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  殴られた僕は、次の日、目の縁が腫れて熱が出た。僕は診断書をもらって仕事も休み、その次の日、つまりナターシャ・ガリエナの凱旋する当日もずっと家にいた。

  本来、歓迎式典への参加は職場単位で強制的に行われ、当局から式の前後に何らかの雑役を課せられる。

 参加しなければ、僕はそれを忌避したと言われるかも知れない。だいたい怪我した僕に同情する空気が薄いことは、行かなくても分かる。フョードルなら、あいつはふだん屁理屈ばかり言っているから、いつかこんなことになると思っていた、ぐらいのことは言うだろう。

 本当を言えば行けなくもない体調だった。正直な話、英雄ナターシャ・ガリエナ大尉の姿を見てみたくはあった。だが、僕が思うに、パレード・式典というやつは、あれでけっこう警戒に値する。それが下らないものの周りを回っていても、仰々しい道具だてでつい体が上ずってしまう。

 いろいろ秤にかけ、結局僕は行かなかった。

  そんなわけで、その日、この町で何がどうなったか、僕は夕方を過ぎて帰ってきた両親から聞いた。

  なんでも、朝から、ほかの町からもたくさんの人と車が押し寄せたらしい。饅頭やらジュースやら花輪やらを売る露店も登場した。子どもはみな手に手に、水素ガスを吹き込まれた、あのヴォスクレセニエ風船を持っていたらしい。

  式典そのものは空軍ジェット機の表敬飛行で幕を上げた。

  広場の群衆の中で待っていた両親の前に、合同ピオニールの鼓笛隊を先頭にして、いくつもいくつもの団体が行進してすぎた。

  やがてひときわ旗の動きと歓声が高まったかと思うと、騎馬警官と軍のサイドカーに護衛されたジルのオープンカーが現れた。その中に立つナターシャ・ガリエナ大尉はまばゆいばかりだった。空軍士官の婦人用軍服を着て、胸に金の勲章を佩用していた。

  車が広場の真ん中で止まると、割れんばかりの拍手の中、彼女は空軍儀杖兵とともに壇上にあがった。

  お決まりの国旗掲揚と国歌吹奏。

  そのあとまずマイクの前に立ったのは党書記であった。この男は昔のナターシャを知らないせいか、言うことはただひたすら無邪気だった。演説にともなう躍動は激しく、見えない交響楽団を指揮しているようだった。父の評によれば、勢いあまって、何か女衒の売り込みのようなことを言っていたらしい。

 

 見るがいい。郷土の大地と共産主義に育まれたこの女性の、のびやかな若さと美しさを。何ぴとがこれを否定できるか。いまこの場にリンドン・ジョンソンを連れてくるがいい。誰であれ階級の敵を連れてくるがいい。もしそれを否定できるものなら否定してみるがいいのだ。これこそはわれらの揺るがぬ勝利の証左であり、象徴である。彼女はこのさき宇宙時代の人類の指導者のひとりにさえなるだろう。

 

  それから次にもうひとり出て来たのは、僕たちの通った学校の校長である。校長といっても在校当時の校長先生ではない。先生はもう亡くなっていたので、そこにいるのは現校長、つまり一刻もはやくナターシャを放り出そうとした当時の副校長であったという、見る人が見ればいかにも皮肉なことになった。

 壇上の彼は、人がおやと思うほど背が低く、教育者というよりは、神経質そうに鋏を鳴らす列車の車掌にみえる男で、世間の噂もなるほどと思わせるところだった。しかし彼が自分でマイク立てを低く調整してからはじめたその話は、終わってみれば意外に捨てたものではなかった。

 

 ナターシャ・アレクサンドローヴナ。

 私は思い出す。いや、思い出すまでもなく、忘れたことは一度としてない。本当に、君という生徒は、何たる「おハネ」であったか。君が何かやらかすたびに私の髪の色は目に見えて白くなった。これを誇張とお思いの向きがあれば、私はそれを証明する写真を持ってくるのに吝かではない。

