冥皇計画

第7話「冥印幻夢」


「ん・・・・・うーん・・・・・もう朝だ・・・・・・。」

リシュアは射し込む朝日の中、ベットで目を覚ました。

昨晩のリディアとの激しい情事の後、そのまま眠ってしまったらしい。

いつも余裕たっぷりのリディアが、何故あんなに激しく求めてきたのかリシュアには解らなかったが、自分が彼女にとってかけがえのない大事な存在になりつつあることは、なんとなく理解できた。
何故なら、いつも言葉は悪いが優しい気遣いをしてくれる彼女が、いきなり部屋を訪ねてきてから「余裕など全くない」そんな様子で、縋り付くように自分を求めてきたからだ。

会話も愛撫もない、脳を灼くような激しい交合の最中に見た彼女のエメラルドグリーンの瞳は、狂おしい程の激情と渇愛に満ちていて、彼女の与えてくれる快楽に溺れてはいたのだが、リシュアにはリディアの普段の姿から想像出来ない苦悩や悲しみが、胸に痛みを覚える程にひしひしと伝わって来た。

その様子を思い出しながら、リシュアには今までの彼女にとって「生きる」ということは、空虚で苦痛に満ちたものだったのかもしれないとも思った。
昨日話してくれた、結婚してすぐに夫を失ったことや、ニウス宿屋で聞いた100年以上もの長い間たった一人で、いつか判らない冥皇の復活を信じて待っていたこと。
彼女は事も無げに話していたが、それはリシュアには想像も出来ない程の苦痛と空しさであっただろうし、前世の記憶を恨み、その苦しみは呪いのようにも感じた筈だ。
しかし、自分が

「冥皇になること。」

それが今のリディアにとって、少しでも救いであるというのなら、喜んで冥皇になろうという覚悟はある。勿論、エメリアにとっても、それが救いなのかもしれなかった。
純粋なリシュアには、「ボクの人生を彼女達にあげよう。」それしか言葉は浮かばなかったが、二人に自分がせめてもの恩返しが出来るとすれば、それ以外にないと感じた。

既に彼女達二人は、戦災孤児であった自分に10年もの幸福な時間と夢のような愛情を与えてくれ、更にこれから命まで賭けて守ろうとしてくれているのだ。

「もし、彼女達が最初の夜に話してくれたような冥皇の力が、冥皇の宝杖を持つことで自分に備われば、逆に二人を守ることだって出来るはずだ・・。」

そう思うとリシュアはエメリアが初めて彼女を抱いた日の朝に言った言葉も思い出した。

「貴方のものになった私には、もう何も怖いものはありませんから。」

それは昨日の朝に聞いた彼女の誓いの言葉だったが、ずっと昔にも聞いたような気がした。
そのことを考えた時、リシュアは少し目眩を覚えたが、昨日まで感じていた心の底まで凍てつくようだった死への恐怖が彼女の言葉で嘘のように消えるのも感じた。

「冥皇の力がなくても何か出来ることが有る筈、守ってもらうだけじゃ嫌だ!自分がたとえ命を失うことになろうとも、彼女達を守りたい!」

自分も一緒に戦うことを決意すると、今度は心の底から勇気が沸々と沸いてくるのを感じた。
リシュアはベットから降り、寝間着を身につけながらリディアに目を向けると、彼女はベットの上で静かな寝息を立てていた。

リシュアは健康的なやや浅黒い肌の、リディアの美しい裸身を惚れ惚れと眺めた。
まず、いつも目を奪われてしまう細いながらも絶妙なラインの美脚を眺め、そして夕べ何度も抱きしめた細い腰に目をやり、美しい造形の臍を愛でると、瑞々しい果実のように張りがあり重量感のある大きな双丘を鑑賞した。リディアの乳房はリシュアの手の平に全然収まらないような大きさだったが、仰向けになっていても少しも形は崩れておらず、ツンと上を向いたエメリアより大きめの乳輪をもつ乳首が、なんとも言えない美麗さと淫猥さを醸し出していた。
それに軽い興奮を覚えたリシュアが、リディアの灰色の淡い繁みを覗き込む。彼女はやや脚を開いて仰向けに寝ているので、女性器がよく見えた。
彼女の繊毛はリシュアが5度も膣内で射精した精液の残滓にまみれていて、半ば乾いて肌に張り付いており、リシュアの夕べの激しい挿送のせいか捲れ上がったままのやや深い色のピンクの陰唇から精液が溢れだしているのがよく見えた。

