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  居酒屋から帰る途中、家並みが途切れたところに三人の百姓が集まっていた。彼らは正しくはコルホーズ職員とか農業細胞同志とかいうのだが、誰もそんなふうには呼んでいない。

 みな年の頃は初老といった感じで、中におばさんがひとり混じっている。おじさんのひとりは僕も居酒屋で見かけたことがあった。むかしカザフの方で農薬散布機の操縦士をしており、たしか今はトラクターの整備をしていると言っていた。

  僕は立ち止まって、彼ら三人の見ている方向に目を向けた。

 それはたしかに奇妙な眺めだった。穀倉地帯の間の細い道を、ライトを煌々と点した軍用トラックが三台ばかりうろうろしている。僕は彼らの間に混ざるともなく混ざり、会話に耳を傾けた。

  元操縦士のおじさんがトラックを指さす。

「驚いた。空軍のトラックだわい。つけているマークに羽根が生えとるだろ。空軍がここらに何の用じゃ」

  おばさんは、僕の知らない方のおじさんの顔を見上げた。

「ねえ、あんた、まさか空からあのナターシャが降ってくるんじゃなかろうね」

「それは明後日の朝だし、ここでもなかろうが」

「いや、わからんて。空で急にエンジンがくすぶりだして、しょうことなしに、勝手の分かったこの辺へ降りようという気になるかもしれん。飛んでいればようそんなこともあるんじゃ」

  そう言ったのは元操縦士のおじさんである。おばさんは得心したらしく、足を横に開き腰に手を当てた。

「ああ、そうだ、あたしには全部わかったよ。あの小娘はまた性懲りもなく、うちの作物を台なしにするつもりなんだ」

  僕は黙ってその場を立ち去った。

  他愛もない会話だったが、家に帰って服を着替えても、それはずっと僕の頭を離れず、僕はついつい窓から見える麦畑を眺めていた。

 この麦畑にナターシャ・ガリエナが降りてくるか。何とも無茶をおっしゃる。宇宙衛星船は農業用の複葉機とは違う。空軍のトラックは、おそらく将軍が落とした財布でも探していたのだろう。

  そうとは分かっていても、月夜に白いパラシュートを引いて目の前に降りてくるヴォスクレセニエ1号の幻影がちらついて、僕はなかなか窓辺を離れかねた。

  ナターシャか。

  それにしても今宵はかなりの見ものであった。彼女のことを一番知っているはずの同年配の男たちは、ふだん「じじいは手が遅い」などと威勢がいい割に、今日の居酒屋ではみな一様に口が重かった。それはそうだろう。「悪たれ小娘」などと大人が笑うナターシャは、しかし等身大からみたときには、なかなか恐るべき専制君主であったのだから。

 

                             

 

  僕がものごころついたとき、まだあの大祖国戦争は継続されていた。とはいえファシストはとてもこんな東までは攻めてこなかったし、赤軍の猛反撃はすでにドストエル河まで前線を押し返していたので、町の様子はのどかなものだった。

 そののどかな町をわがもの顔で駆け回るナターシャは、なんと敏捷で、なんと目端の利く娘だったか。彼女がはじめた遊びは、プロペラ飛行機であれ、チェスであれ、スイカ畑への泥棒遠征であれ、何でもたちまち地域の「子ども共同体」を席巻した。たまに彼女の愛馬ブツェファルスにおそるおそる乗せてもらうのは、その共同体における最高の栄誉であった。

 かくいう僕は、実は共同体のはっきり外部にいたので、彼らの活動の実態についてはあまり立ち入って知らない。彼らが騒いでいるときにも、たいてい僕はひとりで本を読んでいたのだ。そんな僕の毎日が明るいはずはなかったが、その頃の校長先生の教育方針で、そういう立場の子どもにも、なかなか手厚い保護が加えられており、十分その位置での生存は可能だったのだ。

  ともかく、彼らを横から盗み見るだけだった僕にさえ、ナターシャは神秘の存在だった。何であれ、彼女の意志決定の無造作さは信じがたいほどだった。集団の意志とは権力者の意志であり、それはたえず彼女の頭上近くを浮遊していて、必要があれば手品のように取り出される。そしてそれがひとたび下に投げ渡されるや、今度は強固な拘束具となって人間の運命を決めてしまう。