 私はそんな君の庇護者では決してなかった。君を庇護したのは、今は亡きピョートル・ペトロヴィッチ・ミトシェンコであった。私は彼の代理でここにいるにすぎない。したがって私が君のことを誇りにするなどと言えた義理ではない。今でも私は自分の立場が正しかったことを疑うものではない。

 しかしこれだけは本当だが、いま立派になって帰ってきた君をみて、私は心から嬉しく思う。君のこの姿をピョートル・ペトロヴィッチに見せて上げられないことだけが、私は返す返すも残念だ。

 ナターシャ、忘れないでほしい。ピョートル・ペトロヴィッチが何という忍耐で君を見守りつづけたか。彼だけではない。当時この町に住んでいた人々のすべてが、君の乳母でありお守りであった。そして、そのことが徒労だったという者はもういないのだ。君のこれからの将来においても、どうかこの二つのことを忘れないでいてほしい。

 

  このあと現校長とナターシャは、互いに抱擁し頬を合わせた。これは党書記の演説の後にはなされなかった、真味溢れる二人の身振りだったらしい。その際、彼女が膝を折って腰を屈めなければならなかったのを見ても、笑うものはなかったという。

  その光景に予兆されるように、つづけて返されたナターシャの挨拶も、関係各位への感謝やら、お集まりのみなさんへのお礼やら、党や祖国への賛辞などを取り去った要諦は、現校長の言葉に対応するものだった。

 

 わたしの不始末の数々を、父母に免じて忍んで下さった先生はじめ多くの方々の前に立たせていただくのは、本当に面映ゆいことです。そのたび亡父は、この娘を国家のお役に立ててみせる、などと安請け合いをしてまいりましたが、その成果をいくぶんなりともご報告に上がれるこの日が来たことほど嬉しいことはありません。

 

  そう語る彼女の目に光るものがあったか否か、両親の意見はふたつに割れた。

  大人から子どもまでの各団体の代表が花束を贈呈したあと、式は少し変わった趣向へ移っていった。

 車椅子に乗った老婆をふたりの屈強な兵士が抱えて上がった。この人がナターシャの母親かと思った観衆も多かったようだが、そうではないことを両親は知っていた。

 老婆は震える手をナターシャの方へさし伸ばし、口を動かして何かを言ったか、もしくは言おうとした。ナターシャは車椅子のそばに屈み込んで、その枯れ枝のような手を包み、何か言葉を掛けた。

  老婆は膝掛けを落として立ち上がった。そこからよろよろと十歩以上を歩くと、階段づたいに演壇を降りかけたところで足を縺れさせ、兵士に抱き支えられて階段を降り、そのまま見えなくなってしまった。

「リウマチが直った」

  突然誰かが叫んだ一声が、波紋のように群衆の間に広がっていった。

  その模様を語る父の頬には苦笑が刻まれている。僕には父の言いたいことがよく分かる。その老婆ははじめからさして悪くなかったのかもしれないし、委員会の用意したサクラだったのかも知れないし、心理作用として説明することもできようし、たまたま直る時期が来ていたのかも知れないし、とにかくこの分別くさい父に奇跡などというものの存在を信じさせることは金輪際できない。たとえ目の前で大海が真っ二つに割れ、背中から羽根の生えた赤ん坊が飛び回っても。

  その次に壇上にあがったのは泣き叫ぶ赤ん坊を抱いた母親だった。赤ん坊はまだ新生児らしく、母親がかなり高ぶった様子で、「名前、名前」とナターシャに叫びかけるのが両親からは聞こえた。

 ナターシャが赤子を抱き取ると、赤子は急に泣きやんだ。赤子だけでなく、並みいる群衆も合図でもあったかのように静まりかえった。

 同時に、突然彼女の背後から後光のようなものが射して、一同は驚嘆の声を挙げた。帝政時代を知る古着屋のアンナばあさんなどは、持った手提げカゴをバッタと落とし、大主教でもむかえるような、昔ながらのポーズで伏し拝みだした。

