以来の優秀な成績は神童と呼べるほどだったが、困ったことに実際の彼女の異名は「悪たれ小娘」であった。女の子らしい遊びは一切やらず、彼女はその辺の悪童たちと一緒になって野を駆け回った。

 この「一緒になって」というのは控えめな表現で、ありていには「先頭に立って」というべきである。競走でも雪投げでも木登りでも、彼女に敵するものは周囲の男子になかった。そしてひとりだけ父親に与えられた馬に乗っていたから、誰が一群の大将かは一目瞭然であった。

 ナターシャは子分を率いて夜中にスイカ畑やニワトリ小屋を襲い、戦利品を街道で行商人に売り付けた。誰かに怪我をさせたの、屋根の上を走って瓦を落としたの、どこかの戸口で謝罪するガリエナ夫人、ないし軍服を着たガリエンその人の姿はすっかりおなじみになった。だがここで戦争の英雄ガリエンは、腰を屈めながらも不屈な目の色で「必ず祖国のお役に立つ人間にしてみせますから」と頑張り抜き、ナターシャはついに性質の根本的矯正を免れた。

  しかし、少々のことではたじろがなくなった関係者さえ青ざめる事件も起こった。身近な大人をこまらせるのに飽き足りなくなったナターシャは、モスクワから来た視学官の座る特別誂えの椅子にノコギリで切れ目を入れ、満座の中で尻餅をつかせたのである。

 この後の処置は当然密室でなされたので、それに関する話ばかりはさすがに誰も知らなかった。なにごとも事大主義のあの時代に、子どもが中央の権力者を愚弄して、将来を閉ざされずにすんだというのは信じがたいことだ。だが特別この場合、ガリエン一族のソヴィエト軍部での地位と、エリート候補を特別優遇する党の教育政策と、名望高い教育者だった校長個人の寛容が、割引きのない大人たちの政治から彼女を守ったのだとしか考えられなかった。

  だいたい以上のような、ナターシャ・ガリエナに関する重厚なメニューが出揃ったところで、最後にいつも隅の方でひとり火酒をなめている鋳物工が、珍しくぽつりぽつりと口を開き、以下のごときちょっと爽やかな口当たりのデザートをテーブルに添えた。

  ある日、彼が作業場の表で働いていると、年の頃六歳か七歳、きれいなオベベを着た、ひとりのたいそうメンコい娘があらわれた。娘はひとなつっこく、しばらく鋳物師の首にしなだれついたりしていたが、ふと鋳物師がヤットコで挟んでいる真っ赤に焼けた鋳鉄の前にしゃがみこんだ。そしてそのメンコい娘が言うことには、「おじさん、あたしに5ルーブルくれたら、それをペロリってなめてあげる」。鋳物師はあまりに不思議な気がしたので、ついついポケットから、なけなしの5ルーブル札を出して手渡してしまった。すると娘はニッコリ笑い、その5ルーブル札を舌でペロリっとなめると、「さよなら」と言って走り去ってしまった。あとで聞けばそれが悪たれナターシュカだった。

  笑いの輪はじわじわとひろがった。

  ちょうどそれが潮となり、店主はラジオを消し、職人たちはドヤドヤと席を立った。僕は、気がつけばひとり鼾をかいているコンスタンチン・イリイッチを揺り起こした。