彼女を無性に抱きたくなりリシュアの肉棒はすでに激しく勃起していたがそれを我慢して、眠っている彼女の顔を覗き込んでみると、彼女の顔は昨晩の自分の吐き出した精液で汚れてはいたが、それでも彼女は輝くように美しく、この美しい女性が激しく自分を愛してくれることに、性的な高まりとは裏腹に、幸せな気持ちになってしまった。

思わず手を伸ばして、側で眠っている彼女の頬に優しく触れてみる、そして彼女の不思議な光沢の、ちょっと癖のある灰色の髪にも手を伸ばし撫でてみた。
こんな風に彼女に触れることが出来ることが、なんだかとても嬉しく感じて、リシュアは彼女の髪を指で弄んでいた、するとリディアは眠っていながらも、それがくすぐったいらしく、寝返りを打ってリシュアの方に背中を向けた。
彼女の灰色の髪がその勢いで波打ち、彼女の艶っぽいうなじが見えた。そこには月と十字の紋章があった。
リシュアは彼女の後れ毛を掻き分け、前世の自分の紋章であったというその図形を凝視した。そして思わず手触りを確かめようと手を伸ばし、指でなぞってみる。

すると紋章が僅かに輝きだしたと思うと、不思議なことに見たことのない様々な光景が次々とリシュアの心に飛び込んできた。

「大きな七つの塔のある空に浮かぶ白亜の城」「杖を天にかざす魔導師達と様々な禍々しい甲冑を着た騎士達」「白い竜の浮き彫りの付いた杖を手渡してくれる額冠を付けた高貴な女性」「自分に傅く肌が粟立つような恐ろしい姿の魔神達」次々と鮮烈な光景がリシュアの眼前で展開するように次々と飛び込んでくる。

そして、不意に誠実そうな栗色の髪に蒼い瞳の純朴そうな青年が現れ、自分を抱きしめてくれる。彼は「すぐに戻る。」それだけ言うときびすを返し去っていく、彼の後ろ姿を見送ると不意にその光景が霧に包まれたように霞んで見えた。

リシュアは気づいてしまった。

これはリディアの記憶の中の光景なのだと。

栗色の髪の青年はきっと、彼女の夫だった人なのだろう。

すぐさま次の光景が目の前で展開する。塔の上で彼の無事を祈るリディアの前に、彼女にどことなく似た面差しの妖艶な女性が現れ、無表情でリディアに近づくと彼女の唇がゆっくりと動き、告げる。

デ・ィ・ム・ル・が・シ・ン・ダ

リディアの恐怖と絶望が奔流のようにリシュアの心に押し寄せてくる、それはその時彼女が感じた生々しいそのままの感情だった。

余りの激しい感情の波に目眩を覚え、リシュアはよろけて彼の指が紋章から離れた。すると今まで展開していた光景も激しい感情の波もふっつりと消えて、朝日の射し込むモルトリアの宿屋の部屋に戻った。

しかし指を離す瞬間にリシュアはたしかに感じた。リディアの恐怖と絶望が、狂気と世界全てに対する侮蔑に変わっていくのを・・。



リシュアはその場を逃げ出すように部屋を出た。

リディアの過去を図らずも覗いてしまったという背徳感と、認めたくはなかったがリディアに対していい知れない恐怖を感じてしまったからだ。

強烈な光景を立て続けに見たせいか、足下がふらつき目眩がする。
喉もカラカラに乾いていて、水が欲しくて堪らなかった。

寝室を出たリシュアが水を求めて短い廊下を抜け居間へのドアを開くと、そこには白い神官衣姿のエメリアが居た。彼女はリシュアのただならぬ様子をみるとソファーから立ち上がって駆け寄ってきた。

「リシュアちゃん!どうしたの?大丈夫!?」

エメリアは慌てきった様子でリシュアを胸元に抱き寄せ、そのままソファーに座らせた。青ざめたリシュアが水を要求すると、彼女は水差しとコップを取ってきてくれ、彼にコップを握らせると彼が飲み干す度に水を注いでくれた。