  母は、そこでしばらく思案してから、今にして思えば、彼女の制帽におさまり切らなかった金色のおくれ毛が、日光に映えてでもいたのだろうけど、そのときは自分にもそう見えた、と言った。

 

                             

 

  残り物の夕食をすませて、僕は自分の部屋へかえりベッドに座った。

  名状しがたい感情の渦が、僕の中で沸き立とうとしていた。もっぱら部屋の中を照らし返す窓ガラスを見ながら僕は考えた。

 ひとつだけ確からしいことには、どうやら本日をもって、町と悪たれナターシャ・ガリエナとは劇的に和解したらしい。

 だがしっくりしない僕の貧乏揺すりはつづく。まさか壇上のナターシャが「ニコライ・ラザノフをのぞく町のみなさん」と呼びかけたのでもない以上、彼女の語りかけた対象には当然僕も含まれていいだろう。それなのに僕の中では、少しも新しい展開をむかえたという心境がおこらないのは何故だろう。また逆に、彼女の言葉が僕を動かさないのに、なぜ町の方はたやすく動かされたのだろう。

  僕にはすぐ答えが分かった。同時に自分の指先が冷えていくのを感じた。

 何と簡単なこと。それはつまり、僕が今日の歓迎会に参加しなかったからだ。僕が得たのは単なる情報にすぎない。

 僕は壇上のナターシャが「面映ゆい」というその顔を見、「今日ほど嬉しい日はない」というその声を聞いておくべきだったのだ。現校長の熱弁に一緒になって頷き、彼とナターシャとの釣り合いの悪い抱擁を見守っておくべきだったのだ。

  僕の手が自然と拳の形に握られていった。

 さらに、さらに言えば、もしそれで足りないのであれば、それにともなうパレードと式典そのものをも、僕は見なければならなかったのではないか。ピオニールの管楽器の重低音に鼓膜を揺すられ、空軍儀仗兵の威容に胸を打たれ、体を震わせて感動すべきだったのだ。

 パレード、オープンカー、ハリボテ、楽隊、それらすべての「虚仮おどし」は、一人の人間から発せられる言葉の重さを、受け手の頭数で割らずに届けるための仕組みではないのか。詐術的といえば詐術的だろうが、そこにはそれなりの手間だって注がれている。もし風船などを通したこの日への貢献が十分だったのなら、僕にもまた、ほとんど一人丸ごとのナターシャを受け取る権利があったのではないか。

 僕は、つい今朝の自分の小賢しさにいたたまれなくなり、叫び出しそうになった。どうして気づかなかったのだろう。空軍のジェット機さえもが、まさに僕のために空を飛んでいたのに。連れてこられるべきは、ホワイトハウスで鋭意執務中のリンドン・ジョンソン氏ではなく、歩いて二十分のところでフテ寝しているニコライ・ラザノフであった。

 

                                

 

  僕は家を出てせかせかと町の広場へ向けて歩き始めた。酔っ払いの姿が多い。舗装には紙吹雪が散りしき、建物の隅にはリンゴの食べ滓が落ちていた。

  道すがら僕は、小さい頃の友だちの誕生会のことを思い出していた。

 その日は「ラドネジの聖セルゲイ」の祭日にあたり、その友だちの名もまたセルゲイだった。僕は招待されていなかったにもかかわらず、人恋しくなって、見栄えのしないプレゼントを見繕うと、今と似たような道のりを彼の家まで歩いて行った。そして門の前まで来ると、さすがに踏み込みかねてその回りをうろうろするしかなかった。

 そのとき突然ドアが開き、セルゲイが顔を出して言った。

「ニコライ、遅かったな。早く入れよ」

 その一日、セルゲイも、彼のお母さんも、ほかの友だちとまったく変わりなく僕を扱ってくれた。パイについても、ジュースについても、その他すべてについても。最後の方になると、僕自身が招かれて来たような錯覚に陥っていたくらいである。

