少年斥候惑狐火

 

 

 1

 

鏡の前で、糊のきいた群青の制服に袖を通し、首に黄色いチーフを巻く。チーフリングには百合の紋と「BP」の文字が浮き彫りにされている。

左の胸ポケットから、三つの金矢章と二十三の銀矢章が並ぶ。金矢は単に年功を表すが、銀矢はカブブックの多岐にわたる小課題に精励して獲得したものであり、少年のスカウトとしての優秀な資質を示している。

「大空を渡る日の光は清く」

ひとりで呟くように隊の歌を誦すのは、勇を鼓しているのである。

 福本浩作・十二歳。カブスカウト西宮第十団三隊四組組長。

その浩作組長が、この平日の夕方、時ならずしてひとり出動するのは、帰らなくなった配下の隊員を見つけ出すためである。救出するため、といったほうがいいかもしれない。配下の二人のウサギ隊員が、「狐の巣穴」に入り込んで帰らなくなったのである。

 ことの顛末は、次のようなものである。

今日の昼過ぎ、町に住む三人の幼い隊員が、ランドセルを学校に置いたまま、立ち入りを禁じられているフタタビ山へ探検に出かけた。むろんそれはカブスカウトの活動などではない。十歳の少年たちの「若気の至り」のなせるわざである。その山へ立ち入ること自体も危険なことだが、さらに彼らは、その頂上にある個人の邸宅へ、吸い寄せられるように近づいていった。

その屋敷・(あま)()()邸は「狐の巣穴」と呼ばれ、町びとは誰ひとり近づかない。むろん子どもにもそう言い含めているが、禁じられた場所には行ってみたくなるのがこの年の子の常というものだ。

三人のうちの二人、双子の南出の兄と伸好が、自らの勇気と行動力を証立てようと、手を携えて屋敷のコンクリートの高い塀を乗り越え、敷地への侵入をくわだてた。それは子どもたちの世界では画期的な壮挙であった。仲間うちの誰も、いまだ「狐の巣穴」に足跡を印したものはない。

そして南出兄と伸好は、塀にまたがって、南出弟をも手招き・挑発したが、弟は臆病とそしられる事には耐性を備えていたので、おとなしく塀の外で二人を待つことを決めた。

人気のない山の中で、壁を背にして待つことしばし、いくたびか山の秋風が、南出弟の首筋を撫でては去った。待つ身に長い時が経過すること一時間半、三人で見ることになっていたテレビが始まる頃になっても、ふたりはまだ戻らない。さらに日が翳るにつれ、「狐の巣穴」について日ごろ耳にする縁起でもない評判が記憶の底から蘇り、少年の心をざわめかせた。

 不法侵入者の名を大声で呼んでみることもならず、所在なく塀の前をうろうろしていたが、ついにいたたまれず、南出弟は逃げるように山を駆け降り、もっとも身近な年長者である浩作の家に転がり込み、危機を訴えたのである。

 宿題を終えたところだった浩作は、南出弟を部屋にあげ、水を飲ませ、なだめすかし話を聞き出した。

「その高い塀、どうやって越えてん」

 少年はしばし言いよどんでから、

「ロープで、塀の上のトゲのついた針金の」

説明能力が及ばなくてしどろもどろになるが、要するに、塀の上に張られた有刺鉄線の支柱を利用し、そこに投げ縄の要領でロープを絡ませてから、二人で連携して障壁を越えたらしい。

「ロープて、カブのロープか」

浩作はそう問わずにはいられなかった。それに対する相手が黙っているのは悪いサインである。分ってみれば、はたしてロープがカブスカウト支給の品なら、投げ縄にする結び方も、活動の中で浩作自身が手を取って教えたものであった。

