山岡松子談話その一

 父は劍道にはいろいろ工夫してゐたやうですが、遂に無刀流といふ新流儀を編み出しました。(略)新流披露の席には、東京中の劍客が集まりました。父はこれらの人と一々手合せをしましたが、みんな聲をそろへて、『參りました』と言ったさうです。
 父は小野派一刀流を研究したい念願を豫てから持って居りましたが、とうとう三年かかって正統の小野次郎右衛門を探し出しました。何しろ徳川の初期からのお家ですから次郎右衛門も十何代目かでせうが、その人が零落れて江戸川邊に住んでゐるのをやっとのことで傳ヘ聞いて訪ねてゆきました。そして一刀流組太刀三十六本の奥義の傳授を受け、これに自分で工夫を加へて『御殿』(ママ 五典のこと−管理人注)といふ新しい組太刀を一つ編み出しました。門弟を集めてこの『御殿』を發表しましたが、誰にも解らなかった様子で、『開けて口惜しき玉手箱』などと、残念さうに皆々言って居りました。

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