リシュアが立て続けに三杯の水を飲み干す間、エメリアは心配そうに彼女の形の良い意志の強さを感じさせる太い眉をひそめ覗き込んでいたが、リシュアが落ち着いた様子を見せると安堵の微笑を浮かべて彼が話し出すのを待ってくれた。

リシュアはリディアとの情事の後起こったことをぽつりぽつりと話した。

エメリアはそれを聞いて少し考え込んでいたが、やがて優しい微笑を浮かべると

「リシュアちゃん。それは今のリディアではないわ。多分、わたしが初めてあった頃のリディアがそんな感じだったと思うの。」

彼女は慈愛のこもった声音で諭すように言うと、リシュアの両手をとり優しい眼差しをリシュアに向けながら

「わたしが初めて会った頃のリディアはもっと狂気じみてて、自暴自棄だったわ。冥皇リシアの復活の手がかりを探す為に、見ていて怖くなるような情熱で冥皇城の廃墟や死界の魔女の塔の廃墟を探索していたの。当時の私は修行の旅に出ていて、たまたま立ち寄った冥皇城の廃墟でリディアに出会ったの。」

そして何故か彼女はクスクスと笑いだし、リシュアが唖然としていると

「あのね、初めて出会ったときにお互いの前世での名前が判ったのよ。それでお互いの顔を指さしながら前世での名前を口にして、二人で大笑いしたの。それがリディアとの最初の会話なのよ?おかしいでしょ?」

彼女はまたクスクスと笑いだし、ついリシュアもその光景を想像して微笑んでしまった。
その後、彼女は楽しそうにリディアと二人で旅をした思い出を語ってくれた。
全くタイプの違う二人がどうしてあんなに仲良しなのかずっと不思議だったが、リシュアには判ったような気がして、暖かいような嬉しいような気持ちで胸が一杯になった。

「ボクを見つけてくれてありがとう。」

リシュアはずっと言おうをしていた言葉を口にすると

「どういたしまして。こちらこそありがとう♪」

エメリアはとろけてしまいそうな魅力的な微笑を浮かべながら、彼女らしい優雅な仕草でお辞儀をして

「私もリディアとリシュアちゃんに再び巡り逢うことができて、250年生きてきて本当によかったと思ってるの。14歳の時に神殿に貰われてからずっとシェレイド神に仕えていたけれど、ある時そこでどんなに沢山の人のケガや病を治療しても、世界全体が変わらなければなんの意味もないという事実に気づいてしまって、とても苦しかったの。今では教団も堕落して世俗の国家と変わらなくなってしまって、もう初代の教主様が目指した理想郷ではなくなってしまったから・・・・・・。」

微笑を浮かべていたはずの彼女はそう告げると祈るように瞼を閉じ、少し俯いた。


たしかに教主が三代目のディヴィアに変わってから教団は領土の拡大策をとっており、近隣諸国に領土を保障する代わりに朝貢や臣従を強要したり、聖戦の名の下に800年の歴史を持っていた古王国パラティアを侵略し滅亡させ、領土を併合したりもしている。

かつてラグナ打倒後の世界の調停者として奔走し、清貧無私で知られ「義戦有るところにシェレイド神官戦士の姿あり」と讃えられたシェレイド教団の面影はすでに失われ、かつての栄光と強大な軍事力を傘に着て高圧的な外交をし、他国を掠略する覇権国家に成り下がっていた。

リシュアはエメリアのように、教団の黎明期からすべての人々の救済の為に働いていた者には、この教団の変化が耐え難い苦痛であっただろうと思う。

現在の教団は傷病者を無償で治療し慈善活動をしながら、一方ではパラティアを侵略して多くの無辜のパラティア国民を殺戮し、王族を全員処刑している・・・。
彼女があれ程の名声を教団内で持ちながら、ロートリアというさして重要でない地方の管区長だったのも、現在の教主との折り合いが悪く左遷されたからだと推察できた。
エメリアが教団から出奔した事も、今のディヴィアという教主は内心喜んで居るのかもしれない、もちろん自分の近くに居る為に、エメリアがわざわざロートリアに配置を希望した可能性もあるとも考えたのだが。

リシュアがふと気づくと彼女は俯いたまま震えていた。
それを見た彼は胸を締め付けるような思いに駆られ、思わずエメリアを強く抱きしめた。
彼女を抱きしめると、彼女の体は昨日感じたよりもずっと華奢な気がして、何故か悲しいような嬉しいような不思議な気持ちになってしまった。

