登る歩み行場巡りハイキング

 何故に行場なのか。そもそも行場とは今から遡ること7世紀、修験道開祖の役小角(役行者)が修行道場として開いたことに由来いている。OMASAは修験道を詳しく理解しているわけではないが、いくつもの行場で高下駄を履いて天狗のように走り回っていた役小角はすごいなあと尊敬している。現在でも真言宗系、天台宗系の修行として山伏姿に身を包み、鍛練の場として吉野奥駈は有名である。行場は大和を中心に全国に点在しており、無くなってしまった場所もあるが、山奥にひっそり残っているところもある。
 OMASAにとって行場を巡ることは宗教的な業ではなく、心身のリフレッシュという意味合いが強い。怪我人や死人が絶えないという行場では巨岩や老木に身をまかせてそれなりの集中力も必要なのである。岩や木に自分が生かされているという気分にまでなってくる。またこの木々や岩は千年以上もの間どれぐらいの人を見てきたのだろうか?などとちょっとしたアミニズム的な気分さえ覚える。そして巡り終えたときはどこかすっきりした気持ちになっているのだ。だから行場を巡るのである。
 ハイキングは有名無名に関係なく(というよりも百名山とかよく知らないのであとで知ることが多い)自分の好きな場所に訪れていることを記述。
 
行場巡り ハイキング
笠置山(笠置寺)
鷲峰山(金胎寺)
飯道山(飯道神社)
大峰山(山上ヶ岳)
元山上(千光寺)
伊勢山上
岩船神社
犬鳴山
行者山