 だが僕は、その日セルゲイの家に向かうときの暗い気持ちを、いまもよく覚えている。不安と焦燥とやっかみの入り混じったその気分が、今の心境に似ている気がした。

  二十分ほどで広場に出た。暗い中で投光器が焚かれ、後始末がなされていた。

 職人たちは梯子にのぼって垂れ幕を取り外しにかかり、楽隊が座っていたらしいパイプ椅子と銀の譜面台が、立ったまま片付けられるのを待っている。僕の知らない人間たちが地に這って拡声器のコードをさばき、空気を切る呼び子の音は搬出のトラックを誘導していた。ナターシャが立ったはずの演壇も、すでに作業員がバールを掛けて解体にかかっている。

  どうやら今の僕に出来ることは、もうその場につっ立って目を閉じてみることだけらしかった。

 

 歓声のどよめき。打ち振られる旗の数々。行進の靴音。

 人波から頭ひとつ出ているのは、父親に肩車された子どもで、その子の手からまたあのヴォスクレセニエ風船が上がっている。幼い子どもは母親に尋ねる。ねえ、あの人は何をした人なの。母親は父親の顔を見るが、父親も自信がないから知らない顔をしている。仕方なく母親は、空と風船を指さして、知っている限りの言葉をつかって説明しようとするが、子どもはいつまでも首を傾げている。

 宇宙飛行士ナターシャ・ガリエナは、車の上から笑顔で帽子を振って歓呼に応える。彼女の豊かな金髪が、力いっぱいに陽光を吸い込んで孕む。

 それを見て人々は、今日の日を忘れるものかと心に誓うだろう。そして実際、後々までもこの日のことを語り継ぐだろう。地球を三十数周した宇宙飛行士・あのナターシャ・ガリエナが帰ってきた日のことを。そして今年のことをさして、後世の人さえ呼ぶだろう。「悪たれナターシャが宇宙を飛んだ年」と。「ナターシャが飛んだ年に両親は出会って結婚し、ナターシャが飛んでから七年後に僕は学校にあがり‥‥」

 そのナターシャはきょう、町じゅうの祝福と喝采の中で、生まれたての赤ん坊にいったい何という名をつけたのだろうか。男ならピョートル、アレクサンドル、ユーリー。女ならリュドミラ、オルガ、マリアあるいはナターシャ。

 小ナターシャは、冬のストーブの前で母親の膝にもたれながら、どんな言葉で自分のなまえの由来を聞かされるのだろうか。もちろんどんな説明も、その場で小さな女の子を納得させることはできない。彼女は、何度も何度も問いと答えとを繰り返しながら、少しずつ成長するだろう。やがてようやく、春の遠足の途中でその少女、名付け親とは似ても似つかぬ内気な娘である小ナターシャは、それでもはにかみに耐えながら、どんなふうに言って自分のなまえを友だちに自慢することになるのだろうか。ここでも説明する方は空を指さし、説明される友だちは同じように首を傾げるのかも知れない。

  だがそれはまだ先のことである。今ここにあるのは、ただ歓声とどよめき、音を立てて打ち振られる旗の数々と、終わらない行進の靴音。風花のように舞い散る紙吹雪。

 

  何かを運ぶ台車が、立っている僕の身体を強く突いていった。よろめきから立ち直り、痺れる腰をさすりながら、僕は泣き出したいような気になっていた。

 解体作業をしていた顔見知りの建築屋に声を掛けられ、僕はそそくさと広場を立ち去ると、どこへともなく歩きだした。

  あらためて僕は、自分にとってこの上なく大事な樹の実を、手の中から取りこぼしたことを知った。ナターシャの歓迎会行脚は、もうこの地点であがりだし、かりに続きがあったとしたって、この町での挨拶はこの町きりだ。

  聞いた話の通りなら、今頃ナターシャは何年ぶりか何カ月ぶりかで、自分の生家に戻っているだろう。空軍によって封鎖されているというあの家だ。僕個人がいまさらナターシャ個人に会う手段もなく口実もない。