「リシュアちゃん・・リディアにもさっきの言葉を言ってあげて・・。私達にとってリシュアちゃんに嫌われたり怖がられたりするのがなによりも恐ろしいことなの・・。」

彼女はリシュアの首を抱き、彼の輝いているような明るい色の金髪に愛しげに頬ずりすると、少し震えた声で耳元で呟くように囁いた。

「私達にとって、何時生まれ変わるとも判らない貴方に届くはずもない思いに苛まれた日々は終わったの。私とリディアにとって貴方こそが、貴方だけが理想郷なのだから・・。」

彼女の囁きの最後の方は涙声に近いような気がした。
リシュアが顔をあげると、エメリアはその澄んだ黒い瞳に涙を溜めながら彼を見つめていた。

リシュアはその彼女の神々しいとさえ言える美しさと、胸に迫る激情に何も言葉を返すことが出来なかったが、微笑みかけることだけはかろうじて出来た。
するとエメリアは涙を指で拭いながら少女のように無邪気に微笑み

「だから・・・貴方の幸せを守り抜くのが私達の使命・・・。」

エメリアは慈愛に満ちた聖女の貌でそう呟くと、唇を重ねてきた。
唇を合わせるだけの口づけだったが、心が暖かいもので満たされ、リシュアの心に彼女の心と触れあえたことへの歓喜と未来への希望が沸いてきた。
しばらく二人は口づけを交わしたまま抱き合っていた、しかし早朝だというのに外で少なくない人数の叫び声がする。

「外が騒がしいわね・・・・。」

心地よい陶酔感から覚醒したエメリアが呟く、先刻の慈愛に満ちた表情とは違って、驚くことに彼女の貌は緊張で強ばっていた。

その時、寝間着姿のリディアがドアを荒々しく蹴りあけ、居間に飛び込んできた。
リディアの表情の厳さにもリシュアは驚いたが、リディアは凄惨な笑みを浮かべると

「ついに来たわよ。」

エメリアはそれを聞くとリシュアを立たせ、名残惜しげにもう一度キスをした。

「リシュアちゃんも着替えてね、討ち手が来たみたい。」

エメリアは優しくリシュアに告げると神官服を脱ぎ捨て、近くに置いてあった甲冑を引き寄せながら今度は厳しい声音で

「リディアっ!人数はどのくらい?」

「50人てとこかな。例の姉妹は妹の方しか居ないみたい。」

すぐさまリディアは彼の聞いたことのない呪文を呟くと、ニヤリと余裕の笑みを漏らす

「多分全員人間タイプぽいわね。魔族はいない感じ。」

エメリアは手早く武装し始めていた、リディアも皮鎧を身につけサーベルを腰に吊る。

「ソストラダーニエさんは嘘をついたのかな?」

リシュアも着替えながら素直な疑問を口にすると、リディアは片目を瞑って見せ、

「違うわね、外にいる連中は本隊じゃない。私には外の連中の会話が聞こえるんだけど、ラグナの手下にしては統制がとれてないし、それにエステラダーニエは案内役みたいね。話の内容からすると抜け駆けの手伝いをさせられてる感じに聞こえるわねぇ。」