 浩作はやおら立ち上がって、

「よっしゃ、分った。ほんならオレはカブの代表としてもらいうけに行ってくる」

 かくて浩作組長は、その場にふさわしい群青の正装に身をととのえると、

「ちょっとカブの急な用やから」

夕食の用意をしている母親にはそう言い置いて、小さな少年とともに玄関を出た。

 引き戸を閉めた浩作は、南出弟の肩に手を置き、

「お前は真っ直ぐ家帰ってじっとしとけ。それでもし真夜中になっても俺が戻らなんだら、うちの親父にいえ。ええな」

 

2

 

家のブロック塀に沿って表通りに回ると、すぐ四階立てのビルに突き当たる。

屋上に渡された横断幕が「21世紀への掛け橋・長床ニュータウン計画」と謳う。株式会社福本土建工業。これが浩作の家の家業である。父が社長をつとめ、いずれは自分がその跡を襲うことを漠然と予測している。

普段の意識の上では、だからどうということもないが、とにもかくにも、福本は誰が見ても町中で最大権勢の家であり、その跡取である自分に、天ヶ瀬といえども、いきなりそう手荒な真似もすまい。今はことさらにそう思うしかなかった。

頭をめぐらせれば、表通りの彼方には、夕映えの中にはやくも問題のフタタビ山が黒々と聳えている。空を横切るカラスの群れが、その背景に溶け入って見えなくなる。そこは浩作自身、小さい頃は近づいてはいけないと繰り返し聞かされた禁忌の地であった。

「狐が出る」。今も昔も多くの大人たちはそう言って脅しつける。この町の子どもたちにとって、狐とはイヌ科の哺乳動物であるより前に、人に害をなすおどろおどろしい妖怪である。

フタタビ山の天ヶ瀬家の者たちは、とりあえず人の形はとっていても、本当のところは化生の存在である。幼い浩作はそう信じており、大人たちもあえてそれを訂正しなかった節がある。

狐が人の形を取る。それについては「憑き筋」というのがまず一般的な言葉で、性のよくない獣霊が世代を超えて天ヶ瀬一族に憑依していると言うのである。

民俗学的には、これは各地の村落共同体にある例で、先代・天ヶ瀬峻堂(しゅんどう)が、高利の金貸しを営み、人を人とも思わず、あまり苛烈に蓄財に励んだことに端を発するのだが、むろん当事者達はそんな高所の議論を知らぬ。

大正の終わりから戦後にいたるまで、村人たちが寄っては、天ヶ瀬の屋敷からは甲高い獣の鳴き声がするとか、障子にキツネの影が映ったとか、上空に青い狐火が燃えているとか、思い思いにそれらしいことを言った。

こんにち人類が月へいく時勢になって、さすがにいい大人がキツネやマメダでもないのだが、今なお天ヶ瀬が狂疾の血筋と認識され、町から関わりを絶たれていることには何ら変わりがない。

その系譜については、浩作のような子どもでも知っている事柄がいくつかある。

まず自ら峻堂と号した先代は、晩年に発狂のすえ、ある夜、何を思ったか、蓬髪・跣のまま屋敷の裏山に駆け入り、それっきり帰らなかったと言われる。昭和二十年代のことだが、県警や青年団が提灯を連ねて捜索の山狩りがなされたというから、そこまでは、まんざら出鱈目でもないらしい。

もっとも、その後ついた迷妄の尾ひれによれば、生きながら物の怪となった峻堂は、白髪を振り乱し、襤褸をまといつかせ、今も道なき山中を、峰から峰へ狂い駆けに駆けめぐっており、遭遇したものを八つ裂きにし骨髄をすするなどという。

 この妖怪・峻堂の存在をもって、子どもには不用意に山へ立ち入ることの危険を言い聞かせ、大人には因果応報を説いて阿漕の振る舞いを戒め、いずれにせよ格好の寓話として、その名はいまに語り継がれている。