  ひとつ、間近で見てはっきり覚えていることがある。

 わが町の子どもたちと、隣の地域との雪合戦は毎年の恒例になっていた。隣の地域と簡単にいっても、敵は精強な炭田労働者の子どもたちだ。彼らは何所帯もが犇めいて暮らすせいか、個々のしぶとさでも団結でも、町の子とは比較にならなかった。僕たちの年代の頃に彼我の格差は特にはげしく、休戦の条件をいれて僕らは彼らに朝貢していた。そう、この抗争史の舞台にナターシャが登場して、再び戦端を開くまでは。

  ある時点からナターシャは、もはや自ら雪玉を握らず、もっぱら馬上から軍勢を叱咤するようになった。まさかオヤツがわりに戦術書を読み聞かされて育ったわけでもないだろうが、彼女の指揮は相当ふるっていたらしい。すでに述べたような事情で詳しいことは知らないのだが、隘路がどうとか、後方撹乱がどうとか、雪で全身を真っ白にした兵士たちが嬉しそうに語っていたからには、彼女の軍配のもと、いつしか互角の勝負に持ち込めるようになっていたと思われる。

 問題のその日の勝敗がどうだったか僕は知らない。ともかく一戦が終わったあと、馬上の将軍と兵士一同の前に、二人のうなだれた兵士が引き出された。具体名をあげれば、理容師のところのウラジミールとコルホーズ会計員のところのミハイルである。

  検事役の少年が「勇敢を欠いた」だの「注意を怠った」だの罪状を並べたて、むごいことに弁護人なるものはいなかった。そして馬上の裁判官は荘重に判決を宣告した。

「被告両名が作戦を意義・意図を理解していなかったはずはなく、これを反革命的サボタージュ・利敵行為と見なす。十メートル、二十発」

 判決どおりの数の雪玉が丸められ、それが号令一下、全員によって判決どおりの距離から投じられた。

 壁を背にした二人の少年の全身は、汚れた上からさらに点々と白く汚れていった。二人は直立したまま聖セバスティアヌスのような表情でそれに耐えていた。馬上の少女はすでに関心を失ったように、後ろにまとめた金髪を雪風に流しつつ、目を細めてどこか遠くを見つめていた。

  そのとき以来僕は怖じけを震って、あぜ道の向こうからブツェファルスの蹄の音が聞こえるとすぐ針路を変えることにした。

  このように、垣間みえる彼女はたしかに専制君主そのものであった。しかし常識で考えて、女王はたぶん臣民に分け前も振る舞ったし、適宜にねぎらいも垂れたのだろう。だが僕が住むにすれば、やはりそこは野蛮な女神の支配するあまりに野蛮な国だった。このロシアの地において正教会による教化以前、われらスラブ民族未開土俗の様相とはかようなものだったかと、僕は生意気に腕組みをしながら思ったりした。

 

                             

 

  多くの男子が子ども時代を捧げ尽くすこの「子ども共同体」も、その性質上、成員が十五やその前後になると、自然に解体する運命にある。その後のナターシャ・ガリエナがどうなったかは、他人より僕のほうがよく知っている。同じ年に中学を出た僕と彼女は、同じペトロイワノフスクの技術学校へ行ったからである。

 同じといっても就学の形態はまったく違う。彼女はペトロイワノフスク市内の同校の寮に住み込み全日制課程で機械工学をまなび、僕はこの町の電工設備公団に就職しながら、原則的に仕事が終わったあとバスで駆けつけ、夜間部の電気科の授業を受けたからである。

  ナターシャの変貌ぶりは見事であった。彼女はかつての悪さをぴったりやめ、エリートの上昇コースをわき目もふらずに進みはじめた。見た目にも馬上の日焼けしたガキ大将から、すっきりと小綺麗な娘になって、十字の帯に本をくくって颯爽とペトロイワノフスク郊外の緑豊かな学園を闊歩した。

 彼女はすぐにそこでも頭角を表し、優等生の令名は夜間部にまで聞こえた。かつて馬鹿にしていたコムソモール(青年共産同盟)のリーダーになったのをはじめとして、大人に認められるような文脈の中で、彼女は朋輩の上に立つようになった。スポーツはバスケット・ボールをやっており、これもかなりの選手だったようだ。

 そして休暇などで町に帰ったときでさえ、彼女はもうかつての彼女ではなかった。公共道徳を守り、町ですれ違う人には笑顔で挨拶をし、馬に乗るときでも、きちんとした馬具に乗馬服のお嬢さん乗りで、決して人が通る道を疾駆したりはしなかった。そうなるともちろんかつての悪童仲間のごときは寄りつけず、ここに過去はすっかり清算されたと見えた。