リディアはこの状況を楽しんでいるように、腕を組みながら例のニタニタ笑いで

「大方、本隊の誰かが抜け駆けを狙って、適当に傭兵集めてとりあえず襲ってきましたって感じかしらねぇ?フン!舐められたものね?!」

「どうして抜け駆けなんてするの?」

リシュアが疑問を口にすると

「リシュアちゃんの首を魔皇ラグナに差し出すと王にしてもらえるからなの。」

エメリアは心底腹立たしげに言うと腰の長剣を抜いた。

「作戦は?」

リディアが舌なめずりをするように、腕を胸の前で交差させながらサーベルを抜き、獰猛な笑みを浮かべながらエメリアに問いかけると、聖女は

「遅かれ早かれ警備隊が来るけど、宿屋の中で戦うのは不味いわね。他の人を巻き込んでしまうわ、踏み込まれる前に先制攻撃ね。」

彼女は面白くもなさそうにいうと、右足で足踏みを始める。

ダン、ダンダンッ。ダン、ダンダンッ。ダン、ダンダンッ

規則正しいリズムを刻みながら、エメリアは足踏みを続ける。

エメリアの奇妙な行動にリシュアがポカンとして見ていると、リディアが

「初めて見るんだっけ?まぁ見てなさいよ。結構オモシロイわよ?」

するとエメリアは足踏みを続けながら盾を構え、右手にもった騎士剣で空中に何かを描くようにしている 。

すぐさま彼女の剣に光輝が宿り、白銀の騎士鎧も光に包まれだしたと思うと、サレットで表情は見えなかったが、やや上を向くとエメリアが何か呟いた。

その瞬間、エメリアの頭上に光柱が現れ、一瞬にして飛散する。柔らかな光の粒子が部屋中に降り注ぎ、どこからか賛美歌のような歌声が響き、エメリアの腰の辺りに彼女を囲むようにして金色の光の輪が現れた。するとエメリアは足踏みを止めて右手に持った剣を小さく縦に振りだすと、彼女が手首を返す度にリシュア達三人の周りに、紅い輪、神聖語の魔法陣、黄金色の光球などが現れては消える。

それらが明滅する度にリシュアの体に力が漲ってきて、不思議と心地よかった。
それは10秒ほど続き、彼が不思議な聖なる光に陶酔感のようなものを感じて、それに身を任せるように浸っていると、不意にその光達は消えた。

エメリアは深呼吸を一つすると、

「リシュアちゃん征ってきます。リディア!リシュアちゃんを頼んだわよ!!」

エメリアはそう叫ぶと、白いマントを翻し部屋を飛び出していった。


「体が軽くなったでしょ?、あれがエメリアの神聖守護魔法よ。これで私達に普通の武器も矢も通用しないわ♪おもしろいでしょ?」

リディアはそう言ったが、今ひとつ実感が沸かない。きょとんとしていると、

「30種類以上の付与魔法をあれだけのスピードと威力で掛けられるのは、この大陸にはエメリア以外いないと思うわよ♪」

リディアはなんだか誇らしげな口調で、古い友人を褒めた。


「ボクらもいこう!」

リディアにそう告げると彼女は黙って頷き先に廊下に出る、すでにエメリアは階下で戦っているらしく、襲撃者達の怒号や悲鳴が聞こえる。

二人は階段を飛ぶようにして駆け下り、一階の酒場のあるホールにでた。
リシュアがエメリアを探して戦闘騒音のする方を注視すると、宿屋の丁度正面にあるエントランスホールでエメリアは襲撃者と戦っていた。
エメリアの足下にはすでに10数人の死体が転がっており、生き残っている5、6人の襲撃者達は遠巻きにエメリアの出方を窺っていたが、そのうち一人が逃げ出すと皆逃げ出した。

しかしエメリアは異常に脚が疾く素早く間合いを詰めると、次々と必殺の一撃を見舞い、全員がエントランスを出ることなく彼女の長剣の餌食になった。
或る者は頭を割られ、また或る者は彼女の一撃を剣で受け止めようとした瞬間に横薙ぎに斬られ、堅固な胸甲を着けているはずの胴体が真二つに分かれ、赤黒い血と内臓をまき散らしながら短い断末魔の悲鳴をあげ斃れた。

リシュアは慈愛深いあの聖女エメリアが、戦場では情け容赦のない恐るべき戦士であることを痛感し戦慄した。
彼が特に瞠目したのは、エメリアが襲撃者の一人とも剣を合わせることなく、彼らの振るう剣や戦斧を易々とかいくぐり、まるで舞を踊るような優雅さで必殺の一撃を叩き込んでいることだ。

リシュアには襲撃者達とて、多くの者が魔法武器を持っているようであったし、使いこまれた全身鎧からも歴戦の傭兵達に見えた。しかしエメリアは稚児の手を捻るが如く、恐るべき技量の差を発揮して次々と傭兵達を屠ったのだ。

紅い絨毯を敷き詰めた染み一つなかった白壁の華麗なエントランスホールは文字通り血の海となり、凄惨な光景となった。内臓から湯気をあげ散乱する傭兵達の死体と、むせかえるような血臭にリシュアは腰を折り嘔吐した。

彼は胃の中のモノを全て吐き出しながら、一つの言葉を思い出した。

「イスタリアの魔女。」

彼女が率いた教団の軍勢と戦った国の兵士達は彼女を恐怖と憎悪をもって、そう呼んでいることを。

イスタリアの魔女はリシュアが苦しげに嘔吐しているのを心配してか、振り返って一瞥した。サレット越しに見える彼女の双眸が悲しげな光を帯びていて、リシュアは胸が痛んだ。
エメリアはきっと自分のこのような姿を見られたくなかったのだろう、彼女がさっき自分に囁いた事はこういうことだったのだ。