 町じゅう誰一人知らぬものとてないこの伝承だが、そこからもっとも学ぶところの少なかった者こそ、誰あろう峻堂の息子、今の天ヶ瀬の当主・浄彦(きよひこ)である。

もっともこの男は金貸しの生業には手を染めていない。かわりに峻堂の遺した財をもとに実業を起こした。それが現在、北摂の根生いとしては最大の企業・アマガセセメントである。共同起業の兄弟たちを権力闘争のすえ石もて追い、今の独裁者の座についたと言われている。狷介さで地域にも業界にも名を轟かせ、十年前の労働争議では、採掘場における非人間的な管理体制が全国の耳目を集めた。

 倣岸をそのまま表した顎と口元、猛禽のような眼光、などと描写される浄彦だが、普段はまずめったに町びとの前に姿を表さない。毎朝夕、黒い高級車の後部席に収まって、フタタビ山の自宅と神戸の本社を往復するが、町ではこの車をドラキュラの駆る馬車のように怖れている。

なにしろ狭い商店街通りを道幅いっぱい、時速五六十キロで走り抜け、行く手を遮るものは、八百屋の陳列台だろうが、床屋のねじりん棒だろうが遠慮会釈なく跳ね飛ばす。その上でバンパーに入った傷について請求書を送ってよこす妥協のなさでは無理もない。

公共の土地でこれだから、私有地となると、その侵犯にはさらに強硬・峻厳な出方になるのが道理である。山林、私道、田畑。かつて天ヶ瀬が借金のカタに貧乏人から取り上げた土地は町の至るところにあって、そこへ子どもが悪戯に足を踏み入れてさえ、情け容赦なく慰謝料を毟り取られる。天ヶ瀬はその実行力として、セメント会社の嘱託という形で、手足となるゴロツキの一団を抱えてもいる。

そして福本家からみたとき、この天ヶ瀬所有の役にも立たぬ小さな土地の数々こそ、社運を賭けたプロジェクト「長床ニュータウン計画」の進行を阻む、波間から頭を出した岩礁の群れであった。

微々たる収益のイチヂク畑の営農権を訴え、セメント屋にして山林の生態系保全を唱え、いっかな買収に応じない浄彦の真意がどこにあるのか、単なる意固地なのか、ゴネ得を狙っているのか、あるいはもっと深遠な思想に基づいているのか、交渉に長けた専門の法律家でも首をひねるばかりである。

「くそゴウツク狐が」

父が寝言にもそううめくのを、浩作は何度となく聞いた。

 

3

 

私生活では、坂東の遠縁から嫁を取った天ヶ瀬浄彦であったが、この夫人は三人の子を成したのち、ある日フタタビ山を出奔した。その原因は年を重ねても収まる気配のない、夫の奇矯と乱倫にあったというのが専らの見方である。

「普通の神経しとったら、あんなとこの嫁つとまるかい」

よその土地から来たこの人には町の噂も同情的なのだが、問題はこの地に残された三人の子であって、これがまた尋常のものたちではなかった。

まず長男・(まこと)ははじめから手のほどこしようのない癇癪もちで、性情は粗暴にして獰悪。長ずるにつれ非行いたらざるはなく、施設に収容されたことも一度ではない。道を歩くだけですべての町びとから睨み殺されんばかりの憎悪をあつめたこの男は、二十の歳、ささいなことから福本土建出入りの鳶組と刃傷のことがあって、土地にいられなくなった。その後は流れ着いた姫路だか加古川だかで極道の盃を受け、ついに家からは絶縁されたという。

次男・(あらた)は逆に行儀のいい優等生で、神戸市内の進学校でも学業群を抜き、郷党の誉れという声望さえあって、廃嫡の長男に代わり、いずれ家督を継ぐと目されていた。その秀才に蹉跌が見舞ったのは、京都の大学に進んでからである。全国の俊英が集う左京区のキャンパスでも、たしかに天ヶ瀬新は頭角をあらわした。そして左翼学生組織の凄惨な内部ゲバルトの主要メンバーとして、三面記事の写真になって帰郷を果たしたとき、人は改めて天ヶ瀬に流れる血の濃さを思った。それが二年前のことで、死刑を求刑する公判は今も続いている。