  僕の足取りは次第に重くなった。

 

                              

 

  結局僕は町をだいぶ離れた、やや小高い丘まで辿りついた。子どものときからよくひとりで来た場所である。

 その頂上の長く横たわった岩の上に座っている男がいた。元同級生のアレクセイだった。手にはあのヴォスクレセニエ風船の糸を握っている。

「お前、式に出たのか」

  僕はその経験を有り金で買い取りたかったが、いずれにせよアレクセイは苦々しい顔つきで首を横に振った。僕はため息をつく。

「お前も変わってない」

  苦笑して、僕は岩のうえ、アレクセイの隣に腰を下ろした。

  薬剤師のアレクセイ。口ヒゲを生やし、もっともらしく白衣を着て歩いている。「科学者としての立場からすれば」というのが口癖で、どうやら寝るときも排便するときも科学者の自覚を忘れないものらしい。

 思えば彼もまた、あの「子ども共同体」の外部に甘んじてきた人物だった。

  はみ出者同士は、きちんとした友情が育てばよいが、ともすると逆にたいへん陰惨な関係になる。僕たちがそれだった。僕たちにあったのは、互いへの軽蔑と鞘当てであった。それでも寄る辺ない僕らは、好きでもないのに身を寄せあっては、世間に対する皮肉と冷笑の度合いを競い合った。

 いまのアレクセイは、勉強してそこそこ出世している。本人によれば少年時代の不遇の屈辱をバネにしたのだそうだ。彼の胸の中にはいつも生成中の立志伝があり、ときどき中間報告のつもりか、それを人に読んで聞かせるので辟易される。

 いまアレクセイは酔っているようだった。町の喧噪を不愉快なサカナに、部屋でひとりで飲んでいたという。アレクセイの不満は、製薬工場と運送公社がこの騒ぎでしばらく操業を休んでいることだった。女ひとりのために、なぜ一町の厚生機能が麻痺しなければならないのか、ニコライ、その答えを知っていたら教えてくれ。

  僕は答えずに、丘のまわりをめぐっている踏み分け道を見下ろした。いつかナターシャが、ここで炭田軍に正面戦を挑んでをこれを破り、残敵を掃討するために、配下の兵を引き連れて勇ましく森へ分け入っていったことを思い出す。思い出すはずだ。そのときも僕の隣にはこのアレクセイが座っていた。

  相変わらず僕らは、ナターシャ・ガリエナが巻き起こす騒動から、二人してイジけて遠巻きになっている。違うのは、彼女の遠征の距離が「中くらいの速さで走って一時間」から「地球三十数周」に、交通手段が「ブツェファルス号」から「ヴォスクレセニエ号」になったことだけだ。

  アレクセイはぶつぶつと言う。

「地球を一周したガガーリン少佐が、田舎の自分の村へ帰ってきて祖父に会った。じいさんは何と言ったと思う」

「さあ」

「ぼうず、ずいぶん遠くまで行ったそうだがひとつ教えてくれんかね。どこに行ったらこのランプの替え芯が手に入るんだね」

  僕の中で、この男に対する習い性となった皮肉が頭をもたげた。

「いいじゃないか。ナターシャ・ガリエナの手が触れれば病気は直る。ロシア版ルルドの泉だよ」

  その先を僕は口の中でひとりごちた。

  ここにもひとり厄介な病人がいるんですが、私も遅ればせながら、その奇跡とやらの功徳に浴させてもらえないでしょうか。

  そのときアレクセイの十八番が出た。

「科学者としての立場から言わせてもらえば、それはひとつの心理作用だ」

「そうかね」

「だがニコライ、お前の比喩は正しい。ヴォストーク以降の宇宙計画なんか何の現実的意味もない。何という予算、何という人手、あんなものは人民の膏血を固めてつくった醜怪な中世ゴシック伽藍の復活だ。そしてあの女も教会の尖塔にとまったメスの風見鶏にすぎん」