  おそらく、それからの彼女は学生として市民として模範的な生活を送った、と手記(そんなものが発表されるとして)には書かれるだろう。それで大筋は正しいのだろうが、それでも僕は、依然彼女の中に、強者を志向する一方、劣るとみなした相手は嘲ってはばからない野蛮な人格があったことを指摘することができる。

  それについて述べるにあたって、ここで僕は少し時間をとることにする。僕は今まで立っていた窓辺を離れ、ベッドに身を横たえた。寝まきのズボンの紐を解き、昼間の電気室の続きをする用意を整える。ベッドの下に、便所紙をためておいた紙箱を抜かりなく置いて、これで取り合えず準備は出来た。

 僕は目を閉じると、右手をしかるべきところへ持っていった。

 

                             

 

  それは六月のことだった。僕はその前日、宿題に必要な図書を持ち帰るのを忘れていたために、その日は早めに仕事を上がって、ふだんより一時間半ほど早く登校した。さっそく自分の教室へ入ってみて、僕は驚いた。

 どういう都合でか、机がすべて教室の前に寄せられ舞台のようになっていたからである。椅子は教室中に二三個しか見当たらない。すぐに僕は合点がいった。全日制の学芸祭が近いのである。この学校で、夜間部は淡々と資格にむすびつく日々の授業をこなすだけだが、全日制の方には、文科系の学校に決して劣らない数の文化的行事が用意されていた。どこか劇をやるクラスが、校具をこういう配置にして、その練習をしていたものらしい。舞台の上には、そういえば大道具とおぼしきハリボテの岩がいくつか乗っている。

  ここで僕たちの授業が始まる前に、全日制の生徒たちが来て旧状に戻すのか、それとも僕たちが教室を移動するのか。とにかく僕は、机の密集状態と格闘しながら、首尾よく自分の机から必要な本を取り出し、さてこれからどうしたものかと思案した。

 まず両隣の教室にあたったが施錠されている。図書室は遠いうえに、もともと僕はあの雰囲気で勉強するのが得意でない。結局僕は教室の隅に転がっている椅子を取り、舞台の際まで持っていって、そこで宿題をやることにした。

  僕が電力量計算の課題に精を出しはじめて一時間も経った頃だったか。全日制の生徒はまだ片付けに現れない、などと思っていると急にドアが開いた。そこには全日制の三人の女生徒が立っていた。

 全日制で今年制定されたばかりの青い制服がまぶしかった。三人とも、成績優秀の証でもあるコムソモール執行委員の赤い腕章をつけており、そして三人とも発育がよく上背があった。その真ん中にいた娘こそ、僕が昔から知るあのナターシャ・ガリエナであった。そのときの僕の緊張は手汗となって表れ、丁度めくろうとしていたノートのページの角をよれよれにするに十分だった。

  三人は中に入ってきた。三人はそれぞれ教室を見回していたが、やがてナターシャではないひとりの娘が僕に向かって言った。

「教室、隣に移動みたいよ」

  隣の教室は鍵が掛かっている、と僕はどもりながら答えたように思う。

「それじゃあ、今日はこれ、もう動かさないから、そのまま勉強してたら」

  僕はうなずいて宿題の続きに取りかかる姿勢に戻った。戻りはしたが、三人がそこから動かない限り、電力量計算など手につかないことは自分で分かっていた。僕は彼女たちが立ち去るのを背中で待ったが、聞こえてきたのは逆に近づいて来る足音であった。

  僕のすぐ脇に立ったのはナターシャであった。

  彼女は僕にかからないよう、片手で髪をかき揚げながら、やや屈みこんで僕が舞台の上に広げているものの内容を見た。彼女の顔にはどんな表情も浮かんではいなかった。

 やがて身を起こした彼女は、つと舞台に片手をつくと、そのままバスケットボール選手のすばらしい跳躍力をもって、ひらりとその上に跳び乗った。

  ナターシャは近くにあったハリボテの岩を蹴って、それを僕の目の前まで寄せて来た。そして正面に回ると、スカートの裾を両手でたくし込みながら、ゆっくりと岩の上に座った。僕の手元が陰った。すぐ目の前に彼女のスカートの裾があって、そこからすんなりした脚が伸びている。彼女の黒く光る靴先は、ほとんど僕のノートを踏まんばかりであった。僕は鼻先に、今まで嗅いだこともない風を感じた。

 僕は抗議のかわりに首をねじって壁の時計をみた。もうはっきり夜間部に属する時間帯である。

 しかしナターシャはまるで気にする様子を見せなかった。かわりにほんの少しだけ、僕の目の前にある脚をぶらぶら揺らせた。彼女は上から僕の目を覗くように見ながら、うっすらした笑いを浮かべていた。