最後に残った第三子が、昨年高校にあがった娘の(めぐみ)である。神戸の女子高に通学する姿を駅でたまに見かける。特にこの娘の行状に難が伝えられているわけではない。服装には乱れがなく、汽車を降りてくる時間も一定である。人と行き交っても挨拶は交わされないが、これは今さらのことでもない。

にもかかわらず、彼女の姿を目にすれば、井戸端会議の女たちは片隅に寄り合って声を落とす。その色素のうすい髪と、水際だった膚の白さ、人形のように整った目鼻だちは、出生からして何かの曰くがありそうで、代々の罪業の血とあいまって、この容色で、いずれ平穏には生を終えられまいという不吉な予感を人の胸に掻き立てるのである。

そして町の若い男たち、浩作の知るところで言うなら、福本組の監督見習や若い職人などは、この娘の姿にもっと切実な関心を寄せている。きのう通りすがりに俺の方をちらりと見たのは、秋波を送っているに違いないとか、あの髪の色は遊んでいるとか、飽きもせず評定がもたれ、猥雑な憶測をたくましくする。

「たらし込まれたらあかんど、あんなん、ハナからツツモタセみたいなもんやからの」

「ツツモタセて、具体的にはどないなんねん」

「せやな、夜家で寝とったらいきなり何十台のミキサーに囲まれて、家ごとコンクリ詰めにされるか分からんで」

もはや狐というより、つがった相手を喰らう蜘蛛かカマキリの喩で、いつしか娘本人のことも淫奔の性と決められている。しかし実のところ、この禁断の果実に手を伸ばしたものが、後にどんな奈落へと運ばれていくのか、未だ試みられた例はないのであった。

ここで順当な判断をするならば、この娘の配偶者とは、兄二人がものの数から外れたいま、次代のアマガセ・セメントを切り盛りするため、浄彦が選んでくる婿以外にはありえなかった。

 

4

 

浩作は一路町の最果てをめざした。

道ぞいの家々はそろそろ灯をともし、夕飯の支度にかかっている。早くも風呂に入っている家もある。H形のブリキの煙突から湯気が出て、擦りガラスごしに水音と子どもの笑い声が聞こえる。

浩作はちらりとその窓を見やったが、のっぴきならない使命を担った大股の歩調を緩めはしなかった。

小学五年といっても福本浩作、「子どもの使い」をするつもりはなかった。すでに頭の中では「キツネの巣」から部下の身柄を買い戻す成算が組み立てられつつある。

かりにニ十万円慰謝料を請求されるとして、一隊総出でイチヂクや大豆の集荷をすればよい。山の腐葉土や池の藻も、量が集まればカネに変わる。ひとり一時間あたりの賃金を三百円として、五十人掛ける六時間あまり、これを二日間、と未来の土建屋社長は胸中で人駆の算盤をはじく。

隊員の不始末への自助努力に、隊長なら頷いてくれようし、いよいよとなれば、こういう事情の上は、一存で部隊を動かす人望が自分にはある。

「それ以上吹っかけてきよったら、出るとこ出るだけやろ」

どこまでも底の見えない世界への不安を、子ども時代に特有のものとするならば、そう声に出してうそぶく浩作の意識は、はやくもその域を脱しつつあったのである。

やがて家並みが途切れ、視界を横切って流れる用水路が現われる。これを渡ればあとはフタタビ山へ一直線である。もはや町びとはこの先へは立ち入らず、そのことから用水路にかかる短い橋は「勿来の橋」と呼ばれる。ハンドルのついた水門を見ながらその橋を渡ると、ススキ野原の向こうにフタタビ山の威容がいよいよ迫った。

