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  朝になってラジオをつけたら、宇宙衛星船ヴォスクレセニエ1号は、当たり前だが、涼しい顔でまだ空を飛んでいた。

  その日の現場、町の小学校につくられるプールで、僕は持ち込まれたラジオから、雑音に交じって、衛星軌道上で何か殊勝げなことを言うナターシャ・ガリエナの声を聞いた。

 

 …こちら春楡1…宇宙からご挨拶します…わたしの知っているみなさん…こんにちは…わたしの知らないみなさん…はじめまして…

 

 間髪いれずに校舎の方から、「こんにちはー」と声を合わせて呼応する小学生の声が響いた。

  夕方に仕事を終え、事務所で日報を書いて家に戻ると、朝にはまだ頑張っていた空軍のトラックももういなかった。

  結局その夜の明け方に、ナターシャ・ガリエナの船は、予定どおり地球を三十六回まわったあと、ここから千と百キロ北東、ロシア共和国の西シベリア低地北部、オビ河下流域に近い地点に着陸した。

 ソ連邦空軍がこれを回収したのは、ここの時間で昼の一時十五分。搭乗者のガリエナ大尉は、この後に精密検査を控えるものの、いまのところ無事で体調もきわめて良好。

 この報がラジオから流れたとき、町のいたるところで拍手が上がった。

  夕刻になると、ラジオは党幹部の長い演説のあとに、ガリエナの今後の日程に触れた。

  まず大尉は、モスクワで国家の指導者にまみえたあと、同市とレニングラード市で市民・労働者の歓待を受け、ついでブカレスト、ソフィアの盟邦各都市を歴訪する。それから彼女は、かつてその地に学んだことのあるオレンブルグならびにペトロイワノフスクでオープンカーに乗って目抜き通りをパレードし、その後ようやく故郷の人々と喜びを分かちあい、生家でしばしの休息を許される。

 たちまち町中が浮き立った。二週間後のガリエナ凱旋にむけて、歓迎委員会と顕彰委員会が組織され、地区書記局が、当日は学校も職場も休業し、挙町一致の歓迎にこれつとめるべし、との特別条例を発布した。

  町の広場には、巨大な日めくりカレンダーが立てられ、怠け者の職人・工員たちを急きたてにかかった。同じ広場に、宇宙船をかたどったハリボテの土台も据えられた。あちこちでこれから垂れ幕にする反物が道路に広げられ、役所の建物の屋上では長らく眠っていた旗が埃を払われた。

  合同ピオニールの吹奏楽隊が猛練習を開始し、町は朝から晩まで、宇宙飛行士を讃える歌・「われわれはおとぎ話を実現する」だの「ツィオルコフスキー頌」だのの断片的な演奏ばかり、いやというほど聞かされた。

 こういうときのためによく訓練されているはずの労働行進隊は、勘を取り戻すためといっては、わざわざ交通規制までして町をねり歩き、町を出たら出たで、ランニングシャツ姿のコルホーズ青年団が、休耕中の麦畑で、野太い号令を発しながら一列になってぐるぐる回っていた。

 

                                

 

  僕たち電気工も例に漏れず、ガリエナ歓迎にむけて動員された。しかしそれが僕らの本分に則ったものだったのは幸せである。何やらおどろおどろしい話もあったようだが、僕らの上司のミハイル・フョードロヴィッチが防波堤となって堰きとめてくれたらしい。

 僕は包装紙工場をまわらされ、新しい機械に電源を送る工事に携わった。機械は三台あって、そのうち一台は宇宙船をかたどった風船をつくるものらしい。風船などよそでつくって、萎んだまま持ってくればよさそうなものだが、ひょっとするとここのエラいさんたちは、このヴォスクレセニエ風船を町の物産として、末長く商売するつもりかも知れない。

 最近の僕の相棒は、十六歳の見習い工ミーチャである。

 ミーチャは、かつて宇宙飛行士を目指していた。ことによるとまだ目指しているのかも知れない。上級中学校の試験に撥ねられたのは吃音のせいで、まだ挽回するチャンスがあると頑なに思っている様子だ。それを補償する意味でか、とても上手で丁寧な字を書くが、ほかに特別な取り柄といっては、僕からいえば目下探しているところだ。

  だがミーチャが現実から目をそむけているにしても、それもある意味無理のないことだと僕は思う。ヴォストーク1号の成功このかた、連邦中どこの職場のコムソモールでも、どの学校のピオニールでも、ガガーリン少佐の手記の朗読会が開かれなかったところは、おそらくひとつとしてない。

  僕らの少年の頃の英雄といえば、もちろんファシストと勇敢に戦った軍人であった。戦争が起こるかぎり、敵と戦う兵隊には誰でもなれるが、実際に宇宙を飛べるのはたぶん一万人にひとりぐらいだろう。残りの者には、多かれ少なかれ挫折を味わう結末が待っている。

 まったく、この国のバカな大人どもは、上から下まで、よってたかって太鼓を叩きまわり、空の一点ばかりを指さす。的に届かなかった矢たちの悲しみをどう回収するか何も考えずに。ミーチャは、自分が大人たちに失望を仕組まれたということにまだ気づいていない。あれだけ夢を掻き立てられた以上、求められているのはさらなる努力だとまだ信じている。

