スコット・トゥロー
リーガル・サスペンスのシーンを見渡して、「ジョン・グリシャムごときはいいとこ小結。横綱は断然スコット・トゥロー」という評を、どこかでちらっと読んだことがあります。私はグリシャムはいまだ読みませんが、この言には大いに首肯させられました。グリシャムすまん。しかしそれだけスコット・トゥローの文章が、重厚かつエピスティメティカル、読み応えがあるということです。
かつて誰かが、「ゴッド・ファーザー」のマリオ・プーヅォを評して、「マフィアもののバルザック」と称していましたが、その要領だとさしずめトゥローは、「お白州のフローベール」といったところでしょうか。イヤ、ちょっと言ってみただけ。
ともかく、その一端を紹介してみましょう。
まず映画化されてもっともポピュラーな作品「推定無罪」から。
主人公は、キンドル郡首席検事補のラスティー・サビッチ。ユーゴスラビア系。
ちなみに首席検事補というのは、その一帯の検察組織のナンバー2です。「検事」というのはトップの一人だけを指して、これは任期ごとに公選される。だから選挙運動期間中は、街を行き交う路線バスの腹で、大写しの検事候補者の顔がニッコリ笑っていたりするらしい。うーん、すごいクニだなあ。
で、以下は、そのラスティー・サビッチ検事補が、まだ幼い息子ナサニエルのことをいろいろ考えるくだり。
悪い子じゃない。これはもう我が家の決まり文句になっている。ナットが二つのころから、バーバラと私はそう言い交わしつづけてきた。ナットは、とわれわれは言う、決して、とわれわれは言う、悪い子じゃない、と。私はそう信じている。熱烈に。愛情の渦巻く心で。ナットは感受性の強い子。親切な子。やんちゃで気の散りやすい子なのだ。生れ落ちたその瞬間から、自分自身のスケジュールどおりにしか動かないように見えた。私が本を読んでやっていると、勝手にページをめくって先に何があるか見ようとする。人の言うことをよく聞いてない。少なくとも注意を払っているようには見えないのだ。学校ではいつも問題児だった。
だが、彼はその無頓着な魅力と天賦の身体的特性によって救われている。私の息子は美しい。私が言っているのは、子どもが普通に持っている美しさ、ソフトな目鼻立ちとか咲きたての花のような輝き以上の魅力のことだ。黒く、鋭い目、人を惹きつけずにはおかない顔立ち。こういう整った容貌は父親譲りではない。私はもっと大きくてずんぐり型だ。鼻も嵩高く、鼻柱がネアンデルタール式に目の上にそびえている。バーバラのほうの一族は、みな比較的小柄でルックスがいいので、ナットの美貌もその血統だということになっていた。だが、私個人は、自分の父親の、突き刺すような陰鬱な魅力をもったスラヴ系の顔を思い出して落ち着かなくなることがあった。祖父譲りの面を心配するためか、私は自分の内なる祭壇で、たえず祈りを捧げる。この天恵がナットの道を誤らせ、傲慢や残酷におちいることがありませんように。私が遭遇した美貌の持ち主たちはときとして自分の中のこうした性質を自然のもの、またはもっと悪いことに、正しいものと見ているように思えるのだ。
主人公の父親というのは、他の個所で述べられていますが、ユーゴから来た移民一世で、プアホワイトの不機嫌なドメ・バイ男です。
また、ここで珍しく、ラスティー本人の容貌の描写がありますが、映画で主役を張ったハリソン・フォードの面立ちと、たしかに通じるところがあるようです。
次は「有罪答弁」から。
主人公は、警官あがりの弁護士マック・マロイ。アイルランド系。消防士だった自分の父親を回顧するくだり。アイリッシュといえば警官か消防士というのは、これステロタイプですね。
わたしの育った地域では、警官か消防士を父にもつ子は、自分のおやじが英雄であることを疑わなかった。ヘルメットと重いコートに身を固め、自然界のもっとも恐ろしい異変のひとつ、物質が熱と色と化し変幻自在の紅蓮の炎が踊りながらすべてを焼きつくす場に、敢然とのりこむ超人的勇者たち。消防署の棒をつたってすべりおりるとか、そのたぐいの話しを三つ四つのころすでにたくさん聞いていたわたしは、おやじが消防靴と消防着を身につければ空を飛ぶこともできると信じていた。しかし、そうでないことが年とともにわかってきた。おやじは英雄どころではなく、盗人だった。「ぬすと」とおやじは発音し、その言葉に自分自身を含めたことは一度もなかった。だが、じつは、マルコ・ポーロやギリシャ神話のイアソンさながら、冒険のたびに宝ものをもちかえっていたのだった。
中略
「消防のコートのポケットがあんなにでかいのはなぜだと思う」というのがおやじの得意のせりふで、さすがにわたしには一度も言わなかったが、銀の食器や時計や宝石や大工道具や、そのほかうちにもちかえった無数の小さな品物ににじり寄る人たちにはいつもそういっていた。
究極的蛇足ながら、私が都内某消防署に勤める友人に、そういうことってあるのかと聞いたところ、「うーん、まずないと思うんだけどねえ」という返事でした。
ところでスコット・トゥローの作品は例外なく、中西部キンドル郡の法曹界の出来事を書いており、前作や次作の主人公がしばしば作中で顔見世したりします。ロケーションもそのキンドル郡の中に限定されているのですが、この「有罪答弁」では唯一、主人公マロイの移動にともなって、舞台が他の地へと赴きます。で、どこに行くのかというと、あろうことかカリブ海に浮かぶ架空の小国、タックスヘイブン・ピコルアンなんてところです。ま、それだけでも、どれほど大事な用を足しにいくか分ろうというものです。
そして近作「囮弁護士」について。ここからはちょっとネタバラシ。
今度の主人公は、ユダヤ系で人身被害専門の弁護士ロビー・フェヴァー。人の不幸につけこんで企業からカネをむしりとる、口八丁、三百代言のファック野郎です。
この男と同工のキャラクターとして、ファミリーむけコメディー映画「ライアー・ライアー」に出てくる、ジム・キャリー扮するところのウソツキ弁護士が想起されます。
しかしこいつにしたって、いくらウソツキとはいえ、最低の最低限、とりあえず間違いなく弁護士ではあったからなあ。するとこの主人公はジム・キャリーのコメディー以下か。やるな、スコット・トゥロー。