ここからは屋敷そのものの輪郭も一部見てとれる。浩作はあらためて息を吸い込みフタタビ山を睨み据えた。それは例えるなら前世紀、南アフリカの地で、スカウトの祖ベイデン・パウエルの眼前に聳えた難攻不落のボーアの堡塁ででもあろうか。

ススキが穂を揺らす野原の真中を、一本の舗装道が通じている。かつては炭焼きのオート三輪が往来したというが、フタタビ山の全域を天ヶ瀬が手中にしてからは、「けもの道」と貶称されすでに久しい。

十五夜のときにだけは、この原っぱへススキを取りには来るものがあるが、誰も道へ踏み入れる手前で用を済まし、逃げるように橋を駆け戻ることになっている。

いま白々と照る月の齢は十二か十三とほぼ満ちている。風が吹くと野の一面に、ススキの穂が、波涛の飛沫のように吹き零れ舞い立つ。音の途絶えた海原のただなかに分け入っていくような錯覚があった。

浩作はこれまでにも一度だけ、この道を歩んだことがあった。

小学校に上がる前のことである。家で父親の墨つぼをいじっていて面白くなり、実験に真新しい襖へ縦横の幾何学模様を描き出した。当然それは前衛美術とは評価されず、母親から「あんたなんかこの家の子やない」という心ない常套句を浴びせられて、五歳の少年は涙に暮れ、もう身も世もないという心境になった。

家を放り出されれば、目に映る外の世界さえ、すでにどこかよそよそしいものに変質している。夕暮れの町をあてどもなく歩くうちに、普段行くなと言われている方に自然に足が向いた。

時刻はもう宵、勿来の橋をわたった時には、すでに天には星が瞬いていた。

このときの浩作は、まだフタタビ山、天ヶ瀬という名さえ知らない。向かう先は、漠然としたこの世の果てであり、どこの家の子でもなくなった身が、最後に打ち寄せられる「エニウェア・エルス」である。

ススキ野原の中の道をとぼとぼと半ばごろまで進んだとき、後ろから呼ぶ声が聞いた。

振り返れば、自転車に乗って追いすがってくる人影がある。それは浩作がよく知っている娘さんのものだった。後で知れば、心配した両親が身近な人間をすべて捜索に動員したのである。

彼女は「しな子さん」という名で、福本土建の女事務員であった。高校を出たてで、当時まだ二十歳にはなっていなかった。そのころ椎間板ヘルニアでよく臥せっていた母にかわって、幼稚園への送り迎えをしてくれた時期があって、浩作はよく懐いていた。

浩作の横へ来て自転車をとめたしな子さんは、

「浩ちゃん、どこ行くのん」

片足をつき、ハンドルに身をもたせてにっと笑った。

「どっかええとこ行くんやったら、つれて行ってくれへん」

彼女もなかなかとぼけたところのある人だったが、その額には汗の玉が光っていた。

「後ろに乗りィ。浩ちゃんの行きたいとこ行こ」

浩作は無言でもぞもぞと自転車の頑丈な荷台にまたがった。両足が地から浮くのが心もとなく、すぐにしな子さんの腰に手を回した。彼女は片足をついたままハンドルを切り回して、砂の音とともに車体を道と直角に立てると、

「どっちへ行く」

右でも左でも、と言わんばかり、背中ごしに笑いを含んだ声で聞かれて、強がるだけの精気は五歳の体からすでに尽きていた。もと来た方を指すと、

「ほな、おうち帰ろか」

そして二人乗りの自転車は、街灯が黄色い光を落とす街を、ものも言わずに進んだ。浩作はしな子さんの腰につかまり、紺色のカーディガンの背に頬をくっつけ、家並みの塀に現われては流れ過ぎる己の影を眺めていた。向かい風を受けるとしな子さんの髪が頬にまつわり、ほのかにいいにおいがした。

それからほどなくして、しな子さんは尼崎の家具屋へお嫁にいった。後によこされた年賀状を見て、ようやく「しな子」が「姿子」と書くことを知ったが、婚前の苗字が何というのかはいまもって知らない。

「早よ言や、赤ん坊やったということや」

確かな足取りで野中の一本道を行く浩作は、回想をそうしめくくりチーフリングを締め直す。

あのときと今とでは違う。すでに当時に倍する年齢を重ね、スカウトの制服を着ているし、この行方に何があるかもよく知っている。そしてとにかく行動が必要とされるとき、足元から絡まってこようとする不安を振り払う方法も。

 

5

 

ススキ野原を渡り終えると、遮断機のついたゲートとともに、威圧的な高札が遠来の訪問者を出迎える。

「ここより私有地、無用のもの、立ち入りを禁ず」

二年前の次男の「内ゲバ事件」の際、嗅ぎまわるマスコミ取材陣を撃退するために置かれたもので、それを侵したものに対する罰則らしきものが縷々書き連ねられている。その内容は当然子どもにも適用されようが、今さら自分がそれを読んだとて始まりはしない。

一度その看板の表を軽く爪で弾いてから、浩作は遮断機をくぐると、山登りの勾配へと踏み出した。舗装道は、そのまま山肌に巻きつくようにして頂きの「狐の巣穴」へと通じているはずである。

山道は両側から木が枝を伸ばし、空を遮る疎らなアーケードを形成している。これでは昼日中でも薄暗かろうに、それにしり込みしなかったウサギ連中というのは、ある意味見所がないではない。

しばらく山を登ったところで、浩作はふと足をとめた。道端の側溝の脇に咲く野草の花が目に止まったのである。常から野山の動植物を観察すること怠りのない浩作組長であって、それでもその花はいまだ見たことのない奇異なものだった。

何か放っておけない胸騒ぎがあって、屈み込んで間近に観察する。折り重なったギザギザの花弁に、色でいえばムラサキナノハナのような。

理屈ではなく凶兆を感じた。増幅される悪い予感に、屈んだまま周囲を見回したとき、浩作の背にはっきり悪寒が走った。

花だけではない。一面に生えた木からして幹の形がおかしい。どこにでもあるコナラとイヌブナではあるが、不自然にねじくれてところどころに醜怪な瘤のようなものがある。舎営のときいった淡路島の樹とも四国の樹とも違う。

浩作の胸に、はじめてここへ来た挙を悔やむ気もちが生まれていた。無理に勢いをつけて立ち上がると、遮二無二腕を振って歩き出すことで、それを振り捨てようとする。

どうやらこのフタタビ山は土地からして正気ではない。何か特別な因果に支配されている。この特有の風土のために三代の狂気が芽を吹いたのか、あるいは魔人たちが吐き出した禍禍しい息がいまや一木一草さえも毒しているのか。

「天ヶ瀬はキツネじゃ。あいつらの言うこと、一言でも信用すな。右ゆうたら左、黒ゆうたらホンマは白じゃ」

番頭を叱咤する父の声が耳朶に蘇る。つい一時間前まで家で安穏と宿題などしていた自分が、ウサギを追っていまや悪意に満ちた不思議の国へ迷い込んでしまったかと思われた。

それだけに、山のほぼ中程、木立が開けて見晴らしのよくなったところへ出たときはいささか安堵して、浩作は足を止めハンカチで額の汗を拭いた。

今しも夕映えの西の空が、星を散らした濃紺に塗り替えられようとしている。ガードレールに手をついて自分の住む街を見下ろす。面白い眺めだったが、ここで自分の家や友だちの家の屋根を探しているいとまはない。いまは自分が代表する正気で善良な秩序の世界をいま一度確認するにとどめる。
 そして山頂へと踵を返しかけたとき、浩作の耳は、麓の方から自動車のエンジン音が迫ってくるのを聞いた。その方向に目を凝らせば樹間を動く車のライトがたしかに山を登って来ている。