  僕はアレクセイの持っている風船を指さし、さらに囃し立てた。 

「面白くなってきたぞ。こうなりゃここに東方教会ならぬ復活教会を建てるか。十字架のかわりにそれを戴き、聖ナターシャのイコンを掲げ、世界中から病人が集まって、治ったと嬉し泣きしては、松葉杖やら車椅子やらを残して帰る」

 その折りには、ぜひ僕もフョードルのラス以外のものを残して帰りたいものだ。

 アレクセイは真顔になった。

「祖国の保健厚生に、奇跡など必要ない。その種の心理作用が必要なら、それはそれできちんと我々が方法化する」

  アレクセイは出し抜けに立ち上がると、持っていた風船の糸を手繰りよせ、岩のうえでそれを踏み破ろうとした。どうやらはじめからこの男は、人知れずこの作業を実行するためにここまで上って来たらしい。

 だが風船は踏みつぶされる直前にするりと身を躱した。また手で捕らえては足の下から逃げられ、また手で捕らえては足の下から逃げられ、宇宙船ヴォスクレセニエ1号を追いかけて、白衣の男は岩の回りをバタバタと暴れ回った。

 僕は肘をついて、自分の顎を手のひらで支えた。だいたい対象を固定もせずに大袈裟な足の振り上げ方をするから、踏みおろすときの風圧で軽い風船は逃げてしまう。さっきからそれの繰り返しだ。科学者としての立場から考えて、どうしてそんな簡単な理屈が分からないのだろう。

  だがあるとき、足の下から逃げ出した風船は、捕らえようとする手から、何かのはずみで大きく水を開けた。風船はそのままふわふわと漂い、僕らの後ろに立っている木の陰に入り込もうとした。

 そこに突然、ひとりの民警の制服を着た警官が現れると、片手でその風船を捕らえた。もう片手には自転車を押している。見かけない顔だから、どこかから増派されてきた人かも知れない。彼は僕らに近づいて来た。アレクセイを見て、

「薬剤師同志、党の政策に対する独創的な見解をお持ちのようですな」

  警官は慇懃に言ってニヤニヤ笑っている。

「まあそれは聞かなかったことにするが、いずれにせよかなり悪酔いしておいでのようだ。今日はこれぐらいにしておきなさい。本官が家まで送ります」

  そして僕に向かってヴォスクレセニエ風船を差し出すと、

「本官が責任をもつゆえ、あなたは何も心配しないでよろしい」

  アレクセイは警官に連れて行かれた。僕は立ちあがって彼に挨拶した。

「達者でな。アレクセイ」

 二人の姿が見えなくなると、僕は岩に座り直した。だが僕は本当は、今日のアレクセイには少し感心していた。薬剤師アレクセイの態度は真剣であった。クサってはいたが、僕のような屈折の色はまるでなかった。

 彼の場合、本当に式典など必要ないものらしい。

『脆弱なるわが同窓ニコライ・ラザノフとは異なり、神聖な薬事業務に邁進するワガハイ、アレクセイ・ネフスキーはそんなものを少しも必要とはしなかったのである』 

 相変わらずの似たもの同士も、中身は外見ほど単調ではなかった。

 

                              ◇

 

  どれくらいたった頃か、警官が手渡していった風船の糸がつと僕の手を離れた。

  だが僕は別にそれを捕まえようとは思わず、飛んで行くにまかせることにした。先刻アレクセイを弄んだ風はもう止んでおり、風船はほとんど垂直に上がっていく。僕の後ろ首の角度がだんだん険しくなっていった。

 僕は立ち上がって距離を取り、あらためて上がる風船を見つづけた。

  風船は少しずつ小さくなる。

 いつからか想像の上で、僕の視点は、風船からの視点に移しかえられていた。

 そこからは僕自身が見える。岩が見える。木々。警官に連れられ千鳥足で丘を降りるアレクセイ、炭田跡へつづく小道が通る森。町全体が視野に収まり、すぐそれも小さくなる。穀倉地帯の中に北へと流れる夜のイェニシテ川とペトロイワノフスクの灯。