「エメリアがんばって・・。」

彼女の悲嘆を和らげようと、やっとのことで絞り出した言葉をかける。

「はい・・・リシア様。」

彼女は一瞬、唇を噛むようにして躊躇した後、こう答えた。

リシュアはエメリアの言葉に嫉妬に似た憤怒を覚え、怒りが表情に出てしまった。

彼女は冥皇リシアのものではなく、自分の妻だと思っていたからだ。

エメリアの表情が兜の上からも強ばるのが判ったが、エメリアは抑揚のない声で

「リディア、外に出るから援護して。」

それだけ言い切るときびすを返し、宿の外に出ようと盾を頭上に構えた。

リディアは聖女の苦衷とリシュアの怒りを察してか、リシュアの肩に手を置くと優しい声音で

「それは後でね。」

と言い、両手に持ったサーベルを頭上に構えた、すると50本は軽く超えるであろうという、白く発光する魔法の矢が現れ彼女の頭上を遊弋し、エメリアが宿屋の外に出たと同時にそれを放った。

外に出たエメリアの頭上に傭兵達が放ったであろう矢が降り注ぐ、だが全ての矢は彼女の盾でいとも簡単に防がれたに見えた 、しかし普通の矢に混ざって黄金色の光を放つ矢が1本だけあり、それがエメリアの持つ銀色の騎士盾を易々と貫通し、彼女の左の太股に突き立った。

彼女小さく痛みに呻くと太股から鮮血が迸り、崩れ落ちるように左膝をついた。その瞬間、巨大な両手剣を持った男がエメリアに躍りかかるようにして、獣じみた裂帛の気合いを共に、大上段から斬撃を加える。

「もらったあああああああああああああ!!」

その男は聖女が渾身の一撃をなんとか受け流したと見るや、その巨大な剣の重量など感じさせない信じられないような高速の斬撃をエメリアに次々を浴びせた。エメリアは左足に深手を負って脚の自由が利かないようで、防戦一方だった。

「俺の手塩にかけて育てた手下をよくも!皆殺しにしてくれたなああああああああ!!」

男は怒りに任せ、剣を次々とエメリアに叩き付ける、しかしエメリアは攻勢にこそ出られなかったが、全ての斬撃を上手く盾で受け流していた。

リシュア達も宿の外にでてみると、宿の周りの建物の上から狙撃してきたであろう、男の部下達は全て、リディアの魔法に胸を貫かれ事切れていた。

だが、エステラダーニエは魔法の攻撃から生き残っており、宿屋の真向かえの建物の屋根から軽快に飛び降りると、新たな弓を番え放った。

リシュアを狙った矢をリディアがサーベルで叩き落とすと、エステラダーニエは次々と恐るべき速さで矢を放ってくる、合計20本近い矢をリディアは叩き落としたが、最後にエエステラダーニエは3本の矢を同時に番え放った。

彼女の放った矢は3本のうち2本は弧を描いて高速で飛来してきた、リディアはそっちの2本をまず叩き落とす。最後の1本の矢はまっすぐ地を這うようにやや遅めの速度で飛来した、リディアはそれを見越して先の2本を叩き落としたのだが、3本目をリディアが叩き落とそうとすると、その矢はサーベルを避けるように急に角度を変えて上昇するとリシュアの心臓のあたりに突き立った。

リシュアは信じられない物をを見たような貌をしながら、目を見開いたまま矢の命中した衝撃で仰向けにゆっくりと倒れた。

その瞬間、エメリアは悲痛な呻くような絶叫をあげ、盾を男に投げつけると男に回り込むようにして斬撃を放つ、左腿の貫通した矢の痛みなど関係ないようだった。
彼女の剣は彼女の怒りと悲しみを写したように赤熱していて、男の左腕を根本から切り落とし、なおかつ左半身に大火傷を負わせた。

