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渡道者リスト |
富 山 県 城 端 町 |
細 野 出 身 |
北海道在住者名簿 |
昭和三十七年二月現在 |
序 私、そして私達の親、先祖は、昔、越中の国と言はれた、今の富山県城端町に生れ、未開 のエゾ地、北海道開拓に志を立てて来た者達です。 故郷を同じくする者が、異郷の空でしっかり土を踏みしめてる姿をお互いに知ることは、非常に懐かしさと、 郷愁にも似た愛着とを覚えるもので、渡道して来た者の中で、古老と呼ばれる人は、もうホンノ数えるだけしか残って居らず、 今の中にその名を集録し、郷里の一端を綴り、薄れ去っていく想い出を、長く残しておきたいものと存じます。 私共の郷里に県制がしかれたのは明治5年9月で、当時新川県と名づけられましたが、その後明治9年4月 廃県となり、石川県の中に包含されることになりました。 明治16年になって、昔から越中の国と呼ばれていた区域を富山県として独立、今日に至っております。この富山県の中に砺波 郡と言うのがあって、その郡の中に能美村大字細野村が出来たのです。 明治31年8月、その能美村が北野村、蓑谷村の二ヶ村に分かれ、私共の部落は蓑谷村の中に属し、蓑谷村 細野となりました。その後県内に町村合併の気運が高まり、昭和27年4月城端町周囲の十余ヶ村が併合して、現在の城端町細 野と呼ばれるようになりました。 この細野には、明治25年頃、戸数は86戸を数えたのですが、現在は50数戸に減少しております。この 減った30数戸の殆どは、家族こぞって北海道へ移住したからです。 その30戸が、道内で分家したりして現在120数戸を数えるようになっております。その増加振りをみま して、一層今昔の感を深められます。 細野では、殆どの者が農業を主として生計を立てており、その耕地面積は50余町歩で、これは北海道の2、 3の農家の耕地を合せた位の面積なので遠く離れていては比較にも、想像にもならない位の少なさです。北海道の整然とした田 畑を見馴れた人が、富山県下の大小様々の曲りくねった田を見たら、非常な奇異に感じますが、郷里細野では、今から約60年 昔、明治35年から明治38年までの4ヶ年の年月を費やし、部落の老いも、若きも、男も、女も、皆一緒になって、額に汗を 流し、体は泥にまみれ乍ら耕地整理を完了し、隣接町村には見られない立派な水田に仕上げましたが、私もこの作業に奉仕させ て戴いた |
後、明治40年に渡道して来たものです。 耕作労力の無駄を無くし、多収穫をはかる上には是非必要なことを認め乍ら、60年を経った今日、未だに 他町村部落が手をつけかねているのは、当時のこの整地作業が、他では真似ようの出来ないいかに難事業であったかを物語るも のです。 北海道開拓当時、始めて来た移住者は、まず先達を頼って、その近所に3年位住居し、その間に、鹿とか熊 しか住んでいない原始林、広野をかけづり、寒さとうえに耐え、今では見られない堀立小屋に寝起きしながら安住の地を物色し、 定着地を見付けるのに血眼となり、ヤット腰を据えると言った有様で各地に散在、言語に絶する苦労の積み重ねによって、今の ように北海道が拓けたわけです。故郷に踏み留まっている人達も、一度北海道に来られ、郷土出身の私共の現況と、北海道農業 の実状を視察され、細野の発展に幾分なりとも寄与するところがあればなどと思い合はされます。 この名簿に依って、郷里の方達が「こうした人が北海道に行っていたのか」と言うことで参考になったり、 北海道に住みついた人達も、「こうした人達とつながりがあったのか、我々の古里は一体どうなっているのだろうか」等と、縦 横のつながりの一助にもなれば幸いと存じます。
(この名簿には、細野から渡って来た一家世帯を中心に調べたもので、養子、嫁入りな
などで、他家へ縁付かれた人については洩れておりますので御諒承下さい。)
この名簿集輯に当り、一方ならぬ御協力を辱うしました各位に厚く御礼申上げます。 昭和37年3月1日 |
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山 本 與 七 郎 |
明治15年1月4日、富山県城端町細野、山本清三郎の四男に生れる。 明治44年4月1日、北海道小樽港に上陸、爾来、留萌、士別、旭川、砂川を経て、 明治44年11月、現在地池田町に来て商業を営み今日に至る。 大正8年池田町が一級町村に昇格した折、初の町会議員となり、その後昭和15年5月まで22年間、町政 に参与、昭和3年8月北海道会議員に当選、連続三期、12年間議席をもち、その間予算委員長の要職に選ばれ、道予算を切り 盛る。 大正14年4月池田女子補習学校創設、今日の北海道立池田高等学校となり、その間32年の長期間、P・ T会長を務む。 昭和26年2月北海道会開設50周年式典に開拓功労者として表彰される。 昭和31年11月北海道教育委員会より北海道教育功労者として表彰される。 現在81才を数えるが、今尚壮者をしのぐ元気。 |
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