  誰も何も言わなかった。

  どれくらいたったろうか。やがて横手の方で、ごとりと音がした。僕は視野の端に、もうひとりのコムソモール委員が舞台に上がったのを認めた。彼女もまた別の岩を蹴り寄せ、ナターシャの手前斜め右、つまり僕が拡げている教材のすぐ右にそれを据えると、ナターシャと同様そこに座った。

  わずかに時間を置いて、三人目、いましがた僕と短い会話を交わしたあの娘が、今度は左から舞台に上がった。彼女は第三の岩に足を掛けると、先の二人の動作にならって、僕の左側にぴったりとつけた。

 気がつけば三人の娘の六本の脚が、僕を檻のように取り囲む格好になっていた。やはり誰も何も言わなかった。三人目の娘だけがほんの少し含み笑いのような声を漏らした。

  僕は一度だけ三人を振り仰いで見渡し、そのまま参考図書に目を落とした。便利な言葉を使わせてもらえば、僕は完全に見竦められてしまったのである。すっかり陰に置かれた小さな文字を読み取るため、読み取っているふりをするため、僕は机に顔を近づけねばならなかった。三人の女子学生の靴の先が二十センチにも満たない距離に迫った。

 僕はできるなら、自分のノートを隠したかった。急いで連ねられた汚い字や、積分計算にともなう初歩的な手続きのために、耳が真っ赤になるのを感じた。だいいちいま取り組んでいる主題自体も、彼女たちからしてみれば児戯の類であるかも知れなかった。

  はたしてナターシャは言った。

Плoхoй(プローホイ) Пoчepk(ポチェルク)(汚い字)」

  そして彼女の靴がひょいと上がって、僕が鉛筆を持つ手を軽く蹴った。僕の書いていた字は中断され、そこからノートの端までを野放図な太い弧が横切った。

  僕は今度こそムッとなった顔をつくって、正面に座る女を見た。左右の娘たちは含み笑いしたのに、当のナターシャ・ガリエナは、たまたまとでもいいたげな涼しい顔をつくっていた。

 そのときの彼女の顔ほど憎々しく、そのときの彼女の顔ほど美しいものを、僕は後にも先にも見たことがない。

  ナターシャは、もう一度同じように足を上げ、再び僕の手を軽く蹴った。そしてそれと同時に、僕の頭越し、どこか教室の中央の方に向かって、澄んだ通る声で、何か呪文のような不思議な言葉を発した。

 後になって分かったことには、それは次のようなもので、まさしく呪文に等しいものだった。

  When shall three meet again?

   In thunder,lightning,or in rain?"

  本当にまったく自然に、第二の娘が、やはり軽く僕の手を蹴り、新たな呪文を発声した。 

When the hurlyburlys'done,                           

   When the battle's lost and won."

  そして三人目の少女がどうしたか、もう説明はいらないと思う。

  That will be ere the set of sun."

 いま僕のベッドの下にある、もう暗記してしまったその本によるなら、それ以下に続いた台詞は、次のようなものだったと推定される。

 

  1Witch.  Where the place?

  2Witch.  Upon the heath.

  3Witch.  There to meet with Macbeth.

  1Witch.  I come,Graymalkin!

  2Witch.  Paddock calls.

  3Witch.  Anon!

    All.   Fair is foul, and foul is fair:

           Hover through the fog and filthy air.

 

 三人の娘たちはその台詞にあわせて、僕の手をコツッ、コツッと順番に蹴り続けた。そのたび、少女たちの体臭を含んだ風がまきおこって僕の鼻に絡みついた。最後の台詞では、もちろん三人が同時に足を出したのである。僕は動けず、声も立てられず、最後まで三人の魔女たちから、愛撫のように軽い足蹴を受けつづけた。

  最後の台詞が終わると、教室のベルがまるで計ったかのごとく鳴りわたり、一番鶏の声を聞いた三人の魔女たちはたちまち姿を消した。

  僕はその日、そのベルから十分後に始まる大事な授業に出席することが出来なかった。一時間半も早く来ておいて、授業にさえ出られないということが、その日校門をくぐったときどうして想像できただろう。

  それからほどなくして、全日制の「学芸祭演目一覧」という紙を見ていた僕は、「機械工学Б」というクラスの出し物が『マクベス』になっているのを知ったけれども、いそいそと対訳本を購入した以外には何もしなかった。

 つまり僕と宇宙飛行士ナターシャ・ガリエナとの直接の接点は、それだけ、本当にそれだけなのである。

 