男は深手を負ったと感じると、何も省みず一目散に遁走しだした。

エメリアは男を追わず、大腿部から鮮血を流しながらも愛する人を射倒したエステラダーニエに向かって疾走する。

「よくも!よくもおおおおおおおおおおおおっ!!」

心からも血を流しているような悲痛な絶叫が彼女の口から迸る。エメリアは怒りで我を失っており、リシュアの仇を討つことだけが彼女の心を支配していた。

エステラダーニエは矢の尽きた弓を背中に戻すと両手を掲げ、体をくねらすようなモーションで同時に8本もの短剣を投げた。

エメリアはそのうち6本を叩き落としたが、残りの2本は肩の装甲と胸甲に突き立った、しかし彼女は怯まず、憤怒で手元が狂いながらも両手で捧げるように持った長剣を突き出す、エステラダーニエはそれを間一髪でかわし、腰のレイピアを抜き放つと、果敢にもエメリアに斬りかかった。

エメリアが普段通り冷静ならば技量は圧倒的に上で数合で勝負はついた筈なのだが、今の彼女は憤怒で滅茶苦茶に剣を振り回すだけだった。
しかし彼女の赤熱した剣はエステラダーニエにかすっただけでも確実にダメージを与えており、この闇エルフの女は背中に冷たいものを感じて、最早相打ちを狙う他はないと覚悟を決める他なかった。


リディアは震えながらリシュアに駆け寄り、彼を抱き起こすと悲しすぎる程に彼の全身から力が抜けていて、ひどく重く感じた。

リディアはリシュアが死んでいることを確認したら、自死するつもりだった。

「たった3日しか彼を守れなかった・・。」

その事実が彼女に重くのしかかり、彼の復活を願い探し求めた200年は一体なんだったのかと、空虚な気持ちになっていた。彼女は普段の態度とは裏腹に愛情深い女性であった。夫を失った時に感じた絶望をもう一度味わうことになろうとは、と自分をなじる。
しかし、彼女はリシュアの生死をどうしても確かめたかった。

「リシュア!目を覚まして!お願い・・・!リシュア!!」

心の何処かで無駄な問いかけだと自覚しながらも、叫ばずにはいられなかった。
涙が止めどなく流れ、リディアの涙がリシュアの頬を伝い落ちる、するとその時リシュアが微かに身じろぎをした。

驚いたリディアがもう一度大きな声で名前を呼ぶと、リシュアは目を開けたではないか、

「あれ?どうしてリディア泣いてるの?」

彼は夢から覚めたばかりの子どもが母親に甘えるように、リディアに抱きついた。
リディアが安堵に胸を撫で下ろし、恐る恐るリシュアの胸に突き立った矢を見ると、何か堅いものに当たって矢は防がれたらしかった。

彼女がそれを確認するために取り出してみると、小さな漆塗りの鞘の守り刀だった。

「それはジュウイチロウが餞別にくれたんだよ。」

まだ夢の中にいるような声音でリシュアが呟く、喜びでまた涙が流れたがエメリアのことを思い出し、

「エメリア!リシュアは生きてる!!かすり傷よ!!!」

リディアはそう大声で叫んだが、怒りに我を忘れているエメリアには届いていないようで、エステラダーニエに向かって遮二無二剣を振り回していた。
彼女は太股に受けた矢傷のせいで大量に出血していて、このままでは命が危なかった。

リシュアはエメリアの方を見ると正気に戻り、飛び上がるようにして立ち上がると

「エメリアやめて!もういい!彼女を殺さないで!」

彼が叫んでもエメリアは剣を納めず、益々猛り狂って彼女に打ちかかる。

リディアはそれを見ると、ため息を一つついてボソリと

「リシュア、睡眠の魔法かけて。エメリア達に。」

言われた通りにリシュアが睡眠の魔法を掛けると、二人がバタバタと倒れた。
それを見たリディアは大笑いしだし、不思議に思ったリシュアが

「何がそんなにおかしいの?」

「いやさ、その魔法はかなり初歩の魔法で普通は彼女達に利く筈ないんだけど、リシュアの魔法力は半端じゃなくスゴイからさ、まさか本当に利くとはね♪。」

そういうとまた一人でゲラゲラと笑い出した。

リシュア思い出した、先程目覚めた時の彼女の表情を。彼が紋章を触った時に見たのリディアはやっぱり過去の彼女で、今の彼女は絶望も侮蔑もなく純粋に自分を深く愛してくれているのだと。

そう思い至ったリシュアは嬉しくて微笑まずにはいられなかった。


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