  ミーチャはいまナターシャ・ガリエナの話に夢中にである。

  一週間も二人で現場を回れば、さすがに話も出尽くしたというのに、反芻したいのかまだ聞いてくる。子どもは新たなお話ではなく、むしろすでに何度も聞いたお話の方をせがむ、と誰かが言っていたが、僕は何だか語り部の(おうな)のような気になってきた。

  だが僕は根気よく何度でも話した。話の内容も、他の職人にくらべて僕が一番豊富だとミーチャはいった。僕は彼に何でも話した。ただひとつの事柄を除いては。

 

                                 

 

  ガリエナ凱旋の日が迫るにつれ、町は過熱していった。

  まず、あんまり大勢の人間に押しかけられたナターシャの母親リュドミラ・イワーノヴナが本当に熱を発した。当局の意を受けた医師は入院をすすめたが、本人が、大事な鉢植えを人任せにできるか、本当にあの子は苦労ばかりさせる、といったので、結局隣に家のない彼女の家の四方何十メートルかにロープが渡され、応援にきた空軍兵士が警戒にあたることになった。

 歓迎委員会の日刊会報は、口から泡を飛ばすがごとき勢いで、そのくせどこかこじつけがましく、今回の飛行の新たな意義を強調しはじめる。

 

  十月革命から閲すること四十年、大祖国戦争に独裁者の暴政と、我々の道は決して平坦ではなかった。だが血の滲むような研鑽の果て、人民の科学と技術と教育の成果は、ついに資本主義をはるかに抜き去り(もはや振り返って気にする必要がないほどに)、ここに人類史は新たなる段階へと移行した。いま祖国において完全に軌道に乗ったのは、社会最先端における女性の能動的参画である。かたや因循な米帝を見よ。ことここに及んでも、女性宇宙飛行士の意義すら理解できず、当然その方法論も持ち合わせない。敬愛すべきウラジミール・イリイッチの言のとおり、反動的家父長制と資本主義とは、同じ病理におけるコインの裏表にすぎない。その支配主体は女性という対象を抑圧するつもりで、実は全体を抑圧しているのに気づいていない。今後、双発機である祖国・盟邦と、単発機である資本主義側との各差はひろがる一方であろう。

 

  発行部数三千だかのこんな紙切れに、きっぱり引導を渡されたアメリカこそいい面の皮だった。

  ラジオは行脚中のガリエナの足取りを逐一伝え、町のお偉方はその各都市の出方を子細に研究して、「英雄歓迎における郷土独自性の模索」などという会議を開いた。彼女をむかえる広場に面する建物の壁は、洗剤をつけたブラシでいっせいに磨かれ、所有者のいない老朽建築を取り壊すために、バカでかい鉄球を吊り下げたキャタピラ車が町をのし歩いた。

  十代の若者の間では、若く美しい故郷の英雄ナターシャ・アレクサンドローヴナに対する賛仰が危険の域に達していた。彼らは寄り集まると、作詞作曲者不祥の「英雄ナターシャの歌」をところかまわず放吟し、道路やバス停で、彼女の写真を奪い合うように回覧し、お調子者の一団が腕に「宇宙飛行士ナターシャ」の入れ墨を彫りはじめたといっては、この慌ただしいなか、また緊急対策会議が開かれたりした。

 そしてガリエナ凱旋まであと三日を数えるのみとなったとき、驚くべきか、やはりというべきか、ついに無謬のはずの歴史を改竄しようというおおらかな若者さえ現れた。

  僕が例の居酒屋にいたときである。隣のテーブルにいた見慣れない若い兵士の一団の中から、ひとりのまだ十代とおぼしき少年が、荒っぽく椅子の音をさせて立ち上がった。

「同志諸君、聞いてくれ、いま俺はみんなに言わずにいられない」

  そして彼は、仲間の兵士が打つ相槌に後押しされて、歴史的な時間に立ち会うことへの思いのたけを熱烈に語りはじめた。中身は町に溢れる言説のかわりばえのしない変奏曲だったが、ひとつだけ独創的なフレーズが混じっていた。

「この土地から最初に宇宙へと飛躍した女性が現れたという事実が」

  というものである。

 同じ意味の言葉が出た三回目に、僕はつい口を挟んでしまった。僕の方でもかなり酒が入っていた。

「待ってくれ。それは間違いだ。人類最初の女性宇宙飛行士は、ワレンチナ・ウラジミーロヴナ・テレシコワ少尉だ」

  言わずもがなの皮肉が続いて出て来るのが僕の悪い癖だ。

「それともあの人もここの生まれだったかな」

  少年兵はますます勢い込んだ。

「紡績女工あがりのにわか少尉だろう。あれは祖国の宇宙船ならばそこらへんの女でも乗れるという技術上の示威だ。その点ナターシャ・アレクサンドローヴナは生粋の空軍テストパイロットだ。そこからしても二人の任務の軽重は推し量れる。真の女性飛行士の名に値するのが誰かは明らかだ」

  若いのになかなか理論武装していると思ったら、彼はすぐ尻尾を出したようだ。

「その重責のぶんだけ、ナターシャ・アレクサンドローヴナは、テレシコワより美しい」

  僕はすかさず言った。

「兵隊同志。それは個人崇拝だ。われわれが克服したはずの危険な傾向だ」

  まさに危険な傾向だった。僕が言い終わらないうちに、まっしぐらに走って来た彼の握りこぶしが僕の顔に飛んできた。僕は椅子ごと後ろへひっくり返った。