                                

 

 いま僕の個人的な運動も首尾よく目的を達した。

  僕は虚脱感の中でごそごそと身動きし、ひとつ困ったことに気がついた。紙箱の中に貯えておいた紙が、じつはもう品切れになっていたのである。この一点をおろそかにして、準備などとはとても言えたものではない。

 僕はしかたなく昼間電気室で使ったあのラスを、また使うことにした。汚い話だが、僕はその存在を昼から今まで忘れていたのである。横になったまま、ハンガーにかかるズボンのポケットからラスを引きずり出し、新しい面へと折り返す。

 そのとき、僕は意外なことを発見した。そこに何とフョードルの名前が書いてあるのだ。僕は舌打ちした。ラスにまで名前を書くとは、おかしなところでマメな男よ。

  その名前をじっと見ているうちに、僕はやや不安になってきた。

 あの後フョードルは、これがなくなっているのに気づいて、新たに不審を募らせなかっただろうか。

 あのときの状況を思い返してみる。やはり心配する必要はなさそうだった。僕は少し悪いとは思いながら、手の放せない用事のためにそのラスを使うと、ズボンを上げ、用を終えた布切れを焼却炉へ運ぶ紙袋に押し込んだ。

 フョードルよ。お前は僕の嘘を信じただろうか。たぶん信じたんだね。でなければ蛇があの程度の追及ですますものか。まったく、いかにしつこい邪推が売りもののフョードルでも本気では考えまい。ふだん君子とか木石とか呼ばれている僕が、昼間から自慰に励んでいようとは。

  あるいは蛇はもっと深い執念を秘めているのかも知れない。すなわち素知らぬふりで僕を泳がせておいて、いつか僕の猥写真コレクションを一網打尽に奪い、同時に気取った仮面を剥いでくれよう、というような。

 何にせよフョードルは徒労だけを得る。あれほど急に用を足すことはもうない(忘れたころにまた突然ナターシャが月にでも立つのでないかぎり)し、コレクションなどはじめから存在しないからだ。

  猥写真コレクション。僕は苦笑したくなってしまう。

 あの連中が弄ぶ写真の一枚を、前に僕も横からのぞいたことがある。そのとき先輩の職人に、見たいのならこっちへ来てちゃんと見ろと叱られた。僕の興味は単なるもの珍しさでしかない、といっても信じてもらえたとは思えない。おそらく彼らには永久に分からないのである。世の中には即物的な人間と、観念的な人間がいるということが。

 しかし、こう言ったからといって、どうか僕が得意になっているなどと思わないでほしい。ここで僕は恥をしのんで白状しておく。どうも僕は、その観念の人たるほんのケチくさい優越感と引き換えに、とても大事なものを失ってしまったらしいのだ。

  それが分かるまで、振り返れば長い月日がかかった。あれから十年が経つ。学校を出て、そのまま電気工としての現在がある。

 書いてしまえばそれで終わりだが、さすがに十年もの間には、僕も人並みに近い男女交際をしたし(相手は製薬工場に勤める二つ年下の空想好きの娘だった)、仲間との付き合いで悪所にも足を運んだ。

 だが、それにもかかわらず、あの日ナターシャから与えられた以上の性的な刺激と興奮は、ついぞ僕をおとずれることがなかったのである。

  今ではその娘とも別れたし、仲間ももう僕を悪所通いに誘わない。つけられたあだ名が君子である。何を気取っているんだと本気の忠告で言われても、僕には答える言葉がない。邪魔するものは何もない。欲望のエネルギーが希薄とも思わない。それなのに、なぜ自分は人の楽しいことが楽しくないのか。

 僕は子ども時分から偏屈だったから、別に世間なみの生き方がしたいとも思わない。だがいつまでもこうしてひとりのままでいるかと思うと寂しくなる。あのフョードルですら、熱愛のすえ昨年奥さんをもらったというのに。もちろん僕には、あのコンスタンチン・イリイッチのような超俗的に自足した生き方もできそうにない。

  今の状態について考えるための手掛かり、すなわち、あの日以前の性欲のあり方がどうだったか、あるいはそもそもそんなものがあったのか、それさえもう僕には思い出せなくなっている。何も分からない中で、僕はただひとつ、いまの自分の不具だけをよく知っている。

 やはり「マクベスの魔女」の呪いは本物だったのか。ときどきいたたまれなくなってつぶやくことがある。ああ、造化の神よ、ルイセンコ博士よ、ミチューリン博士よ、教えてください。僕の生物的基盤はどうなってしまったのでしょう。