  風船は闇に紛れて見えなくなった。

 僕は岩の上に座りなおして想像する。あのナターシャ・ガリエナも、こうやってただひとり闇の中へ放り出されたのだ。

 もちろんここからではなく、ガガーリン少佐と同じ、東カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から。船体に「CCCP」と刻まれた最先端の宇宙船で、数千万馬力のロケットに押し上げられて。その時間も夜ではなかったはずだ。しかし明るかったら危険でなくなるわけでもなし、どのみち一定の高度に達すれば夜と同じことだ。

  高度に達した衛星は、流星のような速さで地球をまわりはじめる。衛星軌道を回るということは、平たくいえば落ちていくということだ。落ちる放物線の弧と地表面のたわみが平行になっているから、衛星は地面に激突することなく、無限に落ちつづけることができる。

  その数一千を超える計器類を相手に、休みなくいろいろな調整をこなしながら、彼女は何度も歯を食いしばり、首筋を伝う汗を感じたと思う。無重力で体験されるという吐き気とめまい。僕には想像すらつかない孤独と重責。心の隙間には真に暗い虚空が入り込もうとする。アメリカ人など、厳しい選抜と訓練を経てさえ、ひとたび宇宙に出れば興奮剤と鎮静剤を交互に服用しつづけるという。では祖国の飛行士たちは、一体どんな人間だというのでそれに耐え得ているのか。

  僕は、古戦場である炭田跡への踏み分け道を見下ろした。

 ほかの飛行士たちのことは知らず、ナターシャ・ガリエナにあっては、故郷での野蛮な振舞いのすべてが、それらの苛酷に耐え切るための準備であったか。彼女からあの不埒な冒険の数々を取り上げて、なお彼女は彼女たりえたか。

 Faul is Fair、Fair is Faul

 ナターシャの美しくも憎々しい英語の発音を唇で真似てみる。そうなのだ、あの不羈で驕恣だったナターシャ・ガリエナは、人間を代表してこの世の果てへ赴いたのだ。

  大陸と大洋を次々に突っ切って果てしもなく落ちつづけながら、彼女は見たのである。ニューヨーク・マンハッタン島のまたたく灯火を。支那の万里の長城を。キリマンジャロの冠雪を。あるいは紺碧のカリブ海を、ヒマラヤ山脈を、アルゼンチンのパンパと南極大陸を。エーゲ海に浮かぶ白い島嶼を。

想像力に恵まれた魂にとって、その二昼夜あまりは、一生涯にも匹敵する経験であったに違いない。

  僕は煙草に火を点け、深く吸い込んだ。

 地球周回三十数周を経て、やがて船は減速する。大気圏再突入はまた困難をきわめる。進入角度が浅ければ船体は大気層にはじかれ、深すぎれば摩擦で燃え尽きる。正確無比の操船をしてなお、船体の表面は灼熱し、赤紫の炎が窓の外を狂奔するという。それをつきぬけて、パラシュートを引いた宇宙船が白々としたシベリアの大地に降りたのは、明け方の時刻であった。

 ナターシャは気密ヘルメットを脱いで金髪をあふれさせると、ハッチを開けて迎えを待った。

 新鮮な空気を吸いこんで、針葉樹の木立ちの間からのぼる曙光を見ながら、彼女は何を思ったろうか。踏みしめている大地と祖国への敬虔な愛を感じなかっただろうか。

  僕は芝生の上に膝をつくと、両手を胸の前で組み合わせた。

  ああ、神よ。ルイセンコ博士よ。ミチューリン博士よ。僕はナターシャその人にも劣らぬ熱誠を込めて祈ります。この世の深遠なる物理法則をほんの少しだけ案配して、僕がもう一度ナターシャと会えるように取り計らって下さい。

 こうして祈るだけで足りなければ、僕はいま一度風船を調達し、そこに手紙を結び付けて飛ばします。