それが天ヶ瀬家の車か出入業者の車か、そのふたつにひとつを見極めねばならない。浩作はガードレールを背に、自分が登って来た道路にむかって身構えて待った。

排気音が高鳴り、やがてライトの光条を前触れに、カーブの向こうから黒塗りの車体が姿をあらわした。町で怖れられる天ヶ瀬のセンチュリーである。頭をめぐらせ正面を向いたヘッドライトが目を射抜く。合図の動作などは不要であった。車は音を立てて減速すると、浩作の前にゆっくり横付けになり、その窓ガラスに西の空の残照を映して止まった。

一拍の間を置いて、まず開いたのは前のドアだった。降りてきたのは運転手、黒い制服制帽の、職業としての運転手である。白手袋をした彼は、折り目正しい動作で後部座席のドアを開く。浩作は息を呑んで主の登場を待った。

最初にすらりとした両脚があらわれてアスファルトを踏んだ。そしてドアのフレームに手を掛けて降り立ったのはかなり年上の少女、ほっそりしたセーラー服姿の娘であった。魔王・天ヶ瀬浄彦の登場を予測していた浩作は、何度も瞬きをして相手を見定めた。

背にかかる長い髪が、大和撫子にしては鳶色がかっている。淡雪のような膚へ一点、秋のイチイの実に似た唇の朱がくるのも、何か人形めいた印象を与える。しかし切れ長の目にある、やはり鳶色の瞳には、理知ある者の暖かみが備わっていた。

浩作は臆せず一歩を踏み出し、頭ひとつ背の高い相手を見上げて大きく声を張った。

「ぼく、カブスカウト西宮第十団・三隊四組組長の福本浩作いいます」

この義勇少年斥候の正義の名乗りに対して、淫蕩な狐の眷属は立ったまま涼やかな声で問い返した。

「うちに何か御用?」

にこやかではないが、決してとがめだてする響きでもない。透きとおった声は、ただ疑問だけを伝えている。だがその一言に、浩作はいっそう身を硬くした。

はじめて耳にするものの言い方なのである。関東風のイントネーションであることと、大人が子どもを相手にするときの過剰な抑揚がないこと。はやくも大いに勝手の異なる相手であることを意識せざるをえない。

「それなんです」

そう切り出した浩作は、これまでの経緯を順を追って述べはじめた。身振りを交えて説明しながら、それを静かに聞いている相手の姿に、何か眩暈のようなものを覚えていた。

こんな綺麗な人がホンマにいるんか。

その認識がひとつの小石のように心に投じられ、大わらわに煮立った意識の水面を貫いて、ゆらゆらと深層に吸い込まれようとしている。

この人を見るのはむろん初めてではない。何度か駅などで見かけた覚えがある。だがわずかの期を得て熟したのは娘の外面か、それとも浩作自身の意識であったか、いま黄昏の中で正対する宿敵・天ヶ瀬の娘さんは、かつて見たこともない域の美人であった。

「アホやけど、そんな泥棒とかする奴らやないんです。それは誰に聞いてもうても分ります。ただちょっと塀の中を覗いてみたなっただけや思うんです」

それでも言葉の上では淀みなく、用意していた弁明の口上を述べている。

その浩作に向い、娘は軽く鳶色の眉根を寄せて、容易ならぬことを言った。

「知らなかったでしょう。いまうちには番犬が二頭いるのよ」

頭のどこかで血飛沫が撥ねた。顔から血の気が引き、知らずに両腕が防御の形を取っている。初耳ではあったが、たしかに天ヶ瀬こそは土佐犬・ドーベルマンの家風である。

だが娘は薄く笑うと、

「まだ仔犬だから、そんなには心配いらないと思うわ」

背後のセンチュリーの車体を指差し、運転手に目で合図した。

